創作大賞2025参加 : 神の器 特別編 「幻燈の館」【第4話/後編】「物言わぬ傍聴人」
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【登場人物】
間宮 真(32)
職業探偵。経験豊富な元刑事。
神依 春一(26)
博覧強記な語り手。神々しい美貌と異能の持ち主。
神依 典彦(25)
春一の弟。間宮の助手役。大手電力会社勤務。
朝比奈 瑤子(40)
全身ハイブランドのCEO。第3話、狂乱し籠城。
【前回のあらすじ】
古びた洋館で起きた不可解な死。朝比奈瑤子の閉じ籠る扉に、呼び掛けるも反応はなく、一同は館の見学を続けることにした。春一はその異能で、美緒の見つめた美しい扉の向こうに、幻燈の少女たちの声を聴いた。
【第4話/後編】物言わぬ傍聴人(春一視点)
「沈黙が紡ぐ真実、選ばなかった言葉が全てを語る。」
神の器は黙して語らず
「こちらがリビングルーム、つまり客間です。かつてはこの館の『もてなし』の中心だった空間ですね」
そう言って押し開けられた古色蒼然たる扉の向こうには、かつての栄華をそのまま封じ込めたような迎賓の間が現れた。
羽賀は肩をすくめて口を尖らせた。
「これで客間ぁ? ちょっと物寂しすぎでしょうよ……」
放置された歳月に色褪せながらも、なお格調の高さを保った部屋だった。
窓帷は銀糸を織り込んだ群青の重布。壁面は海洋寓意のダマスク様式で覆われている。貝の輪郭と波紋の反復文様がわずかに浮き上がり、天井の周縁には宮廷建築の如き貝縁の漆喰装飾が連なる。
部屋の中央の壁際には大理石を積んだ重厚な暖炉。海を泳ぐ女神の浮き彫りや、巻貝と水泡の意匠を施した鏡。典麗な蒼の波斯絨毯が床を覆い、古雅な曲脚を持つ舶来の家具が静かに並ぶ。
全ては、すでに時に蝕まれていた。暖炉が煤けて、彫刻は一部欠けていた。壁も絨毯も、今は埃に沈み、色彩だけがかすかに残る。
「……まるで時間が止まってるみたいだな」
リビングルーム全体を眺めた間宮が思わず、といった風情で、詩的な感想を声に出した。
天井には、グランドホールのものよりやや小ぶりな、硝子の雫を連ねた華麗な吊り電灯。サッシュウィンドウの向こうには、荒れ果てた庭が広がっていた。
部屋には、優美な曲線を描く猫脚の円卓や長椅子、肘掛椅子が並んでいた。ルイ15世様式と思しき、雅致を湛えた調度だったが、いずれも布地の縁には虫喰いの痕跡があった。
榊原が、椅子のひとつに近づいて、布地を指でなぞった。
「なんつーか、座ったら壊れそうな形状ですね……いやでも、こういうのがオシャレなんすよね。 いわゆるアンティークってやつで」
神妙な口調で言うが、どこまで理解しているのかは怪しい。
それを見て、志桜里が微笑を浮かべる。
「この手の椅子、わたしの家にもありますよ。アンティークな猫脚の家具、好きなんです」
空間そのものに向かって語り掛けるような、柔らかな声色。
「こちらは、来客との歓談や、憩いのひとときを過ごす部屋ですね」
宇田川は、志桜里とは対照的に、この館の優しい歴史に感情を寄せることなく言葉を連ねた。
その横で、山路がふっと鼻を鳴らすように笑った。
「歓談ねぇ……今のこの状態からは想像しにくいが……まあ、空間の作りからして、応接の動線はしっかりしているようだがね」
山路が腕を組んだまま、視線を流し、部屋の構造を品定めしながら批評交じりに呟く。その声には癖のある自信が強く滲む。
「窓の位置とソファの配置。ふむ、よくできてるな」
特に目新しいことは言っていないが、少々自信過剰なその調子が彼なりの振る舞い方なのだろう。
荻原貴司が口元にわずかな笑みを浮かべながら言った。
「ま、ここで笑い声が響いてた時期もあったんですよ」
随分と軽い調子で、笑いながら。
俺は、美緒をちらと視てから相槌を打った。
「そうでしょうね」
その言葉は荻原貴司に対する肯定でも共感でもなかった。
