おくり人〜栞〜の あとがき
『おくり人〜栞〜』全30話を書き終えました。
この物語になるベースは、私の大切な人が書いた日記です。
そして…最後まで書き終えて……
改めて物語を最初から眺めてみると、自分で書いたにも関わらず不思議な感覚があります。
この物語は、栞が「おくり人とは何か」を理解していく話だったのだろうか?
そう考えてみると……少し違う気がしました。
栞は最後まで、たくさんのことを理解していません。
葬儀とは何なのか?
正しい送り方とは何なのか?
人は死んだあと、どこへ行くのか?
誰かを忘れるとは、どういうことなのか?
自分にとって、この仕事とは何なのか?
それらに明確な答えが出ないまま、物語は閉じます。
それは、この物語のベースになる日記には記されていないし、日記を書いた本人も未だに結論を出していません。
それでも…最後に栞は、綴30『私…おくり人、栞ですから!』で栞自身そう名乗りました。
もしかすると……物語で栞が手に入れたものは、「答え」ではなかったのかもしれません。
その代わり…分からないものが残っていても、そこから離れずにいられること。自分が立っている場所を、一度だけ自分の言葉で引き受けること。
そんな小さな変化だったようにも思います。
振り返れば、この物語には、様々な「正しさ」を描きました。
葬儀会社には、仕事としての正しさがある。僧侶には、宗教や伝統を守る正しさがある。遺族には、その人らしく送りたいという願いがある。
現場には、時間や技術や段取りがある。
そして……それぞれの人物にも、それぞれの事情があります。
その輪郭を最も強く描いたのが綴14〜16『赤い薔薇』でした。
赤が正しいのか?
白が正しいのか?
伝統を守るべきなのか?
故人の願いを優先すべきなのか?
けれど、出来上がった祭壇は…そのどちらかだけを選んだものではありませんでした。
白い菊と百合。赤い薔薇。そして、故人の写真から仏像へ向かって、色がゆっくり溶けていく。
書き終えた今、物語そのものにも少し似ていたように感じます。
正しさと正しさの間に、どちらでもない形が生まれる。そんなものを、栞は何度も目にしてきました。
私自身、現実の社会で生きていくうえで…似たような矛盾を感じることも…それを抱えたまま、それでも今日を生きている…そう感じます。
そして、物語の中で繰り返し登場したものもあります。
『花』
最初の栞にとって、花は仕事でした。
挿し方があるし、技術差がある。そして、時間内に仕上げなければならない。
けれど『赤い薔薇』では、花はただの仕事道具ではなくなりました。
故人の願い、遺族の想い、寺の伝統、現場で働く人たちの判断。
その間に置かれた花を見ながら、私自身も「花は何を表しているのだろう?」と考えていました。
『煙草』も、何度も何度も描きました。
物語の前半で、栞にとって煙草は不快なものでした。
そして、その煙草を最も強く印象づける夏帆は、質問に答えず煙草ばかり吸っている。さらに、職場には煙草臭い人が多いです。
……ところが終盤。
姉が倒れた病院から帰る車の中で、夏帆の煙草の煙が後部座席へ流れてきたとき、栞はそれを「ほんの少し、いい匂い」と感じます。
煙草そのものは、何も変わっていません。
変わったのは…そこに結びついている時間や人との関係でした。
神代朔との距離もそうでした。
少し離れて歩く二人。歩幅も違う。さらに、近づいたり…離れたりする。
親しくなったからといって、その距離がゼロになるわけではありません。……それでも、離れすぎない。一緒に歩ける。
人との関係は、近ければ近いほど良いものなのだろうか?
この二人を書きながら、そんなことも考えていました。
そして、「送る」「迎える」「帰る」という言葉。
最初は、葬儀の仕事にある言葉でした。
亡くなった人を迎えに行く。
最後を送る。
見送る。
物語の終盤、その言葉が少しずつ日常へ滲み出していきます。
姉が倒れたことで、栞は初めて「迎えに行かれる側」へ、大切な人を重ねます。
こうして、綴24・25『合コンとギルガメシュ叙事詩』を経て、綴29『帰る。…と、言うこと』で、神代は不死を求めたギルガメシュについて語ります。
「でも……帰ったんです」
どこへ帰ったのか?
