【創作大賞2026応募・第一幕】音域戦線〜下心ヒロインと、絶対音感な俺〜
【あらすじ】
日野翔太は、親に無理やり通わされているピアノ教室で、幼馴染である柏木桜の玉砕を見届けていた。桜は絶世の美女だが、玉の輿を狙う下心100%の残念な性格。さらに「テロ対策」と称して、常に重さ20キロの電子ピアノを背負い歩く奇人でもあった。
講師への告白に失敗し、傷心の桜を慰めるため、二人は行きつけの家系ラーメン屋へ向かう。しかし、そこで翔太の退屈な日常は崩壊する。「楽器」を改造した音響兵器を操り、不協和音の魔法を放つテロリスト集団が本当に襲撃してきたのだ。桜はケースから戦闘用ショルダーキーボードを取り出し、翔太を守るために立ち向かう。
かつて「世界を守るヒーロー」に憧れる中二病だったが、現実に絶望し、冷笑的なゲーマーとして生きてきた翔太。だが、必死に戦う桜を前に、彼は自分も戦うことを決意する。向かいの楽器店に駆け込み、最強の武器として「ソプラノリコーダー(プラスチック製)」を調達。魔法の覚醒を信じて吹き鳴らすも、出たのは情けない雑音だけで、テロリストに腹の底から嘲笑されてしまう。
だが、その屈辱で怒りが爆発した翔太は覚醒する。格闘ゲームで極めた「フレーム理論」と「動体視力」を駆使し、敵の不可視の魔法攻撃をミリ単位の間合い管理で完全回避。魔法攻撃に頼りきりで接近戦が隙だらけのテロリストたちを、強靭なリコーダーを用いた「純粋な物理打撃」で次々とぶん殴り、見事に制圧してしまった。
魔法の才能はゼロだが、圧倒的な物理(フィジカル)の才能で窮地を救った翔太。桜はその「フォルテシモ(物理)」の力を見込み、自身が所属する対音響兵器特務機関『協奏楽団(コンチェルト・オーケストラ)』への入隊を持ちかける。実は彼らが通うピアノ教室の地下こそが、その秘密基地だったのだ。
冷めた日常を捨て、ふざけたヒーローとして生きることを決めた翔太。下心と物理暴力が交錯する、前代未聞の音楽バトルラブコメディがここに幕を開ける。
第1話
何かを頑張ることは、退屈なことだ。
そう思っていた。
桜さんに出会うまでは。
「私と付き合ってください!!」
教室の張り詰めた空気を、その凛とした声が切り裂いた。
夕日が差し込む廊下。放課後の静けさ。
本来なら、青春の1ページとしてアルバムに保存されるべき美しい光景だ。
――相手が、あの『柏木桜』でなければ。
俺、日野翔太は、教室のドアの隙間からその様子を盗み見て、あいつらしいと微笑ましげに見ながらも、僅かに冷笑した。
(いやー、また告白してるよ、あいつ)
柏木桜。
俺のガキの頃からの幼馴染であり、親に無理やり通わされているこの「グランド・ミュージックスクール」ピアノ科のクラスメイトでもある。
腰まで届く艶やかな黒髪、少し釣り目がちだが大きな瞳、モデルも裸足で逃げ出すような抜群のプロポーション。黙っていれば、誰もが振り返る深窓の令嬢に見える。
黙っていれば、だ。
昔から、彼女は顔こそ美人なのだが、その傍若無人っぷりと、告白する相手のレベルの高さで、いつも失敗してる。
今回のターゲットは、隣のバイオリン科の講師、西園寺先生だ。元ウィーン・フィルの奏者で、年齢は三十代前半、独身、さらに実家は貿易会社の社長という、超がつくほどの優良物件である。
「……お気持ちは嬉しいですが、生徒と講師という立場ですので」
西園寺先生の、模範解答のような断り文句が聞こえてくる。
うん、知ってた。
桜の肩がガクリと落ちるのが見えた。その背中には、なぜかいつも背負っている巨大な黒いケース――88鍵の電子ピアノが入ったキャリーケース――が、重そうにのしかかっている。
「またあいつ、失敗してるな~」
俺は小さく呟くと、スマホをポケットにしまった。
今日は珍しく、ゲーセンにも行かず、サボらずに教室に来たのだ。まあ、親から「たまには顔を出さないと月謝を止める」と脅されたからだが。
