国防の観点からジェンダーを語る③日本国憲法の両性の平等はいつ誰が何の目的で作ったのか

 こんにちは、政治家を夢見るこじらせ主婦のなつこです。

 前回まで2回にわたり、私がアラフォーまで生きてきた女性の実感として、男女平等に働くことは、子どもを産んだ場合に母側の負担が大きく子育てを困難にし、社会全体が衰退する不完全な価値観ではないか?というもやもやの原因を探り↓

女性の生き方へのもやもやの原因を調べていったら、もやもやが消えた話。その①国防という観点でジェンダーを語る。|なつこ@いどばたプラス

メディアや教育から影響を受けて男女平等の価値観ができていったというお話をしました。↓

女性の生き方へのもやもやの原因を調べていったら、もやもやが消えた話。その②国防という観点でジェンダーを語る。|なつこ@いどばたプラス

 今回はその続きで、これらの私の価値観を作り出したメディアや教育の更に元となっている、女性の社会進出を促す制度・政策について考えていきます。

◯1946年 日本国憲法 公布 第二十四条 夫婦が同等の権利を有する 両性の本質的平等
◯1985年 男女雇用機会均等法 
制定・公布 翌年施行
◯1999年 男女共同参画社会基本法 
制定・施行

 これらは、元々誰が、何のために、作ったのかを自分なりに調べていきました。

 まず、憲法の両性の本質的平等は誰が何のために作ったのでしょう?

〇日本国憲法第二十四条 夫婦が同等の権利を有する 両性の本質的平等は、誰が作ったのか?
誰が GHQが草案⇒日本政府が合意⇒議会の議決
何のために 大日本帝国憲法に代わる新しい憲法を作る

 この出来事を私独自の解釈で国家の関係を家族に例えさせてもらいます。

 たくさんの家族同士が大喧嘩(第2次世界大戦)して、勝った家族グループ(連合国側:アメリカ)が勝ち、負けた家族(日本)のルールの新しい案を作り、負けた家族(日本)がそのルールを採用した出来事と言えると思います。つまり、日本の女性が自ら両性の本質的平等を盛り込んだ流れではなく、負けた家族(日本)は、勝った家族(アメリカ)から言われて自分たちのルールを変えざるを得なかったという認識を私個人はしています。

 少し話は脱線しますが、敗戦やGHQによる占領により、戦後に日本では日本が遅れていてアメリカやヨーロッパが先進的で見習うべきという風潮がそもそもメディアにあったと私は思っているのですが、そもそも日本とアメリカという国家についてどういう国なのかということについて下記の歴史の書籍も参考にこう私は考えています。

(参考 仕事に効く 教養としての「世界史」出口治明s-book.net Library Service

 日本は、島国という特性上、海外からの影響をその時々に受け学び変化しつつも、長い伝統の中で独自の文化を育んできた国です。

 一方、アメリカはヨーロッパから海を渡った開拓民が作った新生国家です。戦後のアメリカは強く豊かで見習う部分は多かったと思いますが、そもそもの歴史が浅く伝統という拠り所が少ないため、先鋭的だったり、理想に対して原理主義的だったりする可能性があると私は考えています。

 そして私は、理想、言うならイデオロギー優先の社会にならないよう気を付けて現実の事象を見て問題解決する必要があるいう考えを持っています。なぜなら、イデオロギーが一時的に何かを変えるきっかけを作る場合はありますが、永続的に物事を解決し続けることはできないと歴史を調べて感じるからです。

 例えば、社会主義(共産主義)や資本主義というイデオロギーが一時的に王制を覆したり、経済発展を促したりすることはありましたが、永続不可能であったことが社会主義国家の崩壊や社会主義国家の資本主義化という歴史から分かりますし、資本主義経済も今は機能していますが、資本主義経済の前提である成長拡大を続けることが地球上の資源が限られている中で今後永続不可能であると思います。寧ろ、長期的にみると、社会主義に勝利したとみられる資本主義でさえ、経済格差の拡大を招くなど、人々の幸せを時にイデオロギーは長期的には阻害することさえあると思います。つまり、〇〇主義などの言葉は、実態として何のことかは個別のケースごとに考えなければ結局分からないので、長期的に人々や社会にとって受益が負担を上回る場合があることを認識したうえで、注意深くこういった言葉を使用したほうが良いと思います。

 以上のことから、アメリカ側が作った憲法の草案については、二つの懸念点が考えられます。

 一つは、戦勝国であるアメリカが敗戦国である日本を占領しているという関係上、アメリカ側は日本を連合国側から支配しやすい、より弱い国になってほしいという意図があった可能性があることです。

 二つ目は、アメリカの国家成立の過程からくる懸念として長期的にその考えで大丈夫なのか、原理主義的になりすぎていないか、自由化や民主化といったアメリカにとって理想となるイデオロギー国家を作ろうとした可能性があることです。

 さらに日本国憲法の草案について調べていくと、ベアテ・シアタ・ゴードン(1923~2012)というオーストリア、ウィーン出身、アメリカ合衆国のフェミニストの女性が関わっていました。この方を日本国憲法の男女平等を作った人とその功績を称える論調が多いですが、実は私は「平等」という言葉自体が空虚なイデオロギーではないかと疑っています。

