いま、突然の京都 肆【最終回】
冗談ではなくてさ。
「果たして、私はあと何回、この街に来ることができるのだろうか?」
そんなことを思ってしまったわけよ。
年齢も半世紀まで、あと一歩というところまできている。
そんなときに、フッと足を運んだこの街に心を奪われてしまった。
この街の持つ艶やかさや美しさ、そして、柔軟さ。
さらには、訪れた人を包み込んでしまうような懐の深さ。
話には聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。
そこにしっかりと対峙し、受け止めた今回の旅は、まさしく歴史、時代、街、そして、この街を作ってきた人たちの想いとの「邂逅」。
それほどまでに私の心はこの街に、心奪われた。
「オッサンの旅行記なんて、興味ない!」
うん。わかってる。
あなたのその考え、私、めっちゃわかる。
「私は何を読まされているの? オッサンの旅ログとか、いらないんだけど~!」
おっしゃる通りでございます。
私が読者だったら、ちょっと抵抗があります……。
そんな方々は、そっとこのページを閉じておくんなまし。
私はあなたのことを止めたりはしません……。
(ちょっと寂しいけど……)
冗談はこのあたりにして、私の京都旅行記の第4回を紹介。
最終日である2日目を私はどのように過ごしたのか?
あなたの目で確かめてもらいたい。
では、はじめて行きましょう!!
空気さえもが「しゃん」としている場所【下鴨神社】
京都御所を後にし、街並みを楽しみながら次に向かったのは下鴨神社。
古代の京都を開いたとされる神、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命 (たまよりひめのみこと)が祭られていることで有名だ。
正直、訪問するまではそこまで知識がなく、同行者のススメに乗せられきてみたものの、一歩、寺社に足を踏み入れた瞬間、なぜだか心が「きゅう」とした。
なんだか、空気感がこれまで訪れてきた寺社とは違うのだ。
多くの緑に囲まれた中に、楼閣の朱が目に映える。
視覚的に刺激され、より一層、この場所に惹き寄せられる。
それだけではない。
先ほどまで歩いてきた市街地とは、体感として2~3℃ほど低い気がする。
まさに「しゃんと」しろと、囁かれているようにも思えた。

そんな楼門を越え、詣でようとする私たちの足を巫女さんが止める。
「おいおい! 巫女さん、私らの詣でを止めるって、どういうこっちゃねん!」
と、突っ込みたくなったが、私はすぐにその理由を解した。
紋付を纏った男性の後に、白無垢の女性が、しおらしく続く。
そのあとを追うように、燕尾や礼服の男女がしおしおと、歩みを進める。
「神前婚って、はじめて見た……!」
私は彼らが、境内に入っていく姿を目で追う。
この下鴨神社に祭られる両神は、婚姻、子宝、子育てを司る。
ここで婚姻を行う二人には、幸せが約束されるのだろう。
そんな二人をニヤニヤと見つめ、その未来を想像している私に対して、冷ややかな目線をもって、同行者が言う。
「足止めをされたので、次の予定は少し削ります。まずは、しっかりと取材してください」
えぇ……?
ちょっと「水みくじ」とか、やってみたかったのに……。
***
とはいっても、下鴨神社を覆う雰囲気が心地よくもあり、じんんわりと私の「何か」をくすぐる。
それは周りを取り囲む森林から流れ込む、マイナスイオンなのか、揮発性有機化合物(VOC)なのか。
はたまた、寺社から発せられる霊力なのか。
なんとも不思議な空気の中、私はふらふらと回遊をし、下鴨神社を味わった。
あ。
やっべぇもの、見つけた。