いちおうピアノ教室に今日は参加して、終わった後に相談に乗ろうと、腐れ縁の幼馴染である桜に近づく俺。
俺みたいな、金髪メッシュを入れたチャラついた見た目の男に、ピアノ教室なんて似合わない。周囲からは「親の金で暇つぶししてるドラ息子」なんて陰口を叩かれているが、桜だけは違った。
オムツが取れる前からの付き合いである彼女にとって、俺の見た目なんて関係ないのだろう。それに彼女自身もまた、この教室では浮いた存在だったからだ。
廊下でうなだれている桜の元へ、俺は歩み寄る。
「よう、桜。お疲れ」
「……あ、翔ちゃん」
桜が顔を上げる。
美人の顔が、この世の終わりのように歪んでいた。
「またダメだったか」
「意味わかんない! 私、家柄もいいし顔もいいし、ピアノだって……まあそこそこ弾けるのに! なんで西園寺先生は私の魅力に気づかないの!?」
「そりゃお前、出会って五秒で『年収いくらですか?』って聞く女とは付き合いたくないだろ、普通」
「結婚において経済力は基本ステータスでしょ!? 最初のガチャでSSR引かなきゃ人生始まらないじゃない!」
相変わらずの思考回路だ。
彼女がピアノ教室に通っている理由。それは「高尚な趣味を持つハイスペック男子と出会える確率が高いから」。
以上。
音楽への情熱とか、芸術への愛とか、そんなものは微塵もない。あるのは純度100パーセントの下心のみだ。
俺は苦笑しながら、彼女の背負っている巨大なケースを軽く叩いた。
「まあ、元気出せよ。反省会するか?」
その瞬間。
死んだ魚のようだった桜の目が、カッ! と見開かれた。
彼女は、俺にハイテンションで、こう言う。
「ねえ、翔ちゃん! ラーメン屋連れてって!!」
切り替え早っ。昔からこれだ。
「……お前、今すごい勢いで失恋の悲しみ投げ捨てたな」
「悲しんでても腹は減るの! それに、フラれた時は塩分と脂質! これ常識! さあ行くよ! 『家系』ね! 濃いめで多めで!」
「はいはい、今回は俺の奢りで良いよ」
どうせ断っても、あの手この手で幼馴染の特権とばかりにタカられるのがオチだ。
俺がそう言うと、桜は「よっ! 太っ腹! 翔ちゃんこそ次期社長の器!」と調子のいいことを叫びながら、重たい電子ピアノケースを軽々と背負い直して歩き出した。
****
そう言って、俺達はラーメン屋に向かった。
教室から歩いて十分ほどの場所にある、床が脂でヌルヌルするタイプの本格的な家系ラーメン屋だ。
お上品なピアノ教室の生徒が来るような場所ではない。だが、幼馴染の俺と桜にとっては、昔からここが一番落ち着くサンクチュアリだった。
「へいらっしゃい!!」
ねじり鉢巻の店主の威勢のいい声が響く。
店内に漂う豚骨醤油の強烈な匂い。桜はうっとりとした表情で深呼吸をした。
「はぁ~……この匂い。西園寺先生のコロンより落ち着くわ」
「さっきまで結婚したいとか言ってたくせに」
俺たちは券売機で食券を買い、カウンターの隅の席に陣取った。
ここなら、桜の巨大な荷物も置ける。
ドスン、と地響きを立てて、桜は背中の電子ピアノケースを床に置いた。
改めて見ると、異様だ。
ラーメン屋のカウンターに、真っ黒なハードケース。中身はスナイパーライフルだと言われた方がまだ納得がいく。
そして、ラーメン屋の席に着くと、俺は彼女にいつもの疑問をぶつける。
水を受け取りながら、俺は視線をそのケースに向けた。
「なあ」
「ん? 何? あ、ニンニクは入れるよ? 明日デートの予定ないし」
「そうじゃなくて」
どうせ返ってくる言葉は、いつも同じだけど。
それでも聞かずにはいられない。
「桜はさ、どうしていつも電子ピアノ持っていくの? どこに行くときも」
この教室には、立派なグランドピアノが何台もある。練習室も完備だ。