なんの小説の一節だったか。悪人ほど記憶が抜け落ちるのは早い。そんな言葉を思い出したのは、彼の声があまりに軽かったからだ。
この館で何が起きたのか、彼ほど知る者はいないだろうに。
美緒は薄く微笑みを浮かべていたが、睫毛はかすかに震えていた。頑ななまでに視線は、巻貝と水泡に縁取られた女神像が浮かぶ、煤けた暖炉の彫刻に固定されたままだった。
窓の向こうの夕暮れが、部屋のなかに沈みこんでいく。
かつて「もてなしの空間」にあったもの。それは、もう失われたのだ。
◆
リビングルームの案内を終えた宇田川は、手馴れた所作で長い廊下を進み、波模様の意匠の真鍮の取手に手をかけると、深い色合いの堅牢な扉を静かに押し開けた。
「こちらが図書室です」
案内された静謐な図書室は、書棚は三方の壁を天井まで覆い、書物たちが無秩序に居並んでいた。欧文や旧仮名、日本では見慣れない文字体系の本まで混ざり、どれも時代の重みを湛えていた。
「蔵書はすべて、この館の旧主人が生前に集めたものです。文学から神秘学、建築様式、薬草学、果てはオカルトに至るまで、実に幅広い分野に手を伸ばしていたようですね」
濃紺の壁紙。書棚の彫刻にはイルカやトリトン、珊瑚の意匠。海洋神話的な装飾が室内の随所に施され、書庫全体が深海を思わせる静謐な品格を湛えていた。
部屋の中央には黒檀の机が据えられ、その上には青藍色の硝子笠をもつ古風な読書灯が整然と置かれている。
読書椅子は革張りで背には貝殻意匠の鋲飾り。傷んでこそいるが今なおしっかりとした造りだ。誰かがここで読書をし、書き物をし、思索に耽っていた時間の痕跡が穏やかに残されている。
宇田川の案内が終わると、誰も言葉を発しなかった。沈黙が部屋を満たす。微かな埃と革の匂いが漂い、ここだけ時間が止まったようだった。
その静寂を破るように、志桜里が閲覧机にそっと手を置いて言った。
「……朝比奈さんのこと、やっぱり気になります。幻燈から逃げ出してから、戻ってきてないし。嫌な感じがするんです」
言葉の余韻が、誰の頭の中にも残る。
「……あの現象、〝残留思念〟に見えました。強い感情が、場所に焼き付いて、それがわたしたちの前に現れる…」
志桜里の口から〝残留思念〟という言葉がこぼれた瞬間、荻原貴司の目の奥がかすかに揺れた。彼には随分と恐ろしいものなのだろう。表情には出さず、口を引き結んだままだが、その掌が無意識に、深いポケットの中で強く拳を握っているのが判った。
美緒がそっと目を伏せた。口元に指を添え、強く言葉を封じ込めた。蒼ざめた横顔が、室内の薄明かりに沈んでいる。……幻燈を語る言葉が、過去の傷に触れた、そんな反応だった。
やがて彼女の視線はわずかに揺らぎ、この場にいる数人の顔色をさりげなく窺った。そこには、確かな冷たい拒絶が滲んでいた。
間宮は固く腕を組んだまま、表情ひとつ動かさず瞬きもせずに志桜里を見つめていた。彼は、〝残留思念〟などという言葉に、心底うんざりしている。
だが同時に、否応なく納得しかけているのだ。
彼は今まで、春一にも志桜里にも礼儀を保っていた。だが本当は、オカルト的なもの一切に激しい嫌悪感情を持っている。しかし彼自身が、すでにこの館の異常、〝幻燈〟に触れてしまった。
彼がこの状況にどれほど苛立っているか、それでも冷静であろうと努めているか。それが、痛いほどに伝わってきた。
参加者たちの顔色より、〝残留思念〟へと想いが傾いているのだろう。志桜里はどこか遠くを見るような素振りで、推理を続けた。
「幻燈はただの映像じゃない。誰かが、強い想いを遺して、そこにいて。残留思念として〝視せて〟くる。朝比奈さんは……それを受け取ってしまったのだと思います」
重く沈んだ空気の中で、誰もすぐには言葉を返せなかった。
こちらを観察する典彦の視線を感じながら、沈黙したまま、志桜里の話を聞いていた。
………志桜里さん。それは違うよ。心の中で静かに呟く。
