なぜ私は、しんどくても編み続けてしまうのか
以前、「なぜ私は絶滅危惧種を編むのか」について書いたことがあります。
けれど今回、もう一つの理由に気づきました。
「どうして絶滅危惧種を編むのですか?」
「糸と音と」のオリジナルブレンドを作る打ち合わせの席で、そう尋ねられました。
その場には、母も同席してくれていました。
三人で言葉を交わす中で、私はひとつの気づきに辿り着きました。
これまでにも、何度も聞かれてきた質問です。
そしてそのたびに、私はこう答えてきました。
オランを編んだことがきっかけで、絶滅危惧種に興味を持ったこと。
そして、自分自身が出産を諦めるよう告げられる闘病を経験し、その後子どもを持てたことから、先の世——環境や自然、地球のことを願うようになったこと。
それは、間違いではありません。
どれも、確かに私の中にある理由です。
けれどあの日、話をしているうちに、もう一つの理由に気づきました。
私は、子どもの頃から長くいじめを受けていました。小学校から高校まで。
その経験があるからなのか、私は自分だけでなく、他人の「痛み」にも強く反応してしまうようになっていました。
絶滅危惧種に関心を持ったとき、私はただ「かわいそう」と思ったのではなく、彼らが感じているかもしれない痛みを、自分の中で受け取っていたのだと思います。
そして同時に、その命を追い詰めている人間に対して、強い感情を抱いていました。
けれどそれは、自分とは無関係の誰かではなく、同じ人間である「自分」も含まれている。
怒りとも、悲しみとも言い切れない、うまく名前のつけられない感情です。
私が子どもの頃にされて嫌だったことを、今は自分が、動物たちにしている側なのかもしれない——
そんな感覚を持ってしまったのだと思います。
私はその感情を、自分が得意とする「編む」という行為に、ぶつけているのだと思います。
だから、絶滅危惧種を編むとき、楽しいと感じることはほとんどありません。
むしろ、しんどいと感じることの方が多いです。
それでも、編まなければならないような衝動にかられるのです。
編み終えたあと、完成した作品を目にすると、そのしんどさから解放されます。
そして、達成感のような、どこか快感にも似た感覚に変わります。
中毒のようなものかもしれません。
だから私は、また編んでしまうのだと思います。
なぜ私は、絶滅危惧種を編むのか。
それは、きれいな理由だけではなく、自分の中にある感情を、そのままにしておけないからなのかもしれません。
そしてその感情は、これからもきっと、私の手を動かし続けていくのだと思います。
光恵
この文章は、私が編む理由について、あらためて言葉にしたものです。
これから少しずつ、「編むということ」について、自分の中にあるものを整理しながら書いていこうと思います。
関連記事
・編めることは、誇れること
・なぜ私は、しんどくても編み続けてしまうのか
・私にとっての教えるとは。
講演やワークショップ、教育機関での授業など、
お声がけいただけましたら嬉しいです。
お問合せフォームにて承っております。
いいなと思ったら応援しよう!
ぜひサポートをお願いします。
私の制作活動や、オランと共に活動している「オランプロジェクト」の活動資金に活用させて頂きます。