見出し画像

60年前に笑われた『草』。新国立競技場や甲子園で使われる芝生になった理由【いいものインサイト #6】

地方にはまだ知られていない価値がある。

この価値を広く紹介していく記事を【いいものインサイト】としてシリーズ化していきます。

前回記事は星空舞でした。

いいものインサイトのマガジンはこちら


鳥取に住み始めて、しばらく経ったころ。

ふと気づいたことがあります。鳥取の施設には、やたらと芝生が多い。公園、保育園、スポーツ施設。足元に広がる緑を踏みながら、「なんとなくそういう文化なのかな」と思っていました。

でも、それは「なんとなく」ではありませんでした。

鳥取の芝生は、約60年前から意図して積み上げてきた産業と、「芝生は市民のもの」という哲学の結晶だったのです。


昭和33年(1958年)「食べ物でもないものを育てている」という批判から始まった

鳥取の芝づくりは、ある農家の決断から始まったそうです。

大山の火山灰でできた黒ボク土に目をつけた先人が、福井県から種芝を導入したのが昭和33年のこと。サツマイモにかわる換金作物として、芝の栽培を始めました。

当初の評判は良くなかった。「食べ物も作らずに、草を育てている」。そんな批判めいた声があったといいます。

ここで重要なのは、それでも続けた、という事実です。食べられないものを育てることへの批判は、どの時代にも、どの業種にも訪れます。「なぜそれが必要なのか」という問いに数字で即答できないものは、いつも最初に笑われる。でも鳥取の農家は、やめませんでした。常識の外にある選択こそが、やがて産業の柱になることがある。鳥取の芝は、その最初の証拠です。


昭和40年代〜平成6年(1994年):笑われた草が、県内最高の生産額へ

昭和40年代に入ると、状況が一変します。

芝は高収益作物として注目され始め、野菜や花き類を抜いて鳥取県内で最高の生産額を記録するようになりました。昭和43年(1968年)には県芝生産指導者連絡協議会が発足し、生産技術の向上と栽培管理の体制が整います。平成6年(1994年)には作付面積が1,511ヘクタールというピークを迎え、全国のゴルフ場や公共工事の法面(のりめん)に鳥取の芝が届けられるようになりました。

注目したいのは、この拡大が「スピード重視の戦略」で生まれたわけではないという点です。土づくり・品種選定・技術継承を地道に積み上げた結果が、30年かけて数字に現れた。バズって広まったのではなく、品質が信頼を呼んだ。それが鳥取の芝産業の骨格でした。SNS時代に「短期で結果を出す」ことが美徳とされる中、30年かけて積み上げた土台の方が、ずっと遠くまで届くことがある。


令和元年(2019年):鳥取の砂丘で育った芝が、新国立競技場に敷かれた

令和元年(2019年)、鳥取県琴浦町に本社を置く芝生産・販売会社「チュウブ」が、東京オリンピック・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の芝として採用されました。

約7,600平方メートルの芝が、30台のトラックに分乗して鳥取から東京へ。各車両にドライアイスを積み込み、鮮度を保ちながら運ばれ、現地到着後すぐに敷き詰められました。

それだけではありません。甲子園球場、マツダスタジアム(広島市)。ラグビーワールドカップ日本大会では全12会場中4会場に鳥取の芝が使われています。同社の小柴雅央社長は「国立競技場に採用されるのは、芝の日本代表ということ。鳥取県産の優秀さを証明できた」と語っています。

ここで重要なのは、砂丘という「鳥取ならでは」の土地条件が、むしろ競争優位になっているという逆説です。農業に不向きと思われていた砂丘の細かな砂が、水はけと回復力に優れたスポーツ用芝の最適な生育環境になっていた。弱みだと思っていたものが、60年という時間をかけて強みに変わっていた。


2003年〜:「芝生は高価で大変」という固定観念を壊した一人のニュージーランド人

産業としての芝だけではありません。鳥取には、芝生を「市民の日常」にしようとした人物がいました。

ニール・スミスさん。ニュージーランド出身の、鳥取在住ラグビー愛好家です。2003年、「ラグビーができる広大な芝生を自分の身近に作りたい」というごくシンプルな動機から、鳥取市湖山池のほとりに芝生広場「グリーンフィールド」を作りました。

