服装から感じる日米の意識の違い
太陽の光がじりじりとシャツに照り付け、暑さがこみあげてくる。今日は30℃以上まで気温が上がり、暑い1日となった。
アメリカに住んでいて感じるのは、夏場、特に運動時の服装が日本とは大きく違うことだ。例えば、日本では公園でのランニング中にいくら暑くても、半袖やノースリーブなどのシャツと短パンという組み合わせが一般的だろう。
しかし、私が住んでいる辺りでは、男性は上裸も普通だ。女性に関しても、ブラトップまでは問題ないという感覚だと思う。脱ぎたがりのマッチョだけというわけではなく、あらゆる年齢、体型の人たちがそうしている。限度はあるだろうが、運動中で暑いなら涼しさを優先するという感覚が強いのだと思う。
日本なら異様に受け取られそうだが、周囲も含めて誰も気にしていない。そもそも、親しい中でもなければ他人のことをじろじろ見ることなない。道で遭遇したら、普通に目線をそらすなどしてスルーすればいいだけだ。
日本だと服装は「こうあるべき」というような意識が強い。高校時代には服装検査があったが、今思えば何とばかばかしいことだろうと感じる。
また最近では、女性のレギンスをどの場面まで許容するかというのが日本ではよく議論になっているイメージがある。これについても、こちらでは気にしている人はいないと思う。運動時だけでなく、ショッピングモールなどありとあらゆる場所で見かける。
女性の服装に関する受け止め方の違いとしては、日米のフェミニズムへの意識もあるのではないだろうか。下記は2025年3月の読売新聞大手小町の記事の末尾部分だが、日本の雰囲気を表わしているように感じる。
公園といった公共の場では、第三者の目があることを意識する必要がありそう。じっと見られるのにためらいがあるなら、丈が長めのトップスを着たり、ショートパンツなどを重ね履きしたりした方が、「無難」かもしれませんね。
何とも微妙な書きぶりの記事だ。フェミニズムの観点からは、女性の体は女性自身のものであり、見せるか隠すか、何を着るかなどを含めて女性自身に決定権があるのが当然のことだと思っている。確かに、日本社会の状況からは重ね履きが「無難」なのかもしれないが、それを新聞社のメディアが言ってしまうのかという感想を持った。
本来は、周りが目線をそらせば済む話である。それは、他人のためでなく、自分のためにもそうした方がいいと思う。監視して抑圧するのではなく、スルーしてしまえば、ゆくゆくは自分が暑いときには薄着になって快適に過ごすことができるようになる。
この微妙な日本社会の空気感を捉えることは大事で、ありとあらゆる分野に表出しているのだと思う。私の周囲では女性の方が都市志向や海外志向が強い気がする。地方から都会へ、日本から海外へ目線が向くのは理由があるはずだ。
その1つは、服装にも表れるように、日本社会で女性の権利が軽く考えられてきた積み重ねの結果ではないだろうか。このままでいいのか、よく考えないといけない。
きょうの1曲
夏夜のマジック - indigo la End
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