彼にも分かりません。
栞が「どこに?」と尋ねても、神代は……
「分かりません。分からないけど……ひとつの場所では…無いと思います」と答えます。
帰るとは、場所へ戻ることなのか?
誰かが自分の帰りを気にしていることなのか?
……その答えも、この物語では出していません。
ただ、それらの言葉を同じ物語の中に並べました。
もう一つ、書き終えてから気づいたことがあります。
栞は最初「分からない」ことを嫌っていました。
説明してほしい。
意味を教えてほしい。
夏帆が何を考えているのか分からない。
館長も説明してくれない。
姉の言葉も意味不明。
……だから、苛立つ。
綴9『飲めなかった珈琲』でも、夏帆から「それは、お嬢ちゃんが後から考えな」と言われた栞は「何なのよ!皆して!」と苛立っています。
けれど…中盤から少しずつ「分からない」の形が変わっていきます。
住職にも答えがない。
仏像は何も答えない。
夏帆も、すべてを説明してくれるわけではない。
神代も、自分の話していることを「僕も分かりません」と言う。
……それでも、その場所から離れません。
分からないから……見る。
分からないから……読む。
分からないまま……一緒に歩く。
物語の最初にあった「分からない=誰か説明して」という感覚が……「分からない=もう少し見ていてもいい」という場所へ、ほんの少し動いたように感じます。
こうして並べてみると、物語で変わったのは、花でも煙草でも…死でも、距離でもなかったのかもしれません。
それらと栞との関係が、少しずつ変わっていった。そして、世界そのものが別物になったわけではなく……栞が突然、達観したわけでもありません。
館長は相変わらず館長です。
山本は山本です。
夏帆は説明してくれません。
黒澤信孝は怒鳴ります。
べーさんは振り回されます。
誰かが亡くなれば、次の葬儀があります。
供花を作って、運んで……。
それから花を挿して、また片付ける。
翌日には、別の仕事が来る。
人生は、大きな事件よりも繰り返される小さな……変わり映えのない日常のほうが、ずっと多い気がします。
だから…最終話も、大きな答えでは終わりませんでした。
いつもの仕事場で、いつもの人たちに囲まれて、栞が初めて自分から名乗っただけです。
「おくり人、栞ですから!」たった、それだけ。
でも、30話を書き終えた今は、その「たったそれだけ」が……必要だったものなのだと思っています。
この物語には、館長、吉村、べーさん、山本、黒澤信孝、夏帆、岩田、中井美樹、住職、白石奏、神代朔、未保……たくさんの人物が登場しました。
誰か一人が、栞へ正しい答えを教えたわけではありません。
それぞれが、それぞれの生き方や仕事の仕方を見せて、栞の前を通り過ぎていきました。
その断片が、栞の中へ残った。だから、この物語は「誰かに教えられて成長した主人公」の話でもないのでしょう。
いろいろな人と出会い、よく分からないものに触れ、時には腹を立て、怖がり、笑いながら、それでも世界との接続を切らなかった一人の女性の話。
今は、そんなふうに眺めています。
そして、物語の最後に書いた…
〜Not even a prologue.
And yet, this is where the story begins.〜
『プロローグですらない。
それなのに、ここから物語が始まる。』
30話も書いておいて…何を言っているの?
自分でも思います。
でも、栞が初めて「おくり人」と名乗った場所を本当の始まりにしたかった。
ここまで読んでくださった方が、それぞれ何を持ち帰ったのか……
それは、私には分かりません。
赤い薔薇かもしれないし、煙草の匂いかもしれない。
誰かとの距離かもしれないし、「帰る」という言葉かもしれない。
あるいは、何も持ち帰らなかったかもしれません。
それでも、この物語のどこかで少しだけ立ち止まってくださったなら……
その時間まで含めて、『おくり人〜栞〜』だったように思います。
ここまで、栞たちと一緒に歩いてくださり…
ありがとうございました。
そして、私の大切な人の日記は…まだまだ続きがあります。とても…泥臭くて、想いがギッシリ詰まってます。
私は日記に絡まった想いや感情を…ゆっくり紐解きながら、また栞の物語を綴りたいと思います。