わざわざ自分の楽器を持ち歩く必要なんてない。しかも、彼女が持っているのは、プロがライブで使うような重量級のステージピアノだ。ケースと合わせれば二十キロはあるだろう。
それを、デート(未遂)の時も、こうして俺とラーメン屋に来る時も、肌身離さず持ち歩いている。
桜は、割り箸を割りながら、当たり前のように答えた。
「護身用。テロリストに襲われた時の」
「またそれかよ」
俺はガクッと肩を落とした。
物心ついた頃からの付き合いだが、最近この巨大なケースを持ち歩き始めてから、何回聞いても答えはこれだ。
「お前な、ここは日本だぞ? しかも平和な地方都市。テロリストなんて出るわけないだろ」
「甘いよ翔ちゃん。平和ボケした日本人の典型ね。昔から翔ちゃんはツメが甘いのよ」
桜は、卓上のコショウの缶を手に取りながら、真剣な眼差しで俺を見る。
「いつ何時、武装勢力が襲撃してくるか分からない世の中だよ? 映画とか見てないの? だいたい最初の犠牲者は、ピアノの練習をしてる無防備なヒロインか、トイレに行こうとした太った友人と相場が決まってるの」
「偏見がすごいな」
「だから私は備えてるの。この『コルグ・クロノス』があれば、大抵のことは防げるから」
「楽器メーカーに謝れ。盾にするな」
こいつの頭の中は、どうなっているんだろう。
下心満載で玉の輿を狙っているかと思えば、妙なところで危機管理意識が高い。いや、高いというより、方向性が明後日の方角にぶっ飛んでいる。
「おまちどう!」
ドン、と目の前にラーメンが置かれた。
茶色く濁ったスープに、極太麺。海苔とほうれん草、そして分厚いチャーシュー。
暴力的なまでのカロリーの塊だ。
「いただきまーす!!」
桜は、長い髪をゴムで無造作に束ねると、獣のようにラーメンに食らいついた。
ズルルッ! ズルズルッ!
豪快な音が店内に響く。
「んん~っ! 染みるぅ~! 西園寺先生に踏みにじられた乙女心が修復されていくぅ~!」
「乙女心ってのは、脂と塩分で修復できるもんだったのか」
「細胞レベルで満たされれば、心なんて後からついてくるのよ」
俺も麺をすする。
……うん、美味い。
ピアノの練習よりも、こうして幼馴染とラーメンを食ってる時間の方が、俺には合っている。
ふと、横目で桜を見る。
一心不乱に麺をすする彼女の横顔は、悔しいが綺麗だ。これで中身がまともなら、本当に西園寺先生だって落ちたかもしれないのに。
「ところでさ、お前、気分は落ち込んでないか…?」
俺はなんとなく、気を使って聞いてみた。
いくらメンタルが強靭な桜でも、あんな風に人前でバッサリ断られれば、多少は傷ついているんじゃないかと思ったのだ。
普段は明るく振る舞っているが、実は繊細なところもあるのかもしれない。
桜はレンゲを止め、口元のスープを拭うと、宙を睨みつけた。
「ああんまりだあ!!!」
彼女は、突然、店の迷惑になるかならないか微妙なラインの声で、叫ぶ。
ビクッとして俺は箸を取り落としそうになった。店主もギョッとしてこっちを見ている。
「お、おい、声デカいって……」
「私はぁ…!! ただ下心に従ってるだけなのに!! どうしてだよお!!」
いつものことながら、むしろ、清々しい。
普通、「下心」ってのは隠すもんだ。それをここまで大声で主張されると、一種の哲学さえ感じる。
「聞いてよ翔ちゃん! 私、間違ってる!? 確かに最初は、金持ちのイケメン捕まえて楽して暮らしたいからピアノ始めたよ? ドレス着て優雅にワイングラス傾ける生活に憧れたよ! それが何が悪いの!?」
「いや、悪くはないけど……動機が不純すぎるだろ」
「不純上等! 純粋な動機だけで世界は回ってないの! 『モテたい』からギター始めるバンドマンと、『金持ちと結婚したい』からピアノ始める私と、何が違うわけ!?」
「バンドマンへの流れ弾がすごいな」
「なのに、なんでみんな私の『愛』を受け入れてくれないのよぉっ!」
それを愛と呼ぶには、あまりにも打算的すぎるからだよ。
