国防の観点からジェンダーを語る④男女雇用機会均等法は誰が何のために作ったのか

 こんにちは、政治家を夢見るこじらせ主婦のなつこです。

 前回まで3回にわたり、私がアラフォーまで生きてきた女性の実感として、男女平等に働くことは、子どもを産んだ場合に母側の負担が大きく子育てを困難にし、社会全体が衰退する不完全な価値観ではないか?というもやもやの原因を探り↓
女性の生き方へのもやもやの原因を調べていったら、もやもやが消えた話。その①国防という観点でジェンダーを語る。|なつこ@いどばたプラス

 メディアや教育から影響を受けて男女平等の価値観ができていったというお話をしました。↓
女性の生き方へのもやもやの原因を調べていったら、もやもやが消えた話。その②国防という観点でジェンダーを語る。|なつこ@いどばたプラス

 そして、価値観を作り出したメディアや教育の更に元となっている、女性の社会進出を促す制度・政策の元である男女平等の始まりの日本国憲法はGHQが草案を作っていてその意図はどこにあるのか考察しました。↓
国防の観点からジェンダーを語る③日本国憲法の両性の平等はいつ誰が何の目的で作ったのか|なつこ@いどばたプラス

 では、日本国憲法の後につくられた、
◯1985年 男女雇用機会均等法 
制定・公布 翌年施行
◯1999年 男女共同参画社会基本法 
制定・施行
これらの制度は、元々誰が、何のために、作ったのでしょうか?

〇男女雇用機会均等法
 厚生労働省や内閣府男女平等参画局が政策を立案推進していますが、元をたどると国連総会において、1979年に採択された「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」、略して「女子差別撤廃条約」という多国間条約に日本は1980年に署名し、1985年にこれを批准したことで条約の主旨に沿った国内法整備が進められます。

(参考 女子差別撤廃条約全文 | 内閣府男女共同参画局

つまり、
誰が国連
何のために公平な女性の権利を目的に女子差別の撤廃のため
日本国内で男女雇用機会均等法ができたと考えることができます。

 繰り返しになりますが、何のために?の、「公平な女性の権利を目的に女子差別撤廃のため」については、以前の記事にも書いたフェミニズムや男女平等、男尊女卑に対するものと同様の課題意識を私は持っています。

 そもそもこの話は、女子に対するあらゆる形態の差別があるという前提がありますが、それは本当かという疑いがあります。

 少し極端な例ですが、実際身近に男性中心の肉体労働の現場で女性が働いていた話を聞いたことがあり、身体的に劣る女性が男性と平等に扱われることが、状況によっては女性にとってうれしいというよりしんどい可能性があります。そう考えると、社会の中の女性と男性の扱い方の差を女性に対する差別だととらえることは短絡的だと言えます。

 実際、前述しましたが、私自身会社員になった時に自分の結婚出産を見越したときに、総合職で入社しておきながら内心一般職的な働き方をしたいと思いました。実は、出産育児や女性としての身体的ハンデがありながら男性と競走し続けることは長期的には私にとっては茨の道で、実は一般職のように出世競争に入らないことは、女性として身体的ハンデの中無理なく働けたり、出産や育児で休んだり、落ち着いたら復帰したりと、人によっては安心して働ける環境でもあったと私は思います。

 つまり、イデオロギー優先で考えると長期的視野に立った場合に社会的にも女性にとっても受益が負荷を上回ることがあるので、それに気を付けて個別の事象について考えて取捨選択する必要がありますよ、ということです。

 次に、国連について、どのような機関なのか考えたいと思います。

 国連は国際の平和と安全を維持することなどを目的とした機関ですが、成り立ちから考えると、第二次世界大戦の連合国(United Nations)が、戦後に作った組織が国連(United Nations)です。それが日本ではなぜか訳し方が違うので違う組織のように感じますが、元は同じであることが元の英語名が同じであることから分かります。その成り立ちにより、第二次世界大戦の敗戦国の日本やドイツは予算分担率が高くても常任理事国に入れないことにも辻褄が合います。

 実は長期的にみて国連がその目的に沿った機関なのか疑問があります。もちろん、世界平和の実現を目指して努力している方々がいてくださり、良い影響を与えてきた面もあると思います。ただ、女子差別撤廃条約とは話が変わってしまいますが、イラクに大量破壊兵器があるとアメリカと国連軍が行ったイラク戦争で、結局大量破壊兵器が見つからなかったけどアメリカや国連がそのことを詫びて補償することはない、など常識的に考えて国連の行ってきたことに疑問はあります。