幻燈は〝残留思念〟じゃない。あれは〝再生〟だ。
この館に焼き付いた〝過去そのもの〟、館の記憶だ。
それが俺たちの前に現れている。ここに亡者はいない。あるのは過去だけだ。
ただ、十五年前ここにあった真実だけが、鮮やかに映し出される。
だが今、それを言うべきではなかった。志桜里が語った“残留思念”という言葉は、オカルト的な用語として、皆に理解しやすい単語だろう。
そしてとても人間的で、きっと皆の心に受け入れられやすい。この錯誤は、今は盾として機能する。
話せば、恐怖を煽るだろう。
だから今は、彼女の〝誤解〟に、黙って乗るのが正しい選択だ。
俺は寂として周囲を見渡した。思考を胸に沈め、沈黙を選ぶ。
やがて彼らは、扉の前に立つだろう。
秘書室の死体
ただの霊的現象ではなく、何かが〝語りかけてくる〟。
志桜里の言葉が、重く、一同の脳内に幾度も過ぎる。
午後六時三十分。
時刻としてはまだ宵の口のはずだったが、窓の外はすっかり夜だ。黒々とした雲が空を覆い尽くし、雷鳴が轟く。風が轟音とともに吹き荒れ、雨は横殴りに変わり、硝子窓を打ちつけている。
「……あの」
その沈黙を破ったのは、榊原の掠れた声だった。明らかに不安を滲ませた口調。
「朝比奈さん、本当に大丈夫なんでしょうか。あれからずっと戻ってきてないっすよ……」
その言葉に、場の空気が重く沈んだ。横目で榊原を見た。頻繁に瞬きを繰り返しながら、しきりに首を撫でている。
「……ああ、まだ引き籠ってんのか、あの女」
間宮の声は低く、けれど苛立ちが隠せていなかった。
責任を避けたいのだろう。山路は、心配を装う決まり文句を口にした。
「こんな天気だ。様子を見に行ったほうがいい」
しかしその一言が、場の緊張に一石を投じる。
榊原が顔を上げ早口で話し出す。
「そ、そうですよね。とりあえずまた部屋を見に行って。ドアが開いていれば、ちょっと探してみましょうよ。……ほら館内、そこまで広くはないし。……閉まってたら、ちょっと声をかけてみるだけでも」
羽賀は頷きつつも肩をすくめ、冗談めかして軽く反論する。
「まあそうなんだけど。でもなぁ、いやぁどうだろう?あの人えらいプライド高そうだったし、あんまり刺激したくなくない?」
「そんなこと、言ってる場合じゃないです」
志桜里の言葉は、普段の控えめな調子にしては鋭かった。
その場にいた全員が、自然と視線を交わす。誰もが同じことを思っていた。もし、何かがあったとしたら。
幻燈が〝呼びかけてきた〟という志桜里の言葉は、得体のしれない恐怖、彼女が何かと対話したのではないかという危惧を呼び起こしていた。
「刺激したくはないけど……放っておくのもどうかな」
美緒は髪を弄りながら、不安げに言葉を添える。
誰もが、心のどこかで朝比奈瑤子が“何かに巻き込まれているかもしれない”という予感を、言葉にせず共有していた。
◆
朝比奈瑤子が引き籠ったままの、貝殻の意匠が施された分厚いオーク材の扉の前に、ふたたび人影が集まった。
声をかけても、返事はなかった。
「朝比奈さん?」
「瑤子さん?」
廊下に響く呼びかけに、返ってくるのはただ、窓を叩く嵐の余韻だけ。精緻な浮き彫り細工が施された重厚な扉。その錆びた取手を揺らしても、中は静寂そのものだった。
典彦が扉の取手を握り、捻ろうとするが、内鍵がかかったままだ。
「……ダメだ。内側から施錠されてる」
典彦が呟く。
間宮が低く呻くように言った。
「この部屋、内鍵しかないのか。面倒な。……バール、持ってこい。確か工具箱があったろう」
羽賀が顔を顰める。
「待てよ、それって壊すってことか?」
山路が保身を滲ませつつ言い添えた。
「他にどうする? もし倒れてたら、責任が取れるのか?時間の問題かもしれんぞ」
典彦は軽く頷き、静かに言った。
「宇田川さん、工具箱。玄関脇にありましたね」
すぐに榊原と宇田川が走って戻ってきた。手には、やや錆びついたバール。
「おれやりますよ。慣れてるんで。……じゃあ、いきますね」