そう言いたかったが、ラーメンを頬張りながら涙目になっている彼女を見ていると、なんだか言う気も失せた。
こいつはこいつなりに、必死なのだ。たぶん。
「まあ、次があるさ。世界は広い」
「そうよね……次はやっぱり、IT企業の社長とか狙うべきかな……」
「懲りてねえな」
俺は呆れてスープを飲み干した。
まったく、世話の焼ける女だ。
でも、こうしてバカ話をしながらラーメンを食っている時間が、俺は嫌いじゃなかった。親に敷かれたレールの上を歩くだけの退屈な日常の中で、ガキの頃から予測不能な彼女の存在は、いい刺激になっていたのかもしれない。
そして、彼女はふとつぶやく。
どんぶりの底を見つめたまま、急に真面目なトーンで。
「翔ちゃんはさ。私のことどう思ってるの?」
「え……」
俺は言葉を詰まらせた。
不意打ちだった。
いつものギャグみたいな流れからの、急な変化球。ガキの頃から一緒にいるからこそ、こういう真顔には弱い。
彼女がこっちを向く。その瞳は、いつになく真剣で、吸い込まれそうなほど澄んでいた。
(どう思ってる、って……)
幼馴染? 腐れ縁? 面白い奴?
いや、正直に言えば、見た目は昔からタイプだ。中身が残念すぎるだけで。
でも、一緒にいて飽きないし、裏表のない性格は好感が持てる。
もしかして、これは。
いつも失敗ばかりしている彼女が、灯台下暗しで、ずっと傍にいた俺に……?
心臓が、トクンと跳ねた。
俺が言葉を詰まらせた次の瞬間。
ドォォォォォォン!!!!
店の入り口のドアが、爆音と共に吹き飛んだ。
「ヒャッハー!!! テロリストだ!!!」
「これから毎日家を焼くぜ!!!」
爆煙と共に、店内に雪崩れ込んでくる集団。
モヒカン。革ジャン。トゲトゲのついた肩パッド。
世紀末なビジュアルの男たちが、十人ほど入ってきた。
テロリストがやってきた!!?
俺は思考が停止した。
は? テロリスト? ここ、日本の地方都市のラーメン屋だぞ?
ドッキリか? テレビの撮影か?
だが、店主が「ひ、ひいいっ!」と腰を抜かしている様子は、演技には見えない。
そして何より、異様なのは。
奴らは何故か、銃ではなく楽器を持ってる!!?
先頭のモヒカン男が構えているのは、アサルトライフルではない。
どう見ても、金管楽器のチューバだ。
隣のサングラス男は、マシンガンではなくエレキギターを構えている。
後ろの男は、ロケットランチャーのようにバイオリンを肩に担いでいた。
「おいおいおい! 平和ボケした市民ども! 俺達の奏でる『デスメタル・シンフォニー』を聞く準備はできてるかぁ!?」
「鼓膜から脳みそまでシェイクしてやるぜぇ!!」
モヒカンがチューバを構える。
ブォォォォン!!
という重低音が響くと同時に、店内の窓ガラスがビリビリと震え、割り箸入れが弾け飛んだ。
「なっ……!?」
音波兵器!?
ただの楽器じゃない。改造されているのか、それとも彼らの肺活量が異常なのか。
「やべえ、逃げろ桜!」
俺は反射的に桜の手を引こうとした。
しかし。
桜は動かなかった。
いや、むしろ。
彼女はゆっくりと立ち上がっていた。
その口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。
「……やっと来た」
「は?」
桜は、足元に置いていた巨大な電子ピアノケースのロックを、カチャリと外した。
「翔ちゃん、言ったでしょ? いつテロリストに襲われてもいいように準備してるって」
「いや、言ってたけど! ホントに来るとか思わねーだろ普通!」
「私の読みは常に正しいの。男を見る目以外はね」
そこで自虐を入れる余裕があるのかよ。
桜は、ケースの中から真っ赤なボディのショルダーキーボード(※電子ピアノの一種で、ギターのように肩から下げるタイプ)を取り出した。
いつもの88鍵盤じゃない。戦闘用のサブウェポンか!?
