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優しさとブレない自分軸の正体

天候が不安定で冷え込む夜もまだまだあるものの、概ね蒸し暑くなり蚊が飛び交うようになった初夏、ふと頭に浮かんでいることがある。

昨冬には(性的な意図の有無を問わず)“手触り” について女性たちから驚くほど褒められる、ということで、「なぜ、自分の手で彼女たちはそこまで安心・興奮してくれるのか」という疑問のもと女性を惹きつけ、感じさせる「手」と題した記事を綴りつつ、曖昧ながらもいろいろと考察を行った。

・「手だけは嘘をつけない」(手にはその人の本性がよーーーーく反映される)
・「女性がよろこぶ手」=「心のゆとりと “真の優しさ” を併せ持つ人の手」

と書いたが、ではその “真の優しさ” とはいかにして養われるのか?
この部分がどうも曖昧というか、うやむやな結論と共に記事を書き終えてしまった気がしてならない。

ゆえに、ちょっとした追記という意味も込めて、この機会にもう少しだけ深めに分析してみたく思う。

これも自慢話っぽく聞こえてしまうかもしれないが、私は幼少期から現在に至るまで
「優しい」「(人の気持ち・痛みが)わかってる」
「媚びない」「ブレない」「達観してる」

などの言葉をよくかけられてきた。

「頭がいい」なんてことも、けっこう多くの人に言われる。

ただ、自分としてはむしろ「オレってつくづく頭悪いよなあ」と感じる場面が生活の中で多々ある。謙遜など微塵もない。
世の中の仕組みに対する理解というか、政治・経済・法律などの話題が出た際は特に。

英語ではよくbook smart(勉学に励んで身に付く論理的な賢さ)とstreet smart(修羅場をくぐって身に付く世渡りの賢さ)などとも表現されるが、私はどちらの種類の賢さも、さほど高いレベルで持ち合わせているわけでもない。
頭が悪い部分はとことん悪いし、恵まれてる部分は恵まれてるかもしれない。

ただ一つ言えるのは、これまでの人生を簡潔に要約するならば「忍耐と心労の連続」だった。

自己紹介の中で触れさせてもらったが、少年時代の私は「この世の全人類に呪われてる」と妄想…いや、本気で想像していた。
とにかく生い立ちから、人間の嘘や欺瞞や愚かさ、表裏というものを、まざまざと見せつけられてきた。

・だからこそ、どうしたら自分の欲を満たせるか、どうしたらストレスを溜めずに過ごせるかを、人並み以上にとことん考える。

・その結果「真に自分の欲を満たす、楽しく幸せに生きるためには、つながりたいと願う相手の欲やニーズも満たす必要がある」という理に行き着く。

・そのために、善悪の概念を超えて物事をありのままに解釈するよう努める。

人様のおっしゃる "優しい" "ブレない" などの要素がもし私の中にあるとするならば、これこそがその正体であり、ひいてはポリアモリーという生き方を選択する理由でもある。

あくまで "自己分析" にすぎないが、それは別に頭がいいわけでも、何らかの能力が高いわけでも、優しくしようと思って優しくしているわけでもない。

これまでずっと他人軸で生きてきたがゆえに性や対人関係に悩める方々は多いと聞く。
そんな場合は、少しばかり立ち止まって、己を深く知ろうと努めることで、"優しい" 自分を誇れるようになれるかもしれない。

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#創作大賞2026 #エッセイ部門

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