 私は、男性と女性の価値は等しい。ただ、繰り返しになりますが生物的に別々の機能を有しており、生きてきた実感として男性と女性とをみな等しいとは思えません。女性同士でさえ、現実の中ではみな等しいことなかったです。それぞれ特性や能力は多様であるというのが現実でした。つまり、「平等」という言葉は、違うものを等しいとする矛盾を抱えていると私は思っています。人は多様で、その価値は等しい、だったら分かります。ですから、「平等」という言葉を使うとすれば、人は多様である、男女は生物的に違いがある、ただその価値は等しい。という認識をして価値観や制度・政策を作っていかないと、現実から乖離すると思います。

 その前提に立つと、ベアテ・シアタ・ゴードンさんは「フェミニスト」であったのですが、「フェミニスト」という性差別や性による搾取、抑圧から解放され、すべての人が性別に関わらず平等な権利と尊厳を持てる社会の実現を目指す活動自体、長期的視点に立った場合に社会が良くなるか疑問です。そもそも、フェミニズムの目指す社会の前提として、男性が女性を搾取・抑圧しているということがありますが、現実は人によります。男性が女性を搾取しても抑圧してもおらず、逆に男性が女性に保護し得た富を分配して相互に協力していたら、実はフェミニズムという活動の前提が成り立たないということを認識しておく必要があると思います。

 では、そもそも日本国憲法ができる以前に、日本の女性は男女平等などフェミニズム的な流れについてどう考えていたのでしょう。時間を少し遡り、日本国憲法ができるまでのフェミニズムの流れについて調べてみました。

 明治維新で西洋文明が日本に入ってきたことに伴い、1918年~1919年には、働く女性の子育てについて「母性保護論争」があり、その中で平塚明(らいてう)は「国家は母性を保護し、妊娠・出産・育児期の女性は国家によって保護されるべき」という「母性中心主義」の主張をしたのに対し、渡欧体験で自立した女性たちを見た与謝野晶子は「奴隷道徳、依頼主義、婦人は男子にも国家にも寄りかかるべきではない」と批判する主張を展開したそうです。その後、1920年新婦人協会を平塚と市川房江が設立し、女性の地位向上、政治行動の自由、女子高等教育の充実、男女共学を目指して活動したものの、1922年には主要メンバーの事情や内部分裂により解散。市川は別の組織で女性の参政権を求める運動と続けます。その後、前の話に繋がりますが戦後にGHQの占領下に作られた新憲法で「男女平等」が謳われ、その元で女性の参政権が認められることになりました。

 また、日本から視点を広げて世界のフェミニズムの歴史を調べると、第一波(参政権)、第二波(雇用や教育の平等)、第三波(多様性や個人性の尊重)など潮流が存在するそうです。

 その中で「女性の参政権取得」など具体的な事柄を推進する意味では社会的意義があったかもしれません。またフェミストの方々は、社会をより良くしたいと思っていると思いますし、私自身もどちらかというとフェミニズムを学び、信じて実行してきた面もあります。ただ、それが概念として独り歩きした結果、自然の摂理に従った伝統的な家族観を変え、次世代の子どもたちへの負荷を増やすもの、などは注意深く是正する必要があると思います。

 今度は男女平等について宗教や文化の視点から考えてみます。

 欧米を中心とした先進諸国(日本も含む)では、イスラム社会をヒジャブの着用など男尊女卑と批判する論調がありますが、欧米や日本では出生率の低下が深刻化している一方で、イスラム社会では出生率が比較的高く維持されています。

(参考 世界一人口が増えているのはイスラム教徒――若さと出生率の高さで世界を席巻する勢い|ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト

 出生率の高さは、文化・宗教・経済・教育などの複数要素の掛け合わせた結果なので、イスラム社会の方が良い、男尊女卑の方が良いとは言いませんが、実は私は今、インドネシアのジャカルタというイスラム教の方が多い場所で生活しています。男尊女卑と実感することは少なく、女性のお医者さんに会うことが多かったり、家族の繋がりが深く母親に対する敬意が宗教的文化的に育まれていると知ったり、寧ろ女性が大切にされている印象さえあります。これはあくまでも一個人の感想なので他の方々はどう感じるかわかりませんが、少なくとも「男女平等」や「男尊女卑」という言葉で善悪を決める前に、男性と女性、それぞれ生物としての特性に社会制度を合致させていく方が持続可能性の高い社会を作れると私は考えていて、その一つの形がイスラム社会に表れていると思います。

 その辺りの実感を動画にしたものです。↓

 男女平等の価値観の元となった制度の話に戻りまして、1946年に日本国憲法が公布された後、更に1985年男女雇用機会均等法1999年男女共同参画社会基本法が制定されます。

 それらは何のために作った法律なのでしょうか?長くなりましたので、その辺りを次回お伝えできたらと思います。

 私の意見は、豊かさを分かち合う社会を目指して、持続可能な社会に繋がることは促進し、繋がらないことは抑制する、イデオロギーより実感を元に考える、種の保存、子孫繁栄を是とすることを前提に、違和感を感じる価値観や制度を問い直したいと思っています。

 YouTubeや音声配信もしています。よかったら、観て、聞いていただけたら嬉しいです。

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