そして、桜は、俺に言う。
風になびく黒髪をかき上げ、テロリスト達を凛とした瞳で見据えながら。
最高にカッコよくて、最高に意味の分からないことを。
「下がってて。このテロリストは、私がやる。私が、翔ちゃんを守るから」
そう言って彼女がキーボードの電源を入れると、ギュイィィィン!! と空間を歪めるような起動音が、ラーメン屋に鳴り響いた。
第2話
目の前で、俺の日常が物理的に崩壊していく。
家系ラーメンの濃厚な豚骨スープの匂いと、火薬と硝煙の匂いが混ざり合う、最悪のカクテル。
俺、日野翔太は、ひっくり返った丸椅子の陰で、その光景をただ呆然と見つめていた。
(……なんだよ、これ)
俺は、子供の頃からヤンチャだったわけではなかった。
最初から、こんな風に世の中を冷めた目で見て、親の金でゲーセンに入り浸り、クラスメイトを「あー、はいはい」と適当にあしらうような、そんなスカした人間だったわけでもない。
かつての俺は、重度の「中二病」だった。
小学校の帰り道。誰もいない公園。
俺はそこら辺に落ちている木の枝を拾っては、それを『聖剣エクスカリバー』と名付け、見えない敵と戦っていた。
図書室で借りたファンタジー小説に感化され、授業中にノートの端っこに「対テロ組織の秘密設定」や「俺の右腕に封印されし黒龍の力」なんてものを書き殴っていた。
『いつかテロリストが教室に押し入ってきたら、俺が隠していた能力を解放して、好きなあの子を守るんだ』
そんな妄想を、飽きもせずに繰り返していた。ガキの頃の俺にとって、世界はまだ魔法と冒険に満ちていたのだ。
でもいつしか、それは否定された。
中学に上がり、周囲が色気づき、部活だ恋愛だと騒ぎ始めると、俺の妄想は「痛い黒歴史」として嘲笑の対象になった。
「翔太くん、まだそんなこと言ってるの? 現実見なよ」
初恋の女子にそう言われた瞬間、俺の中で何かが音を立てて砕け散った。
それ以来、俺は大人になるにつれグレていき、冷笑系男子になっていった。
熱くなるのはダサい。夢を見るのはガキだ。
適当に生きて、適当に遊んで、親の敷いたレールの上を、文句を言いながら歩く。
斜に構えて「世の中なんてこんなもんだろ」と呟くことが、大人になることだと思っていた。
でも、それでいいのか?
俺よ。
俺は今、凄い俯瞰して、ツッコミ役に徹しているけど。
目の前で、現実離れした戦いが起きている。
テロリストに襲われている、っていうかテロリストを倒すために楽器から魔法みたいなのを出して、戦ってる美少女。
しかも、俺の大切な友人の桜さん。
「きゃあああっ!!」
桜の悲鳴が上がる。
彼女が振るう真紅のショルダーキーボードから放たれる衝撃波が、弱まっている。
相手は三人。チューバを持った巨漢、バイオリンを構えた優男、そしてエレキギターを持ったリーダー格の男。
彼らが奏でる不協和音が、可視化された刃となって桜を襲う。
彼女は必死に戦ってるのに、俺だけ何もしないのか!?
俺は、ただの傍観者(モブ)で終わるのか?
あの日、黒歴史として葬り去った「誰かを守りたい」という願いは、本当に嘘だったのか?
