見出し画像

入社3年目で不満が爆発。離職を踏みとどまり、大実業家になれた2つ理由

激動の昭和時代に活躍した数々の一流人の成功談が詰まった、船井幸雄さん監修の『ビジネスマンが読んでおくべき 一流人のあの選択、この決断 この99のヒントがあなたの人生を開く』(知的生きかた文庫・三笠書房)。

本書から私が深く感銘を受けた一流人を選んで、その人のエピソードをお届けする連載(全6回)も、気づけば折り返しの3回目となりました。

今回紹介するのは、住友電気工業会長のほか、関西経済連合会会長、日本電線工業会会長などを歴任された川上哲郎かわかみ てつろうさんです。
阪神・淡路大震災の際には、総理府に設置された「阪神・淡路大震災復興委員会」の委員も務められました。

幅広い分野で活躍された川上さんを襲った危機とは何か。そのピンチをどう乗り越えてトップへと上り詰めたのか。さっそく紐解ひもといていきましょう。


大実業家も苦しんだ入社3年目の壁

実は、これまでご紹介した方々と違い、川上さんの会社員人生は波乱万丈だったわけではありません。小さなドラマの連続がある程度でした。

しかし、そんな川上さんも「会社を辞めよう」と思ったことが幾度かあったそうです。
その衝動が最も大きかったのが、住友電気工業の経理部で働いていた入社3年目の時期(1952年に東京商科大学[現・一橋大学]を卒業されたので、1950年代半ばの頃)でした。

厚生労働省の最近の調査でも「新卒の約3割が3年以内に離職する」というデータがありますが、のちに同社のトップになる川上さんも同様に「入社3年目の壁」にぶつかっていたのです。

原因は、仕事への不満と人間関係の悪化でした。
現代でもこれを理由に退職する人は多いですから、なんだか親近感が湧きますよね。

川上さんが抱いた仕事への不満。それは経理業務の「単調さ」でした。
先輩にごちゃごちゃ言われながら苦労してやり遂げた会社の決算も、3か月後にはまた一からやり直し。川上さんは当時を振り返り、「まるでさいの河原で石を積んでは崩すような虚しさだった」と語っています。

それに加えて、人間関係の悩みも重なります。
川上さんが立ち上げた「英語のテープを聞く勉強会」が、「経理に英語はいらない。自分の仕事だけやっていればいいんだ」と、経理部の先輩たちから反感を買ってしまったのです。
それで職場での折り合いが悪くなってしまいました。時には陰湿ないじめにも遭い、苦悩が深まったそうです。

その鬱憤うっぷんが溜まりにたまって、ついに3年目、「こんな仕事、やってられるか!」と爆発してしまったのです。

京都・哲学の道で得た困難を乗り越える悟りとは

そこで川上さんが取った行動は、「3週間会社を休む」という選択でした。
勢いでそのまま辞めてしまう前に、まずは頭を冷やす期間を作ろうと考えたのでしょう。
若さゆえの無鉄砲な行動にならないよう、ちゃんと休暇届を出したそうです。

今はすぐに退職代行に任せて会社を辞めてしまう人もいますが、感情に任せて飛び出すのではなく、自分の身を守るために大人の手続きを踏み、冷却期間を設けてちゃんと決断を下す。ここは今の若い人たちも大いに見習うべき重要なポイントです。

どの職場もそれぞれの苦労があり、転職先が必ずしも自分に合っているとは限りません。嫌になるとすぐに逃げるという判断は、正解というより軽率です。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」とも言いますが、これは決して古い格言ではありません。苦労を避けてばかりいる人生は、あとで大きな苦労を背負うことになります。
困難を乗り越える力を鍛えてこなかった人に、さらに難易度を増した厳しい現実を乗り越えられるでしょうか。社会保障も当てにならない状況になっているので、よく考えて行動しましょう。

さて、その 3週間、川上さんは大阪の喧騒けんそうを離れ、情緒ある京都で過ごしました。
はじめのうちは自由を満喫したものの、その生活もじきに飽きてしまい、「やることがなく、時間だけが有り余っている状態は、決して楽しいものではない」と気づいたと言います。

そして、京都の「哲学の道」を散策していた時のことです。川上さんはある一つの真理を悟ります。

「最初から自己実現の場が与えられるわけがない。入社2、3年目の仕事がつまらないのは当然だ。しょせん、人生は自分の思うようにならないものさ」

この気づきによってすっかり悩みが吹っ切れ、職場に復帰する気持ちが湧いてきたそうです。

川上さんが至った「人生は思うようにならないものさ」という境地。これはまさに、阿弥陀如来が導くあるがままの世界であり、「くうと縁起の世界」そのものです。

「この世はなるようにしかならない」という真理に気づけた3週間の休暇は、川上さんのその後の人生を大きく変える正しい選択になったのです。

3年目の危機を乗り越え、大成に必要な2つの要素

川上さんは、復帰後もりずに社内の若手や社外の異分野の友人たちと勉強会を開き、積極的にさまざまな勉強を重ね、会社の経営方針をテーマにする勉強会にも力を入れたそうです。

その努力が実を結び、会社に多大な利益をもたらす仕事ができ、53歳の若さで社長になれたのでした。
その功績とは、資金課長時代に行った、インパクトローンとドル決済の導入でした。何度会社を辞めたくなっても踏みとどまり、陰湿ないじめにも負けずに続けた勉強会のお陰で、先見の明が養われたのです。

社長に就任後は、電線メーカーだった同社を、光ファイバーや光デバイスも手掛けるハイテク企業へと育てあげたのでした。
文系でありながら先端技術にも通じていたのは、勉強を欠かさなかった積み重ねがあったからでしょう。

「石の上にも三年」と言いますが、3年目の危機を乗り越えるには、座り心地の悪い石の上での修行に耐えられる「開き直り」が必要です。それと同時に、懲りずに信念を貫く「しぶとさ」を持つことが、自分の花を咲かせるためには不可欠なのでしょう。

次回予告(全6回シリーズ・第4回)

全6回の「一流人の選択と決断」シリーズ、第3回をお読みいただきありがとうございました。

次回(第4回)は、時代の波を読むのが上手なことで成功した実業家のエピソードを紹介します。どうぞお楽しみに!

第1回、第2回の話はこちらです。よろしければご覧ください。


限界家族日記の目次はこちら
全体の目次はこちら
私が現在書き進めている小説はこちら
ユートピア手法を使って創造した新システムはこちら
ユートピアのすすめの目次はこちら
日本の生きる道の目次はこちら
自己紹介







いいなと思ったら応援しよう!

星マモル よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは明るい未来を創造する活動費として大切に使用致します。