ラグビーを祀る寺社!
これは、新しいのか、古いのかわからん!(笑)
「第一蹴の地」の石碑が建てられている。
どうやらここは、ラグビーの神様として広く崇敬され、このラグビーの聖地とされているそうだ。
ネットで調べると世界中から多くのラグビーファンが訪れているらしい。
日本の神は八百万の神と言われているが、まさかラグビーの神まで祀られているとは、思わなんんだ……。
京都……、懐が深すぎるだろ……。
平安の地に、安心と安らぎが満ちる。普通の毎日こそが、幸せ。【鴨川歩き➀】
下鴨神社を後にした私は、鴨川を下流に向かい、お散歩した。
その日は天気に恵まれたこともあって、鴨川沿いを歩くにはもってこいだった。
(後の予定を飛ばしたからこそ、この時間が取れたのだが……)
気持ちいのよい陽のもと、私はゆうるりとした時間を過ごした。
優しい日差しを浴びながら、のんびりと川沿いを歩く。
こんな贅沢な時間を過ごせるって、正直、ここ数年ではなかった。
川のせせらぎ、抜けるような空。
そして、幸せそうな人々の姿。
見ていて恥ずかしくなるくらいの「のんびり」を過ごしている人たちの姿に、私は口の端が上がる。
あ。
ごめんよ!!
説明が足りなかった!!
鴨川の河川敷には、家族連れ、カップル、そして、一人で、など。
各々のスタンスで、自由に、リラックスした時間を過ごしている。
私は都内に暮らしているが、こんなにも「河川」と「人」が近く、人々が安心して過ごしている場所を見たことがない。
だからこそ、驚き、羨ましく思った。
川辺、水辺が日々の癒しになっているこの風景に、私は安心の街づくりを見たような気がする。
休日の昼間に、鴨川の河川敷で、
恋人同士が、肩を寄せ合い、ひとときの時間を過ごす。
友達同士なのであろう、ビールを片手に熱く語る姿。
夫婦が柔らかい笑顔を交わし、その間で子供たちが、キラキラとした笑みを溢れさせる。
言葉少なく、だけど手を握り、ゆっくりと歩む二人。
そんな各々が自由であり、ゆうるりとした時間がそこには流れていた。
河川敷がこんなにも「人と人との癒しの場」になっていることに私は静かな感動を覚えた。
自然は人の心を癒し、つながりを作る場所になる。
それを、この鴨川歩きで思った。
あ。
ごめん。
前半の鴨川歩きの写真が取れてない~……。
ちょっと一息、京都と言ったらこれでしょ。【濃茶をいただく】
鴨川の河川敷をゆうるりと下っていく中で、街の中へ一歩足を踏み入れる。
このあたりでは有名なお茶屋さんに寄るためだ。
風格のある外観から店内に入ると、歴史ある番台が視線を奪う。
お品書きも明確、かつ視覚的に「雅」を感じる。
先ほどまで現代に居たはずが、店に入った瞬間に時代を越えてしまった。
そんなタイムスリップ感を味あわせてくれたことに、私の心はドキドキが止まらない。

店の奥では、濃茶を頂くことができる。
鴨川の河川敷を歩くこと1時間。
緩やかな運動をし、心温まる風情を見て心は解放されたけど、肉体的な疲労は若干ある。
それを濃茶と茶菓で癒すことができるというのは、なんとも贅沢なことか。

早速、濃茶と薄茶を注文し、ひと時の休息を喫する。
「うわ! 思っていた以上に濃いぃ! めっちゃ茶葉をそのまま食べている感じじゃん! 濃いぃぃぃ!」
声には出さなかったが、心の中で叫んでいた。
慌てて、茶菓をひと欠片、投げ入れるようにして食す。
口の中で濃厚な「The 緑」を感じさせる茶葉の風味が、茶菓の甘さによって少しずつ中和されていく。
目の前の同行者に気取られぬよう、続けてお水をいただく。
うん。
これでどうにか、リセットされた。
茶葉の香りダイレクトの苦さと茶菓の甘さで、ジェットコースターのように味覚を刺激されたからか、少しばかり疲労が抜けていることを感じる。
「素人さんが無理しないでください。濃茶はじっくりと時間をかけて味わうものなんです。一気にいただくものでは、ありません。そんなことも知らないだなんて、教養に欠けていますね」
薄茶をゆうるりとすすりながら、静かに皮肉をぶち込んでくる。
どうやら私が、濃茶に悶絶していたことは見透かされていたようだ。
昼と夜とで違う顔を見せる街【鴨川歩き➁】
濃茶と茶菓で、心もお腹も満たしたところで、再度、鴨川の河川敷を三条に向かって下ってゆく。
3月に入ったばっかだというのに、河原にはやわらかい日差しが降り注ぎ、春の様相を呈していた。
暑くもなく、寒くもなく、ちょうどいい気温。
そりゃあ、誰もがこの自然からの恵みを享受したくなるよ。
河川敷には多くの人が、思い思いの時間を過ごしている。
川のせせらぎ。
優しく、温かい日差し。
ほんのりと香る花の香り。
五感のほぼすべてを柔らかに刺激し、安心を与えてくれる。
こういう自然からのギフトを受け取れること自体が、「幸せ」の一つなのではないかとフッと思う。
川原で各々が楽しむ姿を見ながら、歩みを進めていると、あるものが目に留まる。