「……ふざけんなよ」
俺の口から、自然と声が漏れた。
怖い。足が震える。
でも、それ以上に、ここで逃げたら俺は一生、自分を好きになれない気がした。
俺は周囲を見渡す。
武器はないか。奴らの「音」に対抗できる、何か強力な武器は。
ラーメンの丼? 割り箸? そんなもので勝てるわけがない。
奴らは楽器を使っている。なら、こっちも楽器だ。目には目を、音には音を。
すると、破壊されたラーメン屋の窓の向かいに、古びた看板が見えた。
『鈴木楽器店』。
地元の寂れた楽器屋だ。
(あそこだ!!)
思考より先に、身体が動いた。
俺は、桜の背中を睨みつけながら叫ぶ。
「桜! ちょっと待ってろ!!」
「えっ、翔ちゃん!? どこ行くの!?」
「武器を調達してくる!!」
俺はそこへ向かって走り出す。
店の裏口を蹴破る勢いで飛び出し、道路を横断する。
クラクションが鳴らされるが知ったことか。俺はいま、人生で一番速く走っている。
カランカランッ!!
激しい勢いで楽器店のドアを開けた。
「いらっしゃいませ~、おや、元気な……」
店番をしていた好々爺が目を丸くする。
「じいちゃん! 武器をくれ! 今すぐ使える、最強の楽器だ!!」
「はあ? 最強? それならストラディバリウスのレプリカが……」
「そんな繊細なもんいらねえ! もっとこう、頑丈で! 誰でも音が出るやつ!」
「なら、これかのぉ。学校指定の……」
爺さんが差し出したのは、白い縦笛。
ソプラノリコーダー(ジャーマン式)。
義務教育を受けた日本人なら誰もが一度は手にしたことのある、あのプラスチックの棒だ。
「これだ!!」
俺は千円札を叩きつけ、お釣りも受け取らずにリコーダーをひったくった。
そして、桜さんが追い詰められる中、圧倒的速さでリコーダーを購入して、戦場へと舞い戻る。
ラーメン屋の中は、すでに壊滅状態だった。
桜が、カウンターの隅に追い詰められている。彼女のショルダーキーボードはバッテリーが切れたのか、光を失っていた。
「へへへ、終わりだな姉ちゃん」
「良い音色(悲鳴)を聞かせてくれよぉ!」
テロリストたちが、下卑た笑みを浮かべて迫る。
そこへ、俺が割って入った。
「待たせたな!!」
俺は二人の間に仁王立ちし、右手に握りしめたソプラノリコーダーを高々と掲げた。
逆光を浴びて、安っぽいプラスチックのボディが、まるで聖剣のように輝く……ような錯覚を覚える。
「し、翔ちゃん!? 何それ……?」
桜が目を点にしている。
「俺の最強の武器だ。見てろ、俺の中に眠る音楽の才能を今、解き放つ!」
俺は中二病だった。
だから信じている。
ピンチの時に駆けつけ、楽器を手に取れば、きっと覚醒するはずだと。
俺の魂の旋律が、奴らの不協和音を浄化するはずだ!
俺はリコーダーを口にくわえた。
腹の底から息を吸い込む。
イメージしろ。音を衝撃波に変えるんだ。
食らえ!! 俺の必殺、ソニック・ブラストォォォッ!!
俺はリコーダーを演奏する。
『ピィーーーーーーッ…………』
間抜けな音が、戦場に響き渡った。
小学校の音楽室で、リコーダーが苦手な男子が出していた、あの裏返った高音。
「ピー」ではない。「ピィ……」という、なんとも情けない音色。
しかし。
何も起こらない。
衝撃波も出ない。光も出ない。
ただ、気まずい空気が流れただけだ。
数秒の沈黙。
「……ぶッ」
テロリストの一人が吹き出した。
「ハハハ!! なんだこいつ!!」
「リコーダーて! 小学生かよ!」
「死にに来たのか? 面白い芸を見せてくれるじゃねえか!」
テロリストは、笑う。
腹を抱えて笑う。
桜でさえ、ポカンと口を開けて「え、あ、うん……?」と困惑している。
俺は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
覚醒なんてなかった。
魔法なんてなかった。
俺はただの、リコーダーを持った痛い大人だった。
テロリストのリーダーが、ギターを構え直す。
「笑わせてくれた礼だ。楽に死なせてやるよ。喰らえ、『ハイ・ディストーション』!!」
ジャァァァン!!