 ですから、歴史から学ぶに、国連にも、良い面も悪い面もあり、国連の意見を受け入れるかどうかは自ら考え取捨選択する必要があるという視点に立って引き続き考えていきたいと思います。

 国連憲章や世界の歴史を調べると、素人目ながら、国連という組織がその時々の特に常任理事国の政治的意図によってコントロール可能であること、加盟国に内政干渉できる権限をもっていることが分かります。

 例えば、国連憲章の前文に「共同の利益の場合を除く他は武力を用いないこと」と書いてあります。この共同という言葉の主体を何ととらえるかで意味が如何ようにも捉えられます。国連に加盟しているすべての国であるならば、戦争は国家間の利害の不一致から起こるものであり、共同の利益は成立せず、ほぼ武力を用いないことになります。ただ、共同の主体が常任理事国であるならば、常任理事国が共通して敵だと認識すれば武力を用いて良いことになります。そこが明記していないところや、現実に今まで国連憲章の別の部分などを根拠に軍事介入が行われてきた歴史を見ても、武力を用いないこととしつつも、その時々の政治的意図によって武力を用いることが可能になっていることが分かります。

 また、第一章第二条第1項には、「すべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている」としていますが、これも一見すべての国が平等に扱われそうな雰囲気を出しつつ、平等に「主権」をつけることで、本質的に平等でなくても良い逃げ道になっているように思います。国家としての主権は平等にあります、でも、その影響力は常任理事国と非常任理事国という歴然とした差をつけて扱いが平等でないことは周知の事実ですが、それが見えにくくなるような書き方だと思います。

 そういった現実には国家に対して不平等な扱いをする組織であることをオブラートに包みつつ、第一章第二条第2項では、「すべての加盟国はこの憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない」と、加盟国は国連の決定に従うことを義務づけるような流れが続きます。

 それ以後も、「平和的手段によって国際の平和及び安全並び正義を危うくしないように解決しなければならない」などが続きますが、歴史を見れば、国連は軍事的手段によって紛争に介入してきたことは明らかです。

 このように、日本の教育では国連を第二次世界大戦後に国際の平和と安全を維持することなどを目的としてできた組織だと学びますが、その良い面に加えて、その時々の政治的意図によって結果的に公平でなかったり、常識に照らし合わせて不誠実・不正義だったりすることもあるという認識を新たにする必要があると思います。

 そして、ここまでは国連が軍事的手段により加盟国に内政干渉してきたことを中心に指摘しましたが、「女子差別撤廃条約」も、武力ではない一つの内政干渉であるという捉え方ができるのではないかという私の説を説明します。

 まず、内政干渉について国連憲章では第一章第二条第7項で、「この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7章に基く強制措置の適用を妨げるものではない。」と、内政干渉する権限が国連にないけれど一部その例外を認める内容となっています。

 内政干渉とは、「他国の政治・外交に口出しして、その主権を束縛・侵害すること。」です。これは前に出てきた、第一章第二条第2項の「すべての加盟国はこの憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない」に矛盾していないでしょうか。加盟国が負っている義務の中に国の政治に関わることが一切ない、となれば国際機関として何の影響も持てない事になってしまうので、一見内政干渉しないと言いながら、それに対する抜け道や矛盾する内容を盛り込んで、またその時々の政治的意図によって如何様にも国家の政治に介入可能になっていることが、武力以外の面でも言えると思います。

 以上のことを踏まえて、私は「男女雇用機会均等法」の成立過程をこう捉えています。

 自国の中で男女がどのように家庭を築くのか、どういう価値観を持つのか、そこに影響を及ぼす男女ついて法律をどう整備するのかを決めるというのは、国家の主権に基づく政治活動で、本来そこに口出しするのは一種の内政干渉と言えます。また、「女子差別撤廃条約」は女性に対する男性からの差別があって女性は虐げられているという前提があり、現実は個別の状況に沿って判断しなければならないことを差別と判断してしまう可能性を含んだ条約だと考えます。

