運命を信じますか?ー全ては必然
恋愛コーチ・アイリーンとの出会い
ブログで知った、人生を変える女性
2008年12月、世界を震撼させたリーマンショック。
皆さんは何をしていたか、何処にいたか?覚えていますか?
当時の私は南カリフォルニア、オレンジ郡に住んでいました。LAXから車で一時間前後、カリフォルニアの有名な高速道路“405”を南下したお隣の郡、人口に対して富裕層の比率が多い事で有名な Orange County、通常はOCと呼びます。
数年LAで働いていた後、2008年の春に転職して、OCへ引っ越しましたが2008年の暮れに起きたリーマンショックで失業!あの時は、富裕層が多く住むOCでアッパーミドル以上と自負していた沢山の人達が、数億円以上する邸宅を失い、追い出されたも同然に子供連れで公園で野宿する姿、億万長者から一夜でホームレス?今でも忘れられない光景で本当にショックでした。そんなニュースを毎日のように見ているだけで不安や迷いが増長し、世の中のエネルギーが暗くてとても憂鬱な日々でした。
ただ、私の場合は、失業時にアメリカで“パッケージ”と呼ばれる退職金とCOBRAの保険を3か月分を保障してもらえたので本当に幸運でした。更にラッキーな事に、当時のオバマ政権は事態を重く見て、40歳以上は再就職が難しいという理由で失業保険を延長して、補助金として支給してくれたので、結果的に私達は“ホームレス”にならずにすみました。
転職したタイミングで次男とOCでの暮らしが始まった半年後の失業、アメリカ生活でメンタルが鍛えられた私でも、当時の家賃と光熱費で2,000ドルどうやって生活をするか?というのは大変なプレッシャーで正直、鬱になりそうでした。
Fate or By Design?
鬱になりそうでも、日系のネットで見つけたアルバイトを始め、そこから自力で2010年から、ネットビジネスという新境地に挑戦し“暗中模索”していた時期が2012年の春でした。
ある日、目にした日本のアメブロで「アイリーン」という女性を知りました。彼女は沖縄で生まれ育ち、父親はアメリカの退役軍人、母親が日本人のハーフの女性。アメリカ軍基地内のアメリカンスクールで高校まで学び、その後、大学進学のためアメリカ本土へ渡り、名門バークレー大学に入学。ただ、大学卒業後は沖縄に戻り、日本で生活したと書かれていました。当時のアメリカでは、高校卒業後は親元を離れて自立するというのが一般的な考えでしたので、私はアメリカ人なのに日本へ帰国するなんて不思議だなと感じながら、ブログを読み進めたのを覚えています。
さらに驚いたのは、彼女が世界的カリスマコーチ、アンソニー・ロビンズの指導を受けていた事です。まだ彼が超有名になる前の時期でも、コーチ料は5万ドル(約750万円)と高額。私は金額以上に、人生を変えるために覚悟を持って行動した彼女の姿勢に心を打たれました。この出会いは、単なる一人の女性との出会いではなく、「自分の人生に真剣に向き合うことの価値」を体現している人との出会いでした。
勇気を出すことで見えてくるもの
私にとってアイリーンの存在は、「何とかしないと!」という言葉で上手く言えないけど、確かにそこに在る気持ちを深く考えるキッカケ、そのプロセスを加速させる原動力になりました。
実は、リーマンショックの後、半年位時間が経過して時間だけはたっぷりとあるし、気持ちも落ち着いていたのでデートを再開してみたのです。お金目当てと誤解されてもしかたないという意味では、タイミングが最悪だったのですが、私は一人で背負う責任のストレスや孤独感もあって、無意識に話相手を求めていました、またそう感じた人も多かったような記憶です。
ただ、低いエネルギーを持つ私が、デートに出かけても楽しいとは感じなかったし、Datingに積極的にもなれませんでした。相手に強い興味を持てなかった事も理由ですが、ただ、自分が変わる必要だけは感じていました
(当時は気がついていませんでしたが) 大きな壁は、“無意識レベル”で母親として「自分達の生活を優先するべき」という気持ちが強く、潜在意識で“恋愛をブロック”していた事でした。
次男が中学生、高校生だった6年間は、子ども中心の生活を最優先にするべきと考え、再婚など男性の存在に重点を置くことは、自分の中で正解ではないと “Auto Pilot”で判断して行動していたのです。
無意識に恋愛、男性との関わりを避けていた事に気がつかず、素敵な人との出会いがないとだけ感じて、自分の中の孤独感、ストレスをどう消化していいのか?モヤモヤする気持ちが常に心のどこかにあったのです。
運命を感じた出会い
アイリーンとの出会いを振り返ると、「偶然」という言葉では片付けられない感覚があります。ブログを通じて知り、共通の知人もいないまま、彼女の初めてのセミナーに参加する為に日本へ一時帰国、セミナー後の懇親会での会話で感じた不思議な親近感。半年後にLAで彼女と再会、ある意味では彼女のサポートを始めました。今の言葉では「推し」というのに近いかな?この数年後に彼女との出会いは、私にとって必然だと確信になりました。
追悼の気持ちを込めて
アイリーンは2020年4月末、癌でこの世を去りました。今も生きていれば、9月末で60歳、還暦のお祝いの歳です。彼女が乳癌と診断されたのは、2013年の暮れ、彼女のブログではその当時の心の揺れ動きを綴っています。彼女は英国人の男性と結婚してイギリスに住んでいましたが、辛い癌の治療中でも、日本人の女性向けに発信する事を続けていました。彼女にとってのコーチングは、命をかけたミッションとして、情熱を超えて「魂の選択」だったのだと思います。
キモセラピーが落ち着いた頃、彼女は日本で恋愛コーチとして活動すると同時に彼女自身の学びの為に、数か月に一度はイギリスから南Caliのサンディエゴに来ていました。私はその都度、彼女に会う為に車でS.D.へ出向き、一緒にシャンペンやワインを飲み、友人関係を構築していきました。
2014年、癌の宣告後から2020年に彼女が亡くなるまでの7年間、LA、サンディエゴ、NY、パリ、ロンドン、そして東京の6都市で、泣き、笑い、ワインを沢山飲みました。最後に彼女に会ったのは2019年の11月のロンドンで開催されたチャリティーイベント「Pink Ribbon Party」今でも忘れられない楽しい思い出です。
2020年の春、日本に向かう彼女とメッセージを交換しながらも直後にパンデミックが起こり直ぐに出国する事は無理で、会う事は叶いませんでした。
彼女との出会いや影響は、私の人生に深く刻まれています。後悔しない生き方、辛い化学治療を受けながらも、挑戦する姿を見守るのは魂を揺さぶられる経験でした。
彼女のお誕生日まであと一か月、追悼の意味を込めて、次回以降の記事で彼女とのエピソード、そして出会った人達、人生観の変化などを順に綴っていく予定です。「運命の出会い」を信じるかどうか、それは人それぞれですが、私にとってアイリーンとの出会いは、人生を変えるほどの力を持っていました。
彼女は精力的に活動していたので動画も沢山あります。これはサンディエゴで撮影した彼女の動画の1つ。外見もですが、心もとっても綺麗な人です。
A Bientot!
Madam_H
