子どもがつらいと言った朝、私は自分の弱さも話してみた
朝から、息子の声が小さかった。
「学校行きたくない」
最初は、その一言だった。
でも話しているうちに、
「頭が痛い」
になり、
最後は、
「死ぬかもしれない」
になった。
私は朝ごはんを作りながら、その話を聞いていた。
お茶を入れて、
パンを並べて、
返事をする。
何がそんなに怖いんだろう。
何がそんなに不安なんだろう。
考えながら聞いていた。
でも正直、その日は私もかなり疲れていた。
ここ数週間、
息子の不安は少しずつ大きくなっていた。
学校のこと。
将来のこと。
大人になること。
一つひとつは小さな話なのに、
それが毎日のように積み重なっていた。
もちろん、聞きたくないわけじゃない。
むしろ聞きたい。
この子が何に苦しんでいるのか知りたい。
でも、人の不安を受け止め続けるのは、
思っている以上に神経を使う。
その朝の私は、少し擦り切れていた。
ふと窓の外を見た。
公園の桜の木が見えた。
春の花はもう終わっている。
代わりに、青々とした葉が風に揺れていた。
朝の光が当たっていた。
この子は今、
「つらい」
ばかりを見ている。
不安でいっぱいになっている。
だから私は、自分の話をしてみようと思った。
「ママね、しんどい時、あの木に話しかけるんだよ」
息子が顔を上げた。
「でも木は返事しないじゃん」
私は少し笑った。
「そうなんだよね。でも変なことも言わないんだよ」
息子も少し笑った。
私は続けた。
「ママね、つらいなとか、しんどいなとか、疲れたなとか、あの木を見ながら話してるの」
「そうするとね、少し元気になるんだよ」
風で葉っぱが揺れていた。
朝の光が当たっていた。
自然の中に入ると、
少し気持ちが軽くなることがある。
気持ちが洗われる、というのかな。
私は昔から、そういう時間に助けられてきた。
私はただ、自分の話をしていた。
「ママも疲れるんだよ」
「ママもしんどい日があるんだよ」
そして、
「でも、こうやって立て直そうとしてるんだよ」
という話をしていた。
世の中には、
「親なんだからしっかりしなさい」とか、
「子どもの前で弱音を吐くな」
という考え方がある。
それも分かる。
でも私は少し違うことを思っている。
弱音を吐くこと自体が悪いわけじゃない。
ただ、弱音だけを吐き続けるのとも違う。
苦しい。
疲れた。
しんどい。
そう言いながら、
じゃあ自分はどうするのか。
どうやって立ち上がろうとしているのか。
その姿を見せることにも
意味があるんじゃないかと思う。
子どもに見せたいのは、完璧な親ではない。
いつも元気な親でもない。
苦しい日もある。
疲れる日もある。
泣きたくなる日もある。
でも、そのまま座り込んで終わりじゃなくて、
自分なりに立ち直ろうとしている姿。
私は、その朝そんなことを考えていた。
息子は黙って聞いていた。
どこまで伝わったのかは分からない。
でも私は少しだけ、
「聞いてくれてありがとう」と思っていた。
子どもは守られる側だ。
でも同時に、
誰かの気持ちを受け取る経験もしていく。
そんなことを思った。
窓の外では、桜の葉が風に揺れていた。
朝の光が差していた。
私はその朝、息子の話を聞いた。
そして少しだけ、自分の話もした。
それだけの出来事だった。
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