 日本はその条約に署名・批准したことで、それに基づいて職場での男女の扱いの差を差別と判断して取り除こうと努力し続けなくてはならなくなりました。

 その結果、「男女雇用機会均等法」を含む女性の雇用を促進する制度政策を進めました。結果、女性と男性の生物的特性と制度が乖離する面や、日本の文化的伝統的な男女観などを無視して男女が雇用上平等でなければならなくなりました。そのことにより、女性は以前に比べて子育てをする余裕が減り、男女を比べられることで家庭内、社会内で男女が対立し協力して子どもを産み育てることが困難になり、またこの価値観や制度は時間の経過と共にメディアや教育によってより深く社会に浸透していきました。結果、得られる社会的利益(女性が仕事で活躍できる、社会全体の生産性が高まる等)があるものの、次世代を産み育てることが困難になる(未婚化、晩婚化、少子化)という社会的負荷が大きくなり、子孫を衰退させることになりました。

 これを、国家を家族として例えるとその異常性に気付きます。ある家族の夫婦関係、男女関係について、よその家族が「差別的だ」と口を出し、その家族のルールをなるべく男女平等にさせる。現実にはその家族間で協力して家庭を運営する上での役割分担であるものもすべてよその家族の物差しで測られて、変えることを義務付けられる。そもそも、家庭や社会の役割というのは公平に分担したほうが一人一人の負担が軽減されて良い面と、役割を分けた方が慣れや熟練によりむしろ作業負荷が下がり、全体としての作業効率が上がる場合があります。全員が平等に農業と漁業をするより、それぞれ役割分担をして収穫したものを分配したり交易したりする方が全体として豊かになれるようなものです。それを場面や内容に応じて採用することができなくなるのが、よその家族からの男女平等という価値観の押し付け、またそれに見合わないものの変更の義務付けではないでしょうか。

 ここで、私が「男女雇用機会均等法」によって、自分たちが衰退してしまうという少し極端な論を展開したその理由をもう少し詳しく説明します。

 今の社会では、男女が雇用上平等に扱われるべきだというのは前提として絶対的のものとして扱われ、非婚、晩婚、少子化の原因は、その女性の社会進出を支援する制度、その理念と実効性とのギャップがあり、制度がそれに追いつかないからだという論調を良く聞きます。また、経済が発展して豊かになり個人主義的になり自立していくことによって、女性が社会進出するしないにかかわらず、自然と出生率が下がった可能性もあるというご意見もいただきました。(ここについては、そもそも個人主義的な思想を日本がアメリカを参考に取り入れたことを考えると、以前の記事で述べたアメリカの思想を受け入れるか取捨選択する必要があるという話にループすることになりますが、いったん論を男女雇用機会均等法による自分たちが衰退するという論の説明に戻します。)

 私はある方が「女性の社会進出は結構なことだが、子ども減らし政策である」とおっしゃっていたのを聞いて自分の経験からの実感としても納得がいったため、そもそも男女を雇用上平等に扱う前提を疑うようになりました。

 その私の実感を女性の妊娠・出産という生物的な機能に伴う労働力の一時的な減少と離脱、女性の妊娠可能性の年齢的変化を根拠に述べたいと思います。

 女性は、妊娠した時点で、約8割ほどの女性がつわりという体の不調を感じるそうです。不調の内容や強さは個人差が大きいのですが、仕事のパフォーマンスは下がることが多いでしょう。大体20代~40代に妊娠すると考えると、その間に特に変化のない男性に比べると仕事のパフォーマンスが下がります。また、子どもを出産すると、母乳とミルクと混合の人も含めて母乳をあげる人が多い(参考20230401_policies_boshihoken_junyuu_01.pdf)ので、その間は一定間隔ごとに授乳をする、それが離乳まで段階的に減ってくるとはいえ、授乳のない男性と同じように働くことは難しいです。この間、市場労働から一時的に離脱、もしくは市場に提供する労働力を男性に比べて減少せざる得ない状況になります。

