私を一番疲れさせていたのは、名もなき家事じゃなかった。
リビングに転がってる靴下を拾う。
DMを分別して捨てる。
献立を考える。
私はずっと、
疲れているのはこのせいだと思っていた。
いわゆる「名もなき家事」。
名前はないけれど、
毎日発生する細かい仕事たちだ。
でも最近、それだけじゃない気がしている。
ある朝、息子が言った。
「学校行きたくない」
私は話を聞いた。
何が不安なのか考えた。
体調はどうなのか様子を見た。
学校への連絡を考えた。
仕事の予定を組み直した。
昼ご飯のことを考えた。
先生へ状況を伝えた。
面談の日程を調整した。
帰宅後はゲームの様子を見ながら
話すタイミングを探した。
教科書が見つからないと言われれば、
一緒に考えた。
その間も、洗濯機は回り続けていた。
ふと思った。
これって、何の仕事なんだろう。
介護の現場だったら、役割に名前がある。
ケアマネージャー。
ケースワーカー。
相談員。
支援員。
コーディネーター。
利用者の話を聞く人。
状況をアセスメントする人。
関係機関と連絡を取る人。
支援計画を立てる人。
それぞれ役割が分かれている。
勤務時間がある。
担当がある。
引き継ぎもある。
でも家庭の中では違う。
息子が不安を訴えれば、私は話を聞く。
状況を整理する。
学校へ連絡する。
先生と話す。
予定を組み替える。
体調を観察する。
必要なら抱っこする。
次にどう動くか考える。
介護や福祉の現場なら、
複数の職種で分担されている仕事だ。
でも家庭の中では、全部まとめて
「お母さん」
になる。
誰もそれを仕事とは呼ばない。
だから私も、気づいていなかった。
疲れている原因は家事だと思っていた。
洗濯。
掃除。
ご飯作り。
買い物。
もちろん、それも疲れる。
でも本当に神経を使っていたのは、
その上に静かに積み重なっていた別の仕事だった。
話を聞く。
考える。
判断する。
調整する。
見守る。
先回りする。
そして責任を持つ。
終わった、という瞬間がない仕事。
息子が眠った後も続いている。
明日の様子を考えながら眠る。
夜中に目が覚めても気になる。
朝になれば、また始まる。
私はずっと、
名もなき家事に疲れているのだと思っていた。
でも、本当に疲れていたのは、
その上に静かに乗っていた
「+α」だったのかもしれない。
名前もない。
勤務時間もない。
終わりもない。
引き継ぎもない。
でも確かに存在している仕事。
もしかしたら私は、それを
「名もなき育児」と呼びたいのかもしれない。
「お母さんは大変だよね」
と言われたいわけじゃない。
ただ、この仕事には名前があってもいいと思う。
名前がつくと、見える。
見えると、少しだけ整理できる。
整理できると、
誰かと分け合うこともできるかもしれない。
今日も当たり前のようにやっている、その+αを。
私はようやく、言葉にし始めている。
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