都蘭山居手帖: 廃城の修復:DIYという名の自己再造
見よう見まねの挑戦だった。ランバーコア材を切り出し、三つの書棚を組み上げる。最大のもので高さ四尺、幅八尺。蔵書に合わせて棚の間隔を設計し、二日もすればエアタッカー(釘打機)の扱いは手になじんだ。たまに打ち損じもしたが、それもまた修業の一部だ。電話越しに伝授される工法や、資材店での突板(つきいた)の選び方を一つずつ噛み砕き、見よう見まねで木材に皮を貼る。現場に指導者はいない。指先の感覚だけを頼りに初めて仕上げたその食卓は、自分でも驚くほどの出来栄えだった。様子を見に来た大工の友人は、目を丸くして言った。「七尺もの長さを、ズレ一つなく、気泡も入れずに貼り通すなんて。あんた、筋がいいぞ。弟子になって、俺の下で現場を学んでみないか?」
木工に没頭するうち、職種ごとの「気質」の違いが輪郭を帯びて見えてくる。配管や掘削を担う水道職人には、壁を穿つ強靭な肉体と、電力を緻密に計算する冷静な頭脳の両方が求められる。セメントを練り、壁を塗り上げる左官職人には、額の汗をも厭わぬ健壮な体格と、コテを操る繊細な巧みさが必要だ。それに対し、大工の棟梁たちは、まさに沈着冷静そのものだった。〇・一ミリの誤差を許さぬ寸法への執着、電鋸やタッカーという「凶器」に触れる緊張感。その繊細で用心深い人格は、日々ミリ単位の精度と対峙する仕事から醸成されたものだろう。
自ら計算し、継ぎ手を合わせ、四日間を費やして棚や机を設えた。完成した書棚やキッチンラックを眺めると、DIYという名の苦闘が、まるで生命の洗礼であったかのように感じられた。かつて空虚だった部屋に、書棚が並び、机が据えられ、カーテンが揺れる。内壁も外壁も塗り直し、錆びた面格子も磨き上げた。屋内外を巡り歩いたとき、私はふと、ある感情を抱いた。それは、荒れ果てた廃城を修復し、城壁の上に立ち、遠く連なる緑の山々を睥睨(へいげい)する、辺境の騎士のような感覚だった。
わずか六週間という短期間で、私は引き込み、掘削、整地、左官、塗装、配管、そして大工仕事に至るまで、農舎修繕のすべてを叩き込まれた。農舎を再生させるには、無限の精神力と体力、そして独り荒野に立つような毅然たる粘り強さが不可欠だ。
作業開始から一ヶ月が過ぎた頃、ふと体重計に乗って息を呑んだ。十キロもの減量。計測器が狂っているのかと土虱を呼んで量らせたが、数値に狂いはなかった。「二人で同じように動いているのに、なぜあんただけが痩せるんだ? 俺は何も変わらないのに」。彼は訝しげに首をかしげるが、私には理由が分かっていた。
土虱の助力は、あくまで波打ち際を歩くような気まぐれなものだった。彼は現れては消え、修繕の進捗に心を砕くこともない。対して私は、花東縦谷の小さな村から三十キロ先の都蘭まで毎日車を走らせ、泥を穿ち、漆喰を塗り、木材を切り出し、材料を買い求めては奔走していた。
工程を管理し、職人たちの手配を指揮し、一週間に一度の休みさえ、ただ息をつくための時間に過ぎない。昼間は肉体を極限まで使い果たし、夜は夜で大学院の課題と調査報告に追われる。心身が燃え尽きるほどの密度で、私はこの農舎の再生に魂を注ぎ込んでいたのだ。
気がつけば、ジーンズは腰で空しく弛んでいた。鏡に映る自分は、かつての私とは別人のように削ぎ落とされている。しかし、その減量こそが、都蘭の山林が私という人間を「修繕」した証だった。私はただ家を直していたのではない。私という人間もまた、この農舎とともに、余分な贅肉を削ぎ落とされ、新たな形へと作り替えられていたのだ。
