天行健、君子以自強不息:都蘭の泥濘を掘り続ける中で、三十年越しの真意を体得する
三軒の古い農舎を巡り、私は棟梁たちの家づくりの哲学に深く感銘を受けた。それは必ず「左青龍、右白虎」の理に叶っていることだ。左手には背後を守る山を配して東北の季節風や台風を遮り、右手には谷や溝を設けて排水を促す。
どれほど巨大な台風が襲い、屋前の竹林をなぎ倒そうとも、風は左側の丘に当たって屋根を吹き抜けていく。家そのものが風の直撃を免れるよう、先人たちは極めて精緻にこの地形の奥義を隠し味として仕込んでいたのだ。
築五十年を超える古い農舎は、どんなに古ぼけていても、人が住み、手入れを欠かさなければ驚くほど平穏を保つ。毎年、猛烈な台風に晒されながらも、室内にいると「今日は大した風でもないな」と錯覚してしまうほどだ。だが、一歩外へ踏み出せば、都蘭の風雨がいかに暴力的なまでに凄まじいかを思い知らされる。古い農舎は皆、山の窪みに抱かれるようにして身を潜めている。左手の土丘が風を天へと受け流してくれるおかげで、庭の風雨さえも凪のように穏やかなのだ。
修繕はトラブルの連続だ。一つを解決すれば、次なる試練が立ち塞がる。その時、愚痴をこぼさず、いかに平穏な心で解法を導き出すか。苦境を愉しみ、煎じ詰められた試練を成長の糧とする――これこそが、修繕という名の旅の醍醐味である。
斜面からの巨石の滑落、暗渠の詰まり。一連の修復作業は、私に「修繕の真髄」を授け、山居の生命体験を豊かに塗り替えてくれた。肉体を酷使するこうした日々は、経文を読み解き仏を求める出家の救いよりも、はるかにリアルで奥深い。労働で流す汗こそが、何よりも己を明心見性へと導いてくれるのだ。
大学三年の頃、座禅修行に身を投じたことがあるが、当時の私はただ茫然と時を過ごすばかりだった。山を拓き、家を建て直す労働に明け暮れて初めて、高僧たちがなぜ人里を離れ、水を汲み、畑を耕し、箒を振るうという日々の生活にこそ禅を見出したのか、その意味が痛いほど分かった。
十年、二十年とこの隠遁を続ければ、仙人や仏になれずとも、万物の理は自ずと開かれる。田園や海岸の美しさに魅せられ、夢を抱いてやってくる移住者は後を絶たない。だが、その美しい絵画の裏にある「泥まみれのリアル」を知る者は少ない。彼らが結局、夢から醒めて去っていくのは、あるべき場所に還っただけのことなのだろう。
真の試練は、その後に待っていた。幾重にも重なる難題に直面する中で、私はようやく「随遇而安」という人生の境地を、言葉ではなく身体で理解した。農舎の前、道路下に潜む暗渠の詰まりを掘り起こす作業は、もはや単なる土木作業ではなく、生命の洗礼であった。体力、忍耐、知力――そのすべてが限界を超えようとする時、私は初めて「自己を超越する」という意味に触れた。
肉体の欲望や執着、貪りや狂気といった「自我」が、土を掘るたびに剥がれ落ちていく。魂を俗世の妄執から解き放ち、大地に這いつくばって泥に額ずく。五体を投げ出して自然の懐に抱かれる時、そこには神も仏もない。ただ無垢な道があるだけだ。泥を掘り続けたあの数日間、中学の頃から三十年もの間、暗唱しながらも真意を測りかねていた『易経』の一節――「天行健にして君子は自強して息まず(天の運行は健やかで、君子もまた絶えず自らを奮い立たせ、歩みを止めない)」――が、初めて血肉となって私の内に溶け込んでいた。
整地を終え、作業を終えるひととき。瘋明と私は道端に立ち、暗渠の出口を探していた。彼は斜面を軽やかに下り、設備職人が残した枝の目印を頼りに探りを入れる。
彼はユンボに飛び乗ると、力強く大地を穿ち始めた。半人ほどの深さまで掘り下げたところで、「降りて確認しろ」と声がかかる。どうやら少し位置がずれたらしい。彼は一度席を降りて覗き込み、勘を頼りに操作を修正する。出口を塞いでいた灌木を慎重に切り払い、十数分が過ぎた頃、ついに暗渠の口が土の中から姿を現した。彼はそのまま重機を林の方へと走らせ、排水管を導くための溝を刻んでいく。その姿は、この山肌を治癒しているかのような静かな力強さに満ちていた。
本当の試練は、その後に待っていた。次から次へと問題にぶつかるなかで、俺は、どんな境遇でも心が落ち着くという人生の境地を、真に理解した。
農舎の前、道路の下を通る土管の詰まりを掘り起こす作業は、生命の洗礼のようだった。体力、忍耐、知力の限界に直面し、穴を掘って初めて、自分を超えるという意味が分かった。
肉体の欲望や執着、貪りや狂気といった自我を削ぎ落とし、剥ぎ取っていく。魂を俗世の妄執から解き放ち、大地に這いつくばって泥に額ずく。五体を投げ出して自然に身を寄せ、神も仏もない道へと入るのだ。
穴を掘り続けたあの数日間、中学の頃から三十年間、ただ口先で暗唱していたものの理解できずにいた子曰く、「天行健なり、君子は自らを強めて息まず」を、本当の意味で体得した。
整地を終え、引き上げる前のひととき。俺と瘋明は道端に立ち、土管の出口がどこにあるかを相談した。彼は斜面を下りて、設備職人の親方が残した目印の枝を探しに行く。
彼はユンボに飛び乗ってエンジンをかけると、地面を掘り始めた。半人の深さまで掘ったところで、俺に降りて見てみろと言った。少し位置がずれたのか、出口が見当たらない。彼は一度席を降りてなかを覗き込むと、再びユンボを動かして少し横を掘り直した。出口を塞いでいた小木を仕方なく取り除くと、十分後、ついに土管の口が姿を現した。彼はそのまま林の方へとユンボを走らせ、排水管を埋めるための浅い山溝を掘り進めていった。