エレキギターから放たれた衝撃波が、俺に向かって飛んでくる。
その瞬間。
俺の中で、何かが「プツン」と切れた。
恥ずかしさが、怒りに変わる。
自分への怒り。理不尽な状況への怒り。そして何より、俺の必死の覚悟を嘲笑ったこいつらへの怒り。
魔法が使えない?
だからどうした。
俺には、ゲーセンで鍛えた動体視力と、親に無理やり通わされたピアノ教室で培った(サボってたけど)指の力と、何よりこの「頑丈なプラスチックの棒」がある。
しかし、俺は、『うるせえ!!!』と言ってぶん殴る。
「うるせえええええええっ!!!」
俺は絶叫と共に、正面から突っ込んだ。
飛んでくる音の刃。
見える。
毎日、格闘ゲームの画面で「1フレーム」の攻防を見切ってきた俺の目には、大振りの衝撃波なんて止まって見える!
「うおおおおおっ!!」
俺は前転で衝撃波を回避(フレーム回避)。
そのままの勢いで、リーダーの懐に飛び込む。
「なっ!?」
リーダーが驚愕の表情を浮かべる。
俺は右手に握ったリコーダーを、逆手に持ち替えた。
狙うは顎。
ガッ!!!!
硬質なプラスチックが、男の顎を捉える鈍い音が響いた。
「がはっ!?」
男がよろめく。
やっぱりだ。こいつら、遠距離からの魔法攻撃に頼りすぎて、接近戦の防御(ガード)がガラ空きだ!
「この野郎! よくも俺の純情を笑いやがったな!」
「ひ、ひいいっ! なんだその動きは!?」
俺は止まらない。
チューバを持った巨漢が、慌てて巨大なラッパを俺に向ける。
「お、重低音バズーカ!!」
ブォン!!
空気が震える。だが、遅い!
発射の予備動作(モーション)が大きすぎる!
俺はサイドステップで回り込み、チューバのベル(朝顔)の部分に足をかけ、それを踏み台にして跳躍した。
「邪魔だデカブツ!!」
空中でリコーダーを振りかぶる。
狙うは、脳天!
脳天直撃、リコーダー唐竹割り!!
バキィッ!!!
「ぐ、ぐおおおおお……」
巨漢が白目を剥いて崩れ落ちる。
プラスチック製とはいえ、一点に力を集中させれば、その威力は侮れない。ましてや、リコーダーは子供が振り回しても壊れないように設計された、日本の工業製品の結晶だ。強度は折り紙付きだ。
「ば、バカな……! 魔法障壁も張っていない生身で……!」
残ったバイオリンの優男が、震える手で弓を構える。
「こ、来ないでくれ! 『スタッカート・アロー』!」
ヒュンヒュンヒュン!
無数の音の矢が降り注ぐ。
速い。だが、リズムが単調だ。
「音ゲーの譜面(ノーツ)の方がもっと複雑だわ!!」
俺はリコーダーをヌンチャクのように回転させた(実際はただ手首で回しているだけだが)。
カカンッ! カカカンッ!
