暗渠の洗礼:泥の底で『自我』を削ぎ落とし、私は都蘭の住民になった
一日で土管の上下を各一尺掘り進み、夜通し水を注いで土を抱かせる。二日目、下流側を三尺まで掘り下げたところで、もはや土管の中へ這い入らねばならない事態となった。狭い暗渠に腹這いになり、泥を掻き出す。その折、鼻を突く腐敗臭が漂ってきた。長年堆積した浄化槽の汚水が、泥と混ざり合って死蔵していたのだろう。
「なんてことだ。海軍陸戦隊の訓練じゃあるまいし、こんな狭い土管で匍匐前進をする羽目になるとは……。農舎の修繕であって、特殊作戦の任務じゃないんだぞ」。心中で毒づきながらも、手は休まない。この暗渠が通らねば、親方は現場に入れない。設備工事が滞れば、家づくりのすべてが頓挫するのだ。一番過酷な場所を私に残した親方の意図を、神からの試練と捉えることにした。この農舎に一目惚れした代償は、私自身が血と汗で購うほかないのだ。この泥の底での格闘を経て、農舎とはもはや「運命共同体」と呼べる深い絆が生まれた。これさえ乗り越えれば、どんな困難も克服し、愛し抜くことができる。そんな確信にも似た昂ぶりが胸にあった。
三日目、ついに小さな貫通口が空いた。竹竿と手鍬を使い分け、硬化した泥の塊を削り出し、突き破る。十年という歳月が硬化させた泥石は、想像以上に手強かった。水を注ぎ、泥を抱かせ、突き、掻き出す。この無機質な繰り返しの果てに、肉体は次第に「土の理」に適応していった。道具の使いこなし、呼吸の整え方、疲労の逃がし方。虚脱を避け、持続可能な限界点を、身体が自ら学び取っていく。
掘り進めるほどに暗渠は狭まり、姿勢は低く制限される。私は潜水用のゴーグルとマスクを装着し、段ボールを敷いた泥の底へ仰向けに潜り込んだ。天井にへばりついた泥を削り落とす。時間の経過とともに、鼻はあの腐敗臭を感知しなくなった。生理的な嫌悪が消失し、ただ目の前の泥と向き合うという純粋な没入だけが、暗渠の闇の中に存在していた。
作業中、外から訝しげな声が聞こえた。「おかしいな、車はあるし道具も散らかっている。人はどこへ消えた?」。私は泥だらけの身体を這い出させ、穴の口から顔を覗かせた。そこには共同所有者の男たちが立っていた。泥に塗れた姿の私を見るなり、彼らは絶句した。「なぜ、こんな過酷な真似を? 人を雇えばいいだろうに」。私は肩をすくめて答えた。「引き受けてくれる人もいないし、探し方も分からない。だいたい、こんな仕事を買って出る物好きはいないでしょう。自分でやるしかないんです」
彼らは困惑していた。しかし、私にとって泥に塗れた「赤い短パン」は、単なる作業着以上の意味を持っていた。ナイロン製のその短パンは、泥にまみれた「非日常」から、石鹸水で洗うだけで元の「日常」へと戻るための境界線――境界の旗印のようなものだった。
数年が経った今、回想する。土管の中に潜り込み、泥を掘るなどと、かつての私には想像もつかなかった。社会のしがらみや過去のプライドを脱ぎ捨て、人生をゼロに戻して再出発する。自らの腕一本で困難をねじ伏せ、泥を吐き出すように生きる。これこそが、都蘭という土地が教えようとした「真の自由」の姿だったのかもしれない。
あの泥の底での格闘は、過去の自分と決別するための「成人式」だったのだ。あの土管を貫通させたとき、私は初めて、ただの移住者ではなく、都蘭の山林を構成する一欠片として、大地に深く溶け込むことができたのである。