「昨日、夕食にお邪魔した店じゃあないか!!」
昨晩は店内から鴨川を見ていたが、鴨川側からは店がこのように見えていることに少し驚く。
川に沿って並ぶ長屋が、この河岸を味わい深い景観を作り出している。
「夏と秋には川床が立つんです」
同行者が隣から誇らしげに投げかけてくる。
「鴨川に向かい、テラスのような川床ができるんですよ。鴨川に流れる風を感じながら、食事ができるようにね。風流ですので、今度は夏に来てくださいな」
ふうっと想いを巡らせるように言葉を紡ぐ。
その横顔に少しの寂しさを感じたが、私は気づかないふりをした。
***
では、昨日、食事処を求めてホテホテと歩き回った街は昼間にはどのような顔を見せるのか?
そんな素朴な疑問が湧いたので、街中へ。

夜の雰囲気とはまた違い、京都らしさが溢れる風情のある街並み。
多くの店舗は夕方からの営業らしく閉まってはいたが、その佇まいがここを観光する人の心を惹き付けるものだった。

長屋のように店舗がひしめく合う中で、フッと現れる空間。
それが、ある意味での「息抜き」のようにも感じられ、私はスマホで写真をとってしまう。
街を観て楽しみ、歩む人の足を止め、「この風景を切りとり、保存したい」と思わせてしまう街の雰囲気に、訪京以来、何度目かの、嬉しさと悔しさがない交ぜになった感情を抱いた。
京都。ええで。
帰りの新幹線をプラットフォームで待ちながら思う。
仕事が思っていた以上に早く終り、フラッと京都にきてみたが、そこは歴史と新しさが融合した街だった。
そして、もっと早くに京都を訪れていないことに悔しさを覚えた。
(いや。中学校の修学旅行できているやろ)
歴史的に価値の高い建造物だけでなく、新旧が融合する街、京都。
活気が溢れる市場もあれば、一歩入れば、厳かな雰囲気の寺社が迎えてくれる。
ちょっとした街角に、その時代へ想いを馳せてしまうような遺物が、当たり前のように置かれているという異世界感。
さらには、人々が笑顔で、安心できる自然と環境が整備されている。
ここまでの社会、街づくりを整備しているからこそ、多くの人の心を惹き付けるのだと感じた。
もっとこの街を知りたい。
そして、多くの場所を訪問し、そこから多くを吸収したい。
だからこそ、もっと足繫く、通わねばと思う。
だか、少し寂しくもある。
「私は、あとこの街を何度、訪れることができるのだろうか」
と。
***
今回、記事にして思った。
「私はまだまだ、語彙力が足りない」と。
魅力あふれる京都という街を私の筆の力では、表現しきれていない。
作家として、まだまだ研鑽をしなければと、街からも急き立てられているように感じた。
だが、懐が深い京都という街は、私の稚拙な記事も包み込んでくれるだろう。
春を間近にした柔らかな日差しが降り注ぐ、新幹線プラットフォームで私は少し自嘲気味に、この感想をスマホに記した。
ピコん!!
同行者からDMが届く。
「また、京都付近へおいでの際は、お声がけをくださいな。稚児に、もう少し『日本の一般教養』を教えてあげますよ」
まったく手厳しい。
でも、めっちゃ充実した時間をありがとう。
(了)
第一話目は、こちらから。
第二話目は、こちらから。
第三話目は、こちらから。
