第32回:ゆっくり歩くのは難しい 〜カナダの森で見つけた思考の「余白」〜
私は健康維持のために定期的なウォーキングを習慣にしていますが、最近は特にその「瞑想的」な効果を実感しています。日々の生活ではパソコンやスマートフォンの画面を見る時間が長く、思考が細切れになりがちです。だからこそ、画面を離れて歩く時間は、私にとって極めて重要な意味を持ちます。
1. 忘れられない、カナダのサンクスギビングデー
「歩くこと」の真の価値に気づいたのは、カナダでの留学時代でした。着いて3ヶ月、まだ現地の生活にも英語にも慣れず、緊張の連続だった私と家族を、ラボのボスがサンクスギビングデー(感謝祭)のパーティーに招いてくれたのです。
サンクスギビングデー(感謝祭)とは?
カナダでは毎年10月に祝われる、秋の収穫を感謝する国民的な祝祭です。
家族や友人が集まり、七面鳥(ターキー)のご馳走を囲む大切な
一日です。
豪華な七面鳥の食事を楽しんだ後、ボスは「デザートの前の腹ごなしに歩こう」と皆を誘いました。家から10分も歩けば、そこは日本では想像もつかないような広大な森。葉の隙間から射す光、ひんやりした風、土の匂い。
ボスは「こうして歩くことで、私は大切な考え事をしているんだ」と語っていました。カナダの人々が大自然の中で自分と向き合う時間を大切にする姿は、効率を追い求めていた私にとって衝撃的な光景でした。
帰国後、私は自宅近くの公園の一角にあの森の面影を見つけ、今でも定期的にそこを歩いています。また、他の場所でも、自然の中で歩く、という時間を意識的に作るようにしています。
2. 漂う思考が生む「ひらめき」
ゆっくりと歩き、日々感じることのない季節を感じながら周囲の風景に身を委ねていると、日頃の喧騒で埋もれていた断片的な思考が浮かんできます。それらを強引に繋ぎ合わせようとせず、自然の赴くままに漂わせていると、不思議とこれまでにない「ひらめき」が降りてくることがあります。
水泳やジョギングのように一定の負荷をかける運動とは異なり、歩くことは脳に過度な緊張を与えません。この「緩やかさ」があるからこそ、創造的な思考が入り込む隙間が生まれるのです。その意味で、歩くことには他の運動とは違う特別な意味があると思っています。
3. 「思考の没頭」という罠
しかし、この「ゆっくり歩く」ことには難敵がいます。それは、考え事が深まると、いつの間にか歩行速度が速くなってしまうという現象です。
ふとした「ひらめき」をきっかけに思考が加速し、いつの間にか仕事や課題の解決に没頭してしまう。すると、さっきまで感じていた風景は意識から消え、気づけば気持ちが昂り、早足で突き進んでいる自分がいます。リラックスのために始めたはずが、脳がいつの間にか「戦闘モード」に入ってしまっているのです。
「あ、いけない。今はリラックスして歩くんだった」
そう気づいて我に返り、意識的に速度を落とす。この「自制」のプロセスこそが、実は精神的なバランスを整えるための最も高度な訓練なのかもしれません。
あわせて読みたい
