山下裕二『未来の国宝・MY国宝』(3)


続きです。

作者の、作風の幅が分かる作品。

雪舟『四季花鳥図屏風』

自分の勝手な思い込みではあるんだけど、雪舟というと、先の『慧可断臂図』みたいな仏画、でなければ禅寺の奥にある白黒の水墨画、といった思い込みがあった。
なので、この四季花鳥図は、鶴はいるわ鷺はいるわ花は咲いているわ、なんて華やかな作品だろうという点で、ちょっと意外な感じ。自分が知らなかっただけなんだろうけど。
背景が完全に唐様の山水画なんだよなあ。松の樹もそうだ。
だけど、鶴とかその足元の草なんかは、やまと絵っぽい。

狩野元信『四季花鳥図』

雪舟の『四季花鳥図屏風』が、漢画にやまと絵の要素が入り込んでいる作品だとしたら、この狩野元信『四季花鳥図』は、漢画とやまと絵が融合した段階。

辻恒雄『最後に、絵を語る。』で指摘されていた、漢画とやまと絵の「和漢融合」による狩野派の成立。コレがまさに、その作品そのもの。
国宝が、日本の美術の移り変わりの標なら、狩野派の成立を示すこの作品は、確かに外せない作品。

酒井抱一『夏秋草図屏風』

酒井抱一には、尾形光琳による俵屋宗達『風神雷神図屏風』の模写を、さらに摸写をした作品がある。
この『夏秋草図屏風』は、その酒井抱一『風神雷神図屏風』の裏に描かれていたものだという。そちらの背景が金だから、こちらは銀。風神雷神に対応して、風に吹かれる秋草と雨に打たれる夏草を描いたもの。
このあたりの、作品の響き合う感じは、この本で山下氏も書いているし、小林泰三『はじめから国宝、なんてないのだ。』でも触れられていた。

狩野元信を、漢画とやまと絵を融合させ、狩野派を始めた存在とするなら、酒井抱一は、琳派と狩野派を融合させた、狩野派の爛熟期を示す存在と言えるのかも。

葛飾北斎『西瓜図』

不思議な絵。
「ぶら下がる西瓜の皮は七夕飾りの見立てである」など、色々な解釈ができるのが面白い。そも、西瓜の皮をこんな風に剥くかしら? 干瓢でもあるまいし。
下の、真っ二つに切った西瓜に、薄布か紙が被せてあるのもよく分からない。上に包丁が置かれている。まるで三宝の上に置かれた短刀。切腹でもするのかしら。菜切では無理だろうに。
その包丁の柄や、クルクルと巻いた西瓜の皮に、特に目立つのだけど、色の濃淡や陰影による立体感の表現が凝っている。浮世絵では、ついぞ見ない描き方だ。こんな表現をする当時の絵師と言えば……葛飾応為くらい。

国宝を権威と考えた場合、ふさわしくないというか、北斎の方が断ってきそうですが、こういう表現が存在したと言う事には、それに匹敵する意義がある……そんな作品と言えそうです。

鏑木清方『一葉女子の墓』

小説『たけくらべ』の主人公の美登利が、その作者、樋口一葉の墓にもたれかかっているという、現実と虚構が交錯する作品だという。墓石と共に胸に抱いているのは水仙の造花。
『たけくらべ』のラストシーンに出てくる小道具。
吉原に生まれた美登利が、まだ島田に結わぬ子供のうちに、年上の男性に憧れたり、幼馴染とすれ違ったりするお話。島田髷に髪を上げる日、門前に造花の水仙が添えられていた。さて贈り主はだれだろう……というエンディング。

この水仙の造花が、いったい何をしめしているのか。
それは謎として、今でも『たけくらべ』を読んだ読者の間で議論の尽きないところだそうで。
ちなみに自分は……そもそも旧字旧仮名の文章からして、ちゃんと読めなかったので、何とも言えません……

この美登利さんは、いくつくらいなんだろう?
もう島田の髷もなじんで、それなりに酸いも甘いもかみ分けた女性になっているようにも見えるし。肌は滑らかに、白く塗られているけれど、眉根やこめかみにポウッと朱が映えるあたり、まだ若いようにも思われる。

美登利が樋口一葉を訪ねて来たのは、ラストの謎めいた造花の水仙に込められたメッセージについて、分からないから教えて欲しいと来たのか、それとも、女性として生きた結果、自分なりに理解した事を報告に来たのか?

