『途中で飛び降りたタンゴとチャチャ』――私の台湾農舎生活 泥の因果:排水路の封鎖と、償いの労働
「なぜ暗渠の出口が埋まり、木々に遮られているんだ。本来なら、ここには山水が流れる溝があるはずだろう」。私の問いに、瘋明は顔をしかめて首を振った。「誰かが山溝をいじったのさ。植樹か何かで土を盛り、暗渠を塞いでしまったんだろう……私にも、詳しい理由は分からねえ」
私たちはすぐさま動き出した。暗渠を塞いでいた灌木を掘り起こして庭の端へ移し、斜面の溝から取り出した苗木を、道路沿いに新たな生垣として植え替えた。瘋明がユンボで穴を穿ち、私が苗を据える。彼が土を戻して足で踏み固める。二人の呼吸は驚くほどに重なり、二十分もあれば見事な生垣が完成した。設備職人の親方が予見した通り、重機を使えば二十分で済む作業だ。人力に頼れば、二人で半日を費やしても終わらなかっただろう。工法と道具、そして適材適所の采配が、効率という名の果実をもたらす。
斜面の山溝から家の前の暗渠に至るまで、その惨状を目の当たりにし、私は当時の光景を推測した。地主が雇った作業員たちは、手間を惜しみ、穴を掘る苦労を避けるために、あろうことか本来の排水路や暗渠の出口に木を植え込んだのだ。その無責任な植樹が、巡り巡って農舎を土砂で埋め、庭を池と化させる原因となった。
十年という歳月を経て、他人が蒔いた「因」が、巡り巡って私の「果」として降りかかってくる。仏教で説く因果の理とは、かくも理不尽で、しかし鮮やかなまでの必然性を帯びているのだろうか。この泥にまみれた試練を前に、私はただ、自然という巨大な帳簿の前で、前任者の過ちを償っているに過ぎないのかもしれない。
日が暮れ、風が唸りを上げ始めた。私は急ぎ水を引き、暗渠の泥を浸した。土が十分に湿り、柔らかさを取り戻さなければ、掘り進めることは叶わないからだ。翌朝、側溝の瓦礫を払い、ようやく暗渠の奥へと潜り込んだ。水を含んだ泥は素直だが、少しでも渇いた場所は岩のように硬く、わずか一尺掘るだけで鍬が跳ね返される。再び水を流し、泥が含水するのを待つ。その繰り返しだ。
暗渠の深さは一メートル半ほど。頭だけが地上に覗く狭い穴の中では、体を捻るたびに壁の泥が衣服を汚した。内部は泥塊でぎっしりと塞がれており、大柄な鍬など振るえるはずもない。私は小さな手鍬を握り、泥を削り取るように一寸ずつ掘り進めた。半蹲の姿勢は足腰に過酷な負荷を強いる。泥まみれになりながら、土箕(どみ)に土を詰め、頭上へと持ち上げる。そのたびに尻が洞壁に当たり、泥が容赦なく衣類へとまとわりつく。私は土箕を肩の上まで押し上げ、両手で地面を掴んで穴から這い上がる。それから土を満載した土箕を運び、斜面の果てまで土を捨てに行くのだ。
独りでの作業は、文字通り苦行だった。掘り、積み、持ち上げ、這い出し、運ぶ。この単調な連鎖を際限なく繰り返す。肉体労働など縁のなかった私にとって、五往復もすれば肺が焼けつくように熱くなり、呼吸すらままならなかった。
職人たちがよく口にする「二人の手が揃えば仕事は半ば」という言葉が、骨身に染みる。一人が掘り、もう一人が運べば、無駄な上下運動は消え去り、効率は飛躍的に高まるはずだ。だが、相棒の土虱は村を離れ、この地に馴染みのない私は、人手を頼むあてもない。ただ黙して、冷たい泥の底で己の限界と対峙するしかなかった。
