【字は体を表す】本当は「体は字を表す」のだと~字を変える究極の方法~
20才前後の頃
まさに自暴自棄を体現していた時
私は加藤諦三さんの本を読みあさっていました。
『人生の悲劇は「よい子」に始まる』に代表されるように
「良い子」で育つことの危険性に関する本が多く
自分がそうだったため
そんな本ばかりを読んでいました。
ある本の冒頭に書かれていた言葉で
一瞬で心が救われた一言があります。
「そもそも
この本を手に取り読もうとしているあなたは
性格が悪くない」
というような一文でした。
本当に性格が悪い人は(そう他人に映る人は)
そもそも
その自分に気づいてさえいなく
だから
それを直そうともしない
変えようともしないから変わらない
本当に「それ」に気づいていない人は
そこに興味すら沸かず
自分を省みることもなく
そんな本を読もうとすることはない、のだと。
「字は体を表す」「書は人なり」
と言われますが
ちょっと気づいてしまったことがあります。
「そういう字ってことはそういう性格なんだね。」
ではなく本当は
「そういう性格だからそういう字なんだね。」
の方が
きっと表現として真理に近いのではないかと。
「字は体を表す」なのでなく
「体は字を表す」が的確な表現なのではないかと。
もっというと
「性格が変われば字も変わる」
のではないかと思いました。
もし
字が変われば性格も変わるなら
性格が変われば字も変わる、
性格が変わって
そこで初めて字が変わっていく
つまり
字を変えたければ
性格を先に変えてしまえばいいのではないかと…。
なんとなく気付いてしまいました。
習字教室や書道教室に通うメリットとして
集中力がつく
忍耐力がつく
落ち着いた性格になる
礼儀作法が身に付くなど、
言わば非認知能力の習得について言われますが、
習字(書写)教室や
書道教室に通う子ども(その親も、大人も)は
そういった非認知能力は
すでに身に付いている、
「だから」
字をきれいにしようと思う
教室に通おうと思う
そういった性格の「後の」その字なんだと
気づいてしまったような感じがしています。
ということは
究極の究極…
身も蓋もないような結論ですが
字をきれいにしたければ
「まず、その性格をなんとかすればぁ~❓️」
「性格を先に変えた方がいいんじゃない❓️」
なのかもしれません。
「その歪んだ性格をそもそも何とかしたらどうですか❓️」
(言い方言い方…)
字を整えたかったら性格をまず整えて
字をきれいにしたかったら
性格をまずきれいにしてください。なのかぁ…
書写の指導者として、
また、「あるまじき」の発動…
だとしたら
私は何の先生になるべきなのか、
と考えさせられます。
字を変える究極の方法が
性格を変えることになるなら…
私は…いったい…
「あの…そういうのはいいから
現実的に字を変える方法を論理的に教えてもらっていいすか」ですね…
はい。
字に関しては理詰めの鬼なので大丈夫です。
それはちゃんとやります。
失礼しました。
ふと気づいてしまった「体が字を表す」論を語ってみました。
「性格が歪んでしまっているなぁ、と感じる人で
字がきれいな人」に
会ったことがある人がいたらご一報ください。
そう考えてみると
私の人生にはいなかったかなぁ…と思いますが
ただ覚えていないだけかも…。
はい、すみません、
0.1ミリの誤差を許さない理詰めの鬼に戻ります。