鏑木清方の描き込んだ謎めいた象徴が、さらに解釈を難しくしている。美登利の着物は、赤とんぼが舞う秋草の柄? そも、墓場に散り敷いたモミジやイチョウの落葉も、もう濡れて茶に黒に色を変えている。薄暗がりの空に、爪跡のような三日月はやたら大きい。線香の煙は、水紋のように流れて、大きく曲がるところで、なぜか浮かぶ蓮花のように光を放っている。

浮世絵の美人画など、以前には絶対に扱われない、メッセージ性と表現方法。人々が、個人の自意識というものを持ち始めた、明治時代だからこその作品。文学との共鳴という点においても、外せない作品でしょう。

『侘び寂び』の対極のこと。

戦国時代『かるかや』『つきしま』

『かるかや』って何かしら……刈萱道心? 息子が石堂丸……ああ、婆ちゃんにもらった絵本に、そういうのあったわ!

妻子を捨てて仏道に入った刈萱道心、訪ねて来た息子の石堂丸に、お前の父は死んだと別の墓を見せる。悲しんだ石堂丸は自分も出家して父の弟子となり、最期は二人で浄土に行きました。どこがいい話なのかよく分からない仏教説話。

いや、現世の繋がりよりも仏との結縁が大切って事だろうけど、それが現世で大受けして、こんな冊子まで作られてしまうんだから、よく分からない。
そういえば自分がお婆ちゃんにもらった絵本も、お寺さんの屋台で売ってたヤツだったなあ……もちろん、ISBNなんかついてない。泥絵具で描かれた、洗練されているとは、とても言えない絵だったんだけど、妙に気になる絵だった。

寺社や御殿で使われる、障壁画や絵巻物ばかりが日本美術ではない。庶民が消費する絵画、というものも当然ある。というか、浮世絵とかはまさにそうなんだけど、江戸期に入って浮世絵が流通する以前、庶民は絵画と全く無縁だったか? というと、そういうワケでもなかった、という事か。

でも、庶民が日常で楽しんでいるモノというのは、失われやすい。石堂丸の絵本もどっか行っちゃってるし。この『かるかや』『つきしま』は、そんな中で奇跡的に残ったものなのだろう……ホント、よくまあこんな、ヘタクソな絵を残したもんだなあ……
しかし、ただのヘタクソと言って済ますには惜しい、妙な魅力があるのは確かだ。しかし、アウトサイダーアートというほど、日常から離れてはいないし、キッチュというほどドギツくないし、ヘタウマというのは、ホントは上手い人が下手に描くことだし。

もう少し時代が下ると、大津絵などが出てきて、浮世絵も出てくる。この冊子本は、それ以前の庶民の芸術、という把握でいいのかな? そういう存在があること自体、自分も全く気にしていなかった……このあたりのこと、もっと勉強したいなあ。

白隠『達磨像』『隻履達磨図』

このへんの、ガッツリ描き込まないというか、パッションに任せて描くというか、筆を振り回して、墨の跡がシューッと伸びていく、紙が水を吸ってジワーッとにじむ、そのことそのものを面白がっているような、そんな絵との付き合い方、そういうのは、やっぱり禅画あたりから始まっているのかな?
禅画の代表格なのが、達磨さんの絵。ここではさらに、白隠慧鶴の『達磨図』を挙げる。

この本に載っているのとは違うけど、白隠の達磨図はこういう感じ。雪舟の『慧可断臂図』とはずいぶん違う。いや、雪舟のアレも禅画ではあるんだけど。
アチラは、慧可の切り落とした腕の断面の赤さがとか、達磨大師は衣文も描かれず、その身が白抜きになっているのは「空」を体現している事の表現かしらとか、色々と頭で解釈できるんだけど、コッチの白隠のは、もう……
達磨さんがドーン!
である。
目の前でいきなり、パン! と手を打ち合わされて、ハッと悟る。そういうアレじゃないですか。

ドーン! じゃなくて、コチョコチョくすぐってくる感じなのが仙厓義梵。

理屈で読み解いていくのではなく、筆を通して現れた感情や雰囲気を味わう……日本は、他国に比べて絵を描いたり見たりする割合が非常に多いと思うんだけど、それはこのあたりで、日本独特の「絵との付き合い方」が産まれたせいじゃないか、なんて思う。
どうやって確かめればいいのかよく分からない。
ただこういった「理屈やらなにやらはさておいて、心にまかせて絵を楽しむ」というスタンスは、禅画以外にも広がっていった事は間違いないと思う。
みんな大好き耳鳥斎とか。

