100万回生きられない人間が幸福に出会える道
私は毎晩夢を見ます。
若い頃はどんな夢を見たか覚えていられましたが、60歳に近づく今は、覚えていられない日のほうが圧倒的に多くなってしまいました。
目が覚めると、指から砂が落ちるように、夢の記憶がさっと消えてしまうのです。

道家の思想家・荘子は、「人生は夢のようなものだ」と唱えました。
人生における苦楽も栄華も、広大な「道」、つまり宇宙の時の流れから見れば、ひとときの夢のような儚いものではないかと考えたのです。
確かに、宇宙の気が遠くなるほど長い歴史から見れば、一人の人生など一瞬にすぎません。
人が亡くなることを「永眠」と言いますが、生の前と死の後が「眠り」なのだとしたら、人生はその間に発生する短い夢と言えます。
人生が儚い夢ならば、大切な人と死に別れて、その人と過ごした記憶すらもあっという間に消去されてしまうのは、とても悲しいことです。
仮に何度も生まれ変わりを繰り返すのだとしても、見た夢をすっかり忘れてしまう今の私のように、前の人生の記憶は失われてしまいます。
前世の大切な人は、心のどこにも存在しなくなってしまうのです。
佐野洋子さんが『100万回生きたねこ』という絵本を書きましたが、あの猫のように前世のことを都合よく覚えていることは、あり得ないと言えるでしょう。
しかし、中には不思議な話もあります。江戸時代後期の国学者である平田篤胤が、前世の記憶を持つ少年を記録した実話です。
現在の八王子市東中野に住んでいた、小谷田勝五郎という名の少年でした。
勝五郎は、「前世は程久保村(現在の東京都日野市程久保)の藤蔵だった」と語り、実際に調べてみると、それに合致する人物がいたというのです。
その信憑性を調査するために、平田篤胤は8歳の勝五郎少年に会いに出かけ、話を詳細に聞き取りました。その成果をまとめたのが『勝五郎再生記聞』です。

現代でも不思議な実話はあります。いつ、どの番組だったかは忘れてしまいましたが、以前テレビで、幼い子供が母親に「生まれる前の世界」の話を語るのを見たことがあります。
その子は、雲がいっぱいある空の上で、どのお母さんに産んでもらうかを選び、今のお母さんの元へとつながる滑り台を滑り降りてきた、という話でした。
しかし、普通はそんなことはあり得ません。自分がなくなれば、大切な人には永遠に会えなくなってしまう。
だからこそ、大切な人と一緒にいられる時間はとても貴重であり、一刻一刻を大切に過ごさなければならないのです。
当たり前であったことが、必ず当たり前でなくなる日が来ます。
私は昨年、最愛の母を亡くしましたが、母と過ごせる日はもう二度と戻ってきません。
今は父と2人暮らしです。父も高齢で病を患っています。父と暮らす時間の大切さを痛切に感じる今、父が幸せな余生を過ごせるよう、優しく接することを心がけています。
また、人生が有限であることを意識することは、毎日を大切に生きる契機にもなります。
「自分が本当にやりたいものは何か」を問い直すことで、他人のためではない、本当の自分の人生を生きられるようにもなるはずです。
使い切れないほどの財を得たり、人を駒のように使える地位を得たりするよりも、家族と過ごせる時間を大切にしたり、人に優しくしたり、自分に正直に生きられる道を選んだりするほうが、はるかに価値があります。
高収入と高い地位を得るために家庭を犠牲にして働き、不正直な仕事をして人から恨まれるような人生では、他人も自分も幸せにはなれないからです。
荘子の思想の通りで、人生は夢のように儚く、確実なものなど何もないからこそ、お金や地位に過度に執着せず、自然体で生きることが大切なのでしょう。

広大な宇宙の時間のなかで、人に生まれる奇跡。今ここにいる奇跡。この奇跡的な命を、決して無駄にしてはならないと思いました。
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