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戒名って必要なの? 日本独自の「戒名」という不思議な仕組み

早いもので、母が亡くなって1年が経ちます。
母が眠っているのは、家から少し離れたところにあるお寺です。私は独身の一人っ子でお墓を守れないため、そのお寺の永代供養墓に合祀ごうしされています。 徒歩でも20分ほどで行ける距離なので、1か月に1、2度はお墓参りに行きます。

まだ新しく立派な永代供養墓の側壁には、ここに眠る人たちの名前が記されたプレートがはめ込まれています。
お墓参りに行くたびに、私は母の名が刻まれたプレートを、母の背中をさするように優しくで、「お母さん、また来たよ。幸せに暮らせてる?」と声を掛けています。

それが終わると、他の人のプレートを眺めるのですが、そこには戒名のない故人がちらほらいます。 その反対に、いかにも格の高そうな戒名の故人もいます。
ちなみに、母の戒名はシンプルなものです。我が家はこのお寺の檀家ではないし、お葬式も簡素にやってもらったので、戒名もそれなりのランクになったのでした。

しかし、ランクの高い戒名で何が変わると言うのでしょう。そもそも戒名に何の意味があるのか、いまいち分かりません。
以前の記事のなかで紹介した本『葬式は、要らない』(島田裕己・幻冬舎新書)に、戒名を授かる理由が書かれていたので、ここでまとめてみたいと思います。

戒名が必要になるのは、仏教式の葬式です。故人は僧侶から戒名を授かり、その名前によって葬られます。 戒名にはランクがあり、一般的に字数が多ければ多いほど格が高いと考えられています。
母の場合はすべて一括で支払いましたが、本来は「戒名料」を別に払わなければいけないそうです。
立派な戒名になるほど価格は跳ね上がり、最高ランクのものになると、高価な外車を買えるほどの額になるといいます。よほどのお金持ちでなければ、とても手が出ません。

相場はありますが、あくまでも目安であり、戒名料はお寺や宗派、地域によって大きく異なります。よく調べておかないと家計への負担が大きくなるため注意が必要です。
さらに厄介なのは、一度高い戒名を授かってしまうと、その後の葬儀やお布施、お寺への寄付もそのランクに見合った豪華さを求められる点です。
それだけでなく、家族間の釣り合いを保つために、後に続く家族も同じランクの戒名を授からなければならないという暗黙のルールまで発生します。
先のことをよく考えて決めないと、子孫にまで迷惑をかけることになる。戒名とは、家全体を縛るやっかいな仕組みでもあるのです。

そもそも仏教はインドから始まり、アジア各地に広がった宗教です。 しかし、死者にまで戒名をつけるのは日本だけだと言います。
なぜ日本だけ戒名が必要になったのか。お寺で質問しても、正しく説明できる住職は少ないようです。仏教の各宗派が、僧侶に戒名についての正しい知識や認識を伝えていないからだ、と島田さんは指摘します。
授ける側の住職すらよく分かっていないものに、私たちは高いお金を払っている。そう考えると、ますます戒名にこだわる意味が分からなくなってしまいます。

本来、戒名とはその人が仏教徒になった証として授かる名前です。 キリスト教の洗礼名(クリスチャンネーム)や、落語家が入門した際に師匠からもらう「高座名」と性質は似ています。
また、ある僧侶は「戒名とは極楽浄土へ行くために必要なパスポートの名前だ」と説明します。そう言われると、戒名がなければ成仏できないのではないかという恐怖心を抱いてしまいます。

しかし、たとえば浄土真宗では、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで、誰もが等しく極楽浄土へ往生できるという教えを説いています。「すべての人を救う」ことこそが阿弥陀如来の本願だからです。
高いお金を払って立派な戒名をもらった人ほど極楽へ行きやすく、あの世でも良い暮らしができるなどという、煩悩にまみれた差別を阿弥陀如来がするでしょうか。 高い運賃を払えばファーストクラスのシートに乗って極楽へ旅立てる、というわけではないはずです。

そもそも戒名とは、出家者のためのものです。世俗の世界での名前を捨て、僧侶として新しい人間に生まれ変わり、仏教の道にまい進する。その覚悟の証として授かる名前です。
ところが日本では、一般の在家の信者も、死後には当然のように戒名が授けられます。 おまけに、授ける側の日本の僧侶は、大半が妻帯し、酒を飲み、一般人と変わらぬ煩悩的な生活を送っています。
戒(仏教徒が自ら誓って守るべき道徳的な戒め)を守っていない僧侶から「戒名」を授かるということ自体、論理的な矛盾をはらんでいるといえるでしょう。

これは、日本の仏教が完全に「葬式仏教」に成り果ててしまったことを意味しています。 島田さんは「その堕落の象徴が、戒名と戒名料なのである」と厳しく批判します。
僧侶たちが戒名の必要性について納得のいく説明ができないのは、やはり戒名の目的が、ビジネス(利益を増やすこと)にあるからではないでしょうか。だから、遺族から訊かれても奥歯に物が挟まったようなことしか言えず、本質から逃げるような対応をしてしまうのでしょう。

では、なぜ日本でこれほど戒名が根づいたのか。
著者は、日本独特の「名前の文化」が背景にあると考えています。
かつての日本社会では、子供の頃の「幼名」があったり、武士が手柄を立てて主君から新しい名前を与えられたりしていました。ほかにも俳号や芸名、画号など、一人の人間が人生のステージに応じて複数の名前を持つことは珍しくありませんでした。
だからこそ、死後にも名前を改めるという発想が、自然に受け入れられたのだろうという見立てです。

そうなると、生前の身分が高かった人は戒名のランクも高くなるのが自然です。
また、戒名によって家の格を示すことは、かつての共同体や村の秩序を安定させるための必要な手段になったと考えられます。

したがって、戒名は純粋な仏教の教えとは全く関係がありません。戒名がないと成仏できないなどというのは迷信です。
もしそれが本当なら、戒名文化のない海外の故人は誰も天国に行けないことになってしまいます。
形式にこだわらず、お金をかけずとも、愛情を持って故人を想い、冥福を祈る。そこに供養の本質があると思います。

現代は、結婚式をあげない夫婦も増えているそうです。形式にこだわらない人が増えてきており、相次ぐ値上げで庶民の生活のゆとりも失われている今、この「戒名」という古い文化も、やはり変化していくのではないでしょうか。事実、保険クリニックが公表した「葬儀に関する調査結果」によると、葬儀の中で戒名を「省略してもよい(不要)」と考える人の割合は、54%にも上っていました。

過剰を削減し、本質を重視する。そうした多くの庶民の価値観に合ったビジネススタイルへ切り替えていくことの中にこそ、現在の物価高と資源不足の荒波を乗り越える鍵もありそうです。


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