この取り組みが、のちに「鳥取方式®」と呼ばれる手法の原点になります。

鳥取方式が覆したのは、ふたつの固定観念でした。「芝生は維持管理に手間がかかり、高価なもの」という思い込みと、「校庭や公園は行政が作るもの」という発想です。NPO法人グリーンスポーツ鳥取・鳥取市・市民の三者が連携し、ポット苗の移植作業を市民が自ら行い、芝刈りロボットと自動散水システムで維持コストを下げる。この仕組みにより、鳥取市内の保育園の約9割の園庭が芝生になりました。

この取り組みの動機が「まちのため」ではなかった点は、特筆すべきポイントと考えています。ニールさんは最初、「自分がラグビーをしたかった」だけでした。「社会課題を解決しよう」という大きな目標より、「自分が欲しい環境を自分で作る」という小さな確信の方が、長く続く変化を生むことがある。それが鳥取の芝生化が証明していることです。


現在:サッカークラブまで芝を育て始めた

この流れは、今も続いています。

Jリーグクラブのガイナーレ鳥取は、スタジアム運営で培った芝の生産ノウハウをもとに「Shibafull(しばふる)」という芝生産事業を立ち上げました。地域課題となっている休耕地を有効活用し、サッカー用途に限らずさまざまな種類の芝を生産・販売しています。サッカークラブが農業に参入する。一見すると「なぜ?」という組み合わせに見えますが、足元に60年以上の芝産業の蓄積があったからこそ成立する話です。

SNS時代に多くのスポーツクラブは「認知拡大」「バズるコンテンツ」に投資します。でもガイナーレが選んだのは、足元の土を耕すことでした。環境が先にあったから、次のプレイヤーが参入できた。文化は先人の積み上げの上に、新しい担い手が乗ることで続いていく。


ブランドは「見せ方」ではなく「環境の設計」から生まれる

鳥取の芝の歴史をたどると、ひとつのことに行き着きます。

いかに見せるかよりも、環境そのものを作ってきた。
それが鳥取が芝でやり続けてきたことでした。

批判されても土を耕し続けた農家。行政に頼らず自分たちで芝生広場を作った市民。スタジアムのノウハウを地域に還元したサッカークラブ。それぞれの動機は違っても、「環境を整えることで、人の行動と文化が変わる」という一点でつながっています。

上京した鳥取市民が、都会の土の練習場に違和感を覚え、はじめて芝生の日常に感謝する。子どもを持つ親が「芝生の上で走らせたい」という気持ちから芝生化プロジェクトに参加する。芝生は景観のためにあるのではなく、人の行動を変え、文化を育て、地域への愛着を作るための「ブランド資産」だったのです。


あなたの周りの「環境」に、意図はありますか

鳥取に来て最初に驚いたことのひとつが、保育園の園庭の広さと緑でした。砂場ではなく芝生の上で遊ぶ子どもたちを見たとき、「なんとなく豊かだな」と感じた記憶があります。

でも今は知っています。あれは偶然ではなかった。

誰かが60年前に草を植え、笑われても続け、技術を磨き、市民を巻き込み、仕組みを作った結果として、あの芝生がありました。

ビジネスでも、チームでも、家庭でも、同じことが言えます。「なんとなく良い雰囲気」「自然と人が集まる場所」の多くは、誰かが意図して環境を整えた結果です。人が動きたくなる環境を整えることが、やがて強いブランドに繋がっていく。鳥取の芝生はその法則を、60年かけて証明しています。

今日からできる一歩は、たったひとつです。

「自分の周りの環境を、ひとつだけ意図して整えてみること」。

会議室に観葉植物を置く。デスクの周りを片づける。チームで話しやすい空気を意識してつくる。どれも小さい。でも鳥取の芝生産も、最初はひとりの農家が「草を植えた」ことから始まりました。

環境が人を作る。鳥取の芝生の上に立つ機会があれば、ぜひ素足で踏みしめてみてください。


最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!他の記事も是非ご覧ください★

芝生もあります!子どもたちと一緒に行きたい鳥取の施設はこちら

芝生の広場もまた、五感に働きかけるものがありますね


いいなと思ったら応援しよう!