榊原が短く告げ、バールの先を扉の隙間に差し込む。何度か角度を変え、力を込めた瞬間。
鈍い音を立てて、扉が内側に少し押し開く。部屋の空気が、一瞬で外気に流れ込む。淀んだ冷気が、足元を撫でた。
「……朝比奈さん……?」
志桜里が重厚な扉の隙間からそっと呼びかけた。
返事はない。重たい扉を大きく押し開けると、窓帷の開いた硝子窓から響く、嵐の轟音が襲ってきた。
誰もが息を呑む中、懐中電灯を構えた間宮が先に足を踏み入れる。典彦と春一が後に続く。
懐中電灯の光をゆっくりと暗い部屋の奥へ向けた。長椅子の背もたれ越しに、何かの気配があった。ずれているクッション。床に落ちたスカーフ。
間宮がそっと視線を滑らせたその先に、朝比奈瑤子がいた。
青白く血の気を失った顔は硬直し、唇には泡の跡。脚元には小瓶が一つ転がっている。
「……!」
間宮が息を呑み、長椅子の横に片膝をついた。
「脈がない」
淡々と独り言つ。
長椅子の肘掛けにだらりと落ちた右手。呼吸抑制の名残か、爪はわずかに紫色を帯び、指先は氷のように冷たく硬い。
その指先に触れて呟く。
「……冷たいな。それにガラスのように硬い……」
間宮の声は低く、それでいて確かだった。
長椅子に腰かけたままの朝比奈瑤子は、すでに死後硬直に入っていた。顔面は青ざめ、唇の端から、まだ乾ききらない淡い薄紅色の泡が零れている。左手は胸元に浮かびかけたように止まり、そのままの姿勢で凍りついていた。
その亡骸の発見から間もなく、間宮が慎重に死因を確認する。
彼は事務的に検分を進めた。
「死後硬直が始まっている以上、二時間は……。いや、死亡時間は現在不明。死因は服毒の可能性が高い」
間宮の冷静な声が、凍てついた室内の空気を震わせた。
間宮の視線は自然と部屋の細部へと流れ、部屋の四隅を見渡す。彼の思考が加速していくのが解る。
窓も施錠され、換気口には金網。マホガニーの扉は内鍵で閉ざされていた。俺たちが抉じ開けるまで、外から開けられた形跡はまったくなかった。完全な密室だ。
脚元には琥珀色の小瓶が転がり、小さなラベルには「Triazolam 0.25mg/tab」の文字がかすかに見えた。
間宮が懐中電灯を典彦に手渡す。典彦はそれを受け取り、検分中の間宮の手元を照らしながら、眉間に皺を寄せて呟いた。
「薬物…ですか?」
彼らの横には、朝比奈瑤子の所持していた黒い手提げ鞄、Chlorisのハイエンドモデルであるベトゥラ35。ポロサス素材のそれは、フラップが開いた状態で亡骸の隣に無造作に置かれている。紅玉の赤い光がちらりと反射するのが見えた。
「亡くなっています……朝比奈さん……」
部屋の入口から、志桜里が震える声で告げた。室内の間宮の声は聞こえない位置だ。ただ彼女は感じたのだろう。手首に巻かれた鈍く光る美しい細工の腕飾りを撫でながら目を伏せている。
だが、その言葉に誰もが身を固くした。
「なんでだよ。信じられねぇ……だって、このひとは……!」
榊原が震えた声をあげてから、強く唇を噛む。
山路が早口で喋り出す。
「密室だ。内側から鍵がかかっていた。外からの侵入は不可能……死因は自殺か?いや他殺かもしれん」
冷静を装おうと必死だった。だがその声には抗いがたい恐怖が潜んでいるようだ。彼は元刑事の間宮とは違う。元警察官とはいえ、亡骸と向き合う日常の経験はないのだ。
誰もが、先ほど志桜里の口から語られた、幻燈の原理を思い出していた。
何かが、〝語りかけてきた〟。
それが、死へと繋がるものだったとしたら。
参加者たちの脳裡に、あの時、異様なほどに取り乱した朝比奈瑤子の叫び声が響く。
こうして、第一の亡骸の発見は、無言の衝撃をもって幕を上げた。
雨音が、まるで皮肉な拍手のように、硝子窓を叩き続けている。
↓第1話はこちらから
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