飛来する音の矢を、リコーダーで叩き落とす。嘘みたいだが、集中力が極限まで高まった今の俺には、音の軌道が光の線として見えていた。いわゆる「ゾーン」に入った状態だ。
「嘘だろ……物理で魔法を弾いた……!?」
「今度はお前の番だ!!」
俺は床を蹴り、一気に距離を詰める。
バイオリン男の顔面が引きつる。
俺はリコーダーの先端を、男の鳩尾(みぞおち)に突き入れた。
「『ド』の音が出る穴で喰らえええええ!!」
「ぐふぅッ!!!」
男がくの字に折れ曲がり、床に沈む。
そして、楽器の魔法を使ってくるテロリスト共を、リコーダーでぶん殴って、制圧した。
最後に残ったリーダー格が、這いつくばりながら俺を見る。
「き、貴様……何者だ……? どこの流派の音楽家だ……?」
「音楽家じゃねえよ」
俺は、ヒビの入ったリコーダーを肩に担ぎ、冷ややかに見下ろした。
「ただの、ピアノ教室をサボってる通りすがりのゲーマーだ」
「げ、げふっ……」
リーダーが気絶し、店内には静寂が戻った。
俺は、荒い息を吐きながら立ち尽くす。
手には、ボロボロになったリコーダー。
全身汗だくで、スーツは汚れ、髪もボサボサだ。
でも、不思議と身体は軽かった。
……そっか。
俺って、強かったんだ。
魔法の才能はゼロだったけど、物理(フィジカル)の才能はあったらしい。
中二病の妄想とは違ったけど、「大切な人を守る」という結果だけは、達成できた。
すると、桜さんが駆け寄ってくる。
瓦礫を乗り越え、俺の目の前に立つ彼女。
その瞳は、いつになくキラキラと輝いていた。
「ねえ、翔ちゃん。ありがとうね。翔ちゃんのおかげで、本当に助かったよ」
「おうよ」
俺は短く答えた。照れくささを隠すために、わざとぶっきらぼうに。
桜は、倒れているテロリストたちと、俺の手にある無惨なリコーダーを交互に見て、感嘆のため息をついた。
「すごい……魔法防御(アンチ・マジック)を展開していた彼らのシールドを、純粋な物理衝撃だけで貫通するなんて……。翔ちゃんの『フォルテシモ(物理)』、最強すぎるよ」
「フォルテシモ(物理)って言うな」
桜は俺の手をぎゅっと握りしめる。
柔らかい手だ。でも、その手にはマメがあった。ピアノの練習と、戦いの痕跡。
「ねえ、翔ちゃん。対テロ組織、『協奏楽団(コンチェルト・オーケストラ)』に入らない?」
「…へ?」
協奏楽団。
なんだその、いかにもなネーミングは。
「『協奏楽団』は、音楽を兵器として悪用する闇の組織から、世界を守るための正義の集団なの。政府も手が出せない音響兵器に対抗できるのは、同じ『奏者』だけ……と思っていたんだけど」
桜は熱っぽく語る。
「翔ちゃんの物理の力なら、楽器を使ったテロリストとも戦えると思うよ。むしろ、彼らは魔法戦には慣れてるけど、顔面をプラスチックで殴られる痛みには慣れてないから、天敵になれる!」
「俺の役割、野蛮すぎないか?」
「私達のピアノ教室の秘密の扉を空けた先、地下にあるから、翔ちゃんも行きやすいと思うよ」
グランド・ミュージックスクール。
あの上品な教室の地下に、そんな秘密基地があったなんて。
俺がゲーセンに行っている間、桜はずっとそこで戦いの準備をしていたのか。
「給料も出るし、活動実績は内申点にも反映されるように裏工作できるよ?」
「……お前、相変わらず現実的だな」
「どう? やってみない? 私と一緒に、世界を救う『合奏(セッション)』しようよ」
桜が、悪戯っぽく笑う。
その笑顔を見たら、断る言葉なんて出てこなかった。
それに、正直に言えば。
俺の心臓は、まだバクバクと高鳴っているのだ。
恐怖じゃなくて、興奮で。
かつて夢見た冒険。
否定したはずの非日常。
それが今、目の前に転がっている。
「……って、翔ちゃん? どうしたの? 天なんか見上げて」
俺は、穴の開いたラーメン屋の天井を見上げていた。
夕日が差し込み、塵がキラキラと舞っている。
リコーダーを握る手のひらが、ジンジンと熱い。
あ〜〜。
夢見心地だぜ。
リコーダー片手にテロリストを殴り倒す。
そんなふざけたヒーローだけど、今の俺にはお似合いかもしれない。
冷笑するのはもう終わりだ。
これからは、このカオスな世界に、俺なりの「音(打撃音)」を響かせてやる。
「……いいぜ、桜。入ってやるよ、その楽団」
「本当!?」
「ああ。ただし、次はもう少しいい武器を用意してくれよ。金属製のフルートとかな」
「オッケー! チタン合金製の特注品、発注しておくね!」
俺たちの物語は、まだ始まったばかりだ。
下心と物理暴力が交錯する、とんでもないラブコメの幕開けだった。