曽我蕭白『群仙図屏風』

そんな、描き手は自由に感情を乗せる、観る者の感情の受け皿になるという、美術の在り方が広まれば、それが本格的な絵師や画壇に逆輸入されないはずもなく。

そこから生まれる様々な流れについて。
ちょうど、安土桃山から江戸へと時代が変わっていく頃だ。
将軍家御用達の狩野派が、日本の美術の本流として成立し「正しい」絵画の在り方が、型として定まっていく。
そして、そこに収まる事ができない絵師が、オリジナリティのあふれる世界を創る。
それは伊藤若冲だったり、長澤蘆雪だったり。

そのあたりを扱ったのが、この本の著者の山下裕二氏の師匠に当たる辻恒雄氏の『奇想の系譜』なのだそうだ。
未読でしたので、コレから読みます。

この本で取り上げられているのが、その中でも曾我蕭白だというのが面白いですね。蕭白のこの大胆な構図、えげつないほどの描写、こういった流れは、国芳や、もちろん北斎にも繋がっていく。ともすれば岸田劉生の「デロリ」にまで至る。そんな衝撃の画家だ。

狩野一信『五百羅漢図』

狩野一信という名前から、狩野派の一人かと思ったら、狩野でも末端で、ほぼ町絵師ということだった。狩野を名乗った事もないという。それでも狩野派ではあると思うんだけど、どうしてこうなった。
蕭白から百年後。山下氏の解説によると、五百羅漢図は、北斎や国芳のエッセンスも取り入れた、デロリの集大成のようだ。デロリという言葉ができるのは五十年くらい後だけど。
自分はまだ、この眼で見ていないので、明言はできないんだけど。なんでも百枚もあるらしい。
この本の図版を見る限り、油彩画みたいな絵もある。それも、十五世紀末北方ルネサンスあたりの暗いヤツ。

鈴木其一『夏秋渓流図屏風』

狩野一信が北方ルネサンスなら、こっちはナビ派ですか?
ヴィヴィッドな単色の大きな面で構成されている。
下手すりゃマティスまで行く? そこまでは行かないか。
酒井抱一の家臣だとか。酒井抱一の風神雷神は、確かにそれ以前の俵屋宗達や尾形光琳に比べて、色のヴィヴィッドな感じが、段違いにキリッとしていた。
それをさらに過激にしたような色遣い。

俵屋宗達の『松島図屏風』、狩野山雪の『老梅図襖』あたりと比較すると、なんとも隔世の感がある。

河鍋暁斎『新富座妖怪引幕』

狩野一信や鈴木其一が、明治維新前に絵画表現か行き着いた、描法や色彩の究極だとすると、河鍋暁斎のコレは、描かれるキャラクターの究極かもしれない。

葛飾北斎『神奈川沖浪裏』が、明るい世界の浮世絵の代表なら、こちらはドロドロした情念の世界の浮世絵の代表だ。
「侘び寂び」ばかりが日本の美の基準ではない。こういう泥臭い、生々しい世界への執着も、まちがいなく表現の源流として存在する。

『国宝』に何を望むのか?

この四月から六月に、国宝に関する、大規模な展覧会がいくつも開催されました。日本という文化圏が、どのような美意識を繋いできたのか。それを振り返る、素晴らしい機会だったと思います。

しかし「日本文化はこのように変遷してきました」という解釈は、ただ一通りでは済まないはず……自分の美意識や価値観の土台になっている、歴史や文化とは? その解釈は、人の数だけあるでしょう。
国宝は、その文化や歴史を、国という単位で量る場合の目安なのだろうと思います。国とは何か、国民であるとはどういうことか。それは政府に従う事でも、他の国民や民族を排除する事でもないでしょう。

この本では、山下氏はその独自の日本の歴史、文化史、美術史の解釈を基に、自分なりの国宝を提案されました。
自分の拠って立つ歴史と文化を振り返ることで、自分自身をも振り返るために、各自、自分なりの国宝を考えてみるのは、きっと有意義な事でしょう。

まさにそのために、四月から六月にかけての国宝展のアンサーのような展覧会が、大阪中之島美術館で開催されているとか。
行きたいけど……行けるかなあ……

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