比較の対象を変えてみたら、不平が感謝に変わった話
昨年の四月に最愛の母を亡くし、今年の四月には父が重病で入院しました。
立て続けに不幸に見舞われ、近所の同級生の母親からは「一度、厄払いをしたほうがいいよ」とまで言われています。
正直なところ、その言葉が気になってしまうほど、「どうして自分の家だけがこんな目に遭うのか」と恨み言を言いたくなる瞬間があります。
もし父がいなくなれば、独身で兄弟もいない私は、天涯孤独になってしまいます。それは寂しく、心細いものです。広い荒野に一人取り残されたような感じになります。
両親が健在で、お子さんや孫たちに囲まれて賑やかに暮らしているご近所の様子を見かけると、どうしても羨ましさが募ります。
「私には父しかいないのだから、これ以上奪わないでほしい」と、天に向かって不平を訴えたくもなります。
しかし、これは本当に「災い」なのでしょうか。
父は現在九十歳で、八月には九十一歳になります。日本の男性の平均寿命は約八十一歳ですから、父は平均よりも十年も長く生きてくれていることになります。
また、男性が九十一歳まで生きられる確率は、約四人に一人というデータもあるそうです。
認知症を患ってはいるものの、九十歳になるまで大きな病気もなく健康に暮らせたことは、むしろ「幸運」と呼ぶべきことかもしれません。
一方で、母は八十五歳で旅立ちました。女性の平均寿命は八十七歳。しかも女性の二人に一人は九十歳まで生きるという現実を知ると、やはり「もう少し長生きしてほしかった」という悔しさが滲んできます。
けれど、両親ともに九十歳を超えて元気に揃っている家庭が、世の中にどれほどあるでしょうか。
それはきっと、非常に稀で、奇跡に近いことなのだと思います。実際に近所の家を見渡してみても、そのようなお宅はほんの一握りです。
そう考え直すと、私の家だけが特殊な不幸に見舞われているとは言えなくなりました。
むしろ、両親ともにここまで長生きしてくれたことに、まずは感謝をしなければならない。そんな感情が心の底から湧いてきて、思わず神棚に手を合わせていました。
他人と比較すれば、不満や羨望は大きくなるばかりです。
それよりも、今ここにある幸せに目を向け、感謝して過ごすほうが、ずっと健やかに生きられます。
親の老いや死を意識することは、私自身の残された人生をどう充実させるかを見つめ直すきっかけにもなります。一日一日を慈しみ、他人の痛みがわかるようになることで、少しでも徳を積んでいければと思います。
これまで以上に父へ優しく接し、私自身の人生もまた、大切に歩んでいこう。悲しみや絶望は消えませんが、そんな前向きな気持ちも湧いてきました。
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