 続いて、女性の妊娠可能性の年齢的変化についてです。(参考女性の年齢と妊娠 - 神奈川県ホームページ)女性は一番20代が妊娠しやすく、30代は少し下がり、40台はガクンと下がっていきます。つまり、上記のような労働力からの離脱や減少を覚悟して子供を産むという決断を20代以降なるべく早くすることが社会を持続するために必要な出生率を保つために重要です。ただ、20代は仕事で経験を積み成長し、30代はその経験を活かして実績を積む大切な時期です。その時期に、上記のような妊娠~出産で、一人出産するなら妊娠から離乳まで例えば約2年と考えると、二人出産するなら子どもの年齢差にもよりますが約4年、3人なら約6年と、フルに稼働できない時間が発生することは、社会人のキャリアにとって大きなハンデになります。また現実には授乳が終わってからも子どもが自分のことが自分でできるようになるまではサポートが必要です。そこは夫婦で分担する、保育園やシッターさん家族と協力するなどの方法もありますが、引き続き子どものサポートを自ら行うか分担するか外注し、それを運用するという親の役目があり、継続してキャリア形成に不利になる状況が続きます。

 このことから、もちろん、非婚化、晩婚化、個人主義的価値観の広がり、若者の貧困など、出生率の低下の原因は複数の要素があるとしても、これらの要素でさえ女性の社会進出と正の相関があることが予想される項目ばかりで、女性の社会進出が進むと出生率が下がるということは残念ですが因果関係がある私は考えています。

 簡単に女性の社会進出にかかわる制度出来事と出生率の推移をまとめた表が以下です。

1947年 約4.5 日本国憲法施行(男女平等の理念)
1986年 約1.76 男女雇用機会均等法施行
1992年 約1.50 育児休業法施行
1999年 約1.34 男女共同参画社会基本法施行
2015年 約1.34 女性活躍推進法施行
2023年 約1.20 男性育休取得率上昇/子ども家庭庁発足

 もちろん他の原因もあると思いますが、育児休業法などの制度を整えても、どんどん出生率が下がってきている現状があり、法整備が整っていないから出生率が下がっているという論調が強いながらも、出生率が回復していない現状があります。

 また、スウェーデンなど出生率が回復している国においても、実は約20%いる移民の出生数に占める割合が約30%を占めており、移民の増加によって出生率が押し上げられている面も知っておく必要があると思います。また、フランスでも法整備により出生率が押し上げられている面も認められつつも、移民の出生率は非移民の出生率より高いことが認められます。

 日本において、法整備を整えることで出生率が上がる可能性はありますが、移民という民族性・宗教観・文化が異なる人々の出生率の高さを見るに、日本も含めた西欧諸国の価値観に欠陥があるかもしれないと私は思っています。

 以上のことから、私は法整備が追い付いていないから出生率の低下が止められないという論調に、一理あると認めつつも、それだけが原因ではない、元の価値観の部分に問題があるのではと思っています。

 ここまで、私の女性として生きてきたもやもやの原因を、価値観、メディア、教育、歴史、制度、文化比較、いろいろな観点から考えてきました。

 私たちが当たり前のように受け止めている日本国憲法における男女平等も、男女雇用機会均等法も、アメリカや国連の意思がそこには入っています。

 また、そういった流れは一度作られると、時間の経過と共にフェミニズム的方向に進もうとする力が自動的に加速すると思います。それは、フェミニズム的風潮を気にもしていない家事育児に専念する層はそもそも社会の価値観や制度にそこまで興味がない場合が多くサイレントマジョリティになりがちだと思うからです。一方、フェミニズム的意識の高い層は家事育児に専念しない生き方を選んだ場合に思考し行動することに使える時間の余裕が生まれるので声を上げやすくなります。一番特徴的なのはフェミニズムの学者さんやコメンテーター、インフルエンサーという生き方があると思います。また、フェミニズム的思考の強い方が家事育児に専念すると、埋まらない性差に強いストレスを感じるので男性や社会に対する強い批判の声をあげることになり、社会全体としてフェミニズムを推進する流れの方が強くなり、それを受け取った次世代は更にフェミニズム的流れが強化されていくことになります。

 また話が長くなってしまいましたので、今回はここまでとします。

 私の意見は、豊かさを分かち合う社会を目指して、持続可能な社会につながることは促進し、繋がらないことは抑制する、イデオロギーより実感を元に考える、という判断基準の元に価値観や制度を問い直したいと思ってまとめています。皆さんはどう思われたでしょうか?ご意見ご感想などあれば、ぜひコメント欄から教えてください。よろしければ、いいねやフォローいただけたら嬉しいです。

 お読みいただき、ありがとうございました!

いいなと思ったら応援しよう!