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①『(日本人)』橘玲(2012・幻冬舎)/ 統治の論理と市場の論理

これは何を書きたい本なんだろう?

濃密な人間関係のなかで気配りと面子をなによりも優先するのは、中国や韓国、東南アジアのどこにでも見られる文化だ。

p.31

日本人は本当に特別なのだろうか。私たちの社会の文化や習俗、行動規範のなかで「日本的」とされているものの大半は、じつはアジア世界ではありふれたものにすぎないのではないだろうか。

p.32

特別って思うな、我ら日本人はフツーで平凡、ありきたりな民族だぜ!
みたいなこと?
よくわかんないのでとりあえず読んでゆきましょうっ。

つら〜っと読んでて、最初に目を引かれたのがこれ。

富を獲得する2つの方法は、奪うことと交易すること。

ほうほう。そうかも〜。
こういうやつね?

統治の論理と市場の論理は互いに依存し合っているんだけど、バランスを取るのが難しい。
高度に都市化した社会では貨幣空間が拡張し、ベタでめんどくせえ人間関係が消滅してゆくが、ドライも行き過ぎるとツラくなる。“無縁社会”の孤独は社会を不安定化する。・・・・的なことが書いてあります。
で、こう続く。↓

この巨大な潮流に対処するには、原理的にふたつの方法しかない。
ひとつは、貨幣空間の拡張という現実を受け入れ、それに適したルール(市場の倫理)で生きていく方法を学ぶことだ。
もうひとつは、貨幣空間の侵略を食い止めて愛情や友情の共同体を取り戻すことだ。

p.52

市場の倫理の中で生きる方法を学ぶとはーーーたとえば!?

今みたいな時代で困るのは年取ってからですよね。若いうちはどうとでもなる。

老人になり介護が必要となったら、積極的に公的サービスを利用してヘルパーさんを家に入れ、デイサービスを利用し、そのうち観念して施設に入る。ベタな間柄の人間に援助を求めるのではなく、ドライなサービスを利用して最期を迎えろとゆーこととか? 
私はこれしか思い浮かばなかったけど、ここんとこ、橘先生はどーいうふうに考えておられるんだろう。ぜひ書いといてほしかった。

今思い浮かべたようなことが人間の外側への対処だとしたら、内側への対処は?

たとえば孤独への対処法は? 人間は孤独を学ぶことが可能か。
孤独って学びによって乗り越えられたりするものなのでしょーか。興味。

そこでいったん『日本人』をポイして孤独本を探しにゆく。

すぐに借りられたのがこちら。↑
ついでにこれも読んでみよう。↓

なにか面白いこと書いてあるかな??


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