【小説・ヴィーナス症候群】(66)それぞれの離れ方
服の生地が、肩の断端をかすめるたびに、少しだけ自分の体が「着せられている」ことを意識する。
矢野恵麻は、鏡の中の自分をじっと見つめていた。ミントグリーンのワンピースは、よくある夏素材のワンピースで、肩もとが広く開いたデザインだった。袖がないのは最初から分かっていたけれど、それでもやっぱり、自分の体が「仕様に合っている」ことがわかってしまうと、少しむずかゆかった。
撮影は、都内のショールームで行われている。白くて清潔な空間に、やわらかい色のワンピースがいくつも吊るされていて、スタッフの人たちは誰もが親切だった。
「もう少し笑ってみましょうか」とカメラマンが言うと、恵麻は少し口元に力を入れた。
笑えるものか、とどこかで思っていた。

あれから、同じボーカル専門学校に通う紗奈はギターの仕事をどんどん増やしていた。ライブのサポートだけじゃなく、スタジオのレコーディングや仮歌の仕事も。最近は専門学校の講師からも声をかけられてるらしく、「副業OKになったからさ〜」と嬉しそうに言っていた。
だけど、紗奈が歌から離れようとしているのは、見ればわかる。ボーカルレッスンの話はもう全然しないし、ギターの音楽系YouTubeチャンネルに出演したとき、「もう自分は裏方寄りでいいと思ってる」と言っていた。
それを遠くから見ている自分が、少しだけ、映像の中の人みたいに感じた。
専門学校には、まだ籍を置いていた。定期連絡のメールが届くたびに、「ああ、そうか」と思ってログインだけしている。レッスンにはここ最近まったく出ていなかったけれど、卒業だけは、たぶんしておこうと思っている。
徳島からフェリーに乗って上京してきた時、歌手になれるのは一握りだと、もちろん分かっていた。だけど、自分がこんなふうに「離れる」形になるなんて、想像すらしていなかった。
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最近になって、同期の中にも音楽とは別の道を歩き始める人が増えてきた。
カラオケ機器の会社に就職した子。舞台音響の現場スタッフとして働き始めた子。バイト先のカフェでそのまま社員登用された子。地元に戻って家業のパン屋を継ぐことになった子もいる。「やっぱり安定しちゃったほうがいいよね」と笑いながら、もう歌の話はしなくなっていた。
それぞれの離れ方があるなら、たぶんそれでいいんだと。
あれから、トルソーの仕事をたくさん入れた。
都内のアパレル、郊外の展示会、研究室の試作モデル、商業施設のイベント。呼ばれればどこへでも行った。鹿児島にだって行った。
誰かに「生活できるの?」と聞かれたことがある。心配でも、好奇心でも、なんでもよかった。ただ、恵麻はそのたびに「できてますよ」と答えた。それがどこか、自分自身に対しての確認のようでもあった。
乞食じゃない。わたしは。
撮影をしていると、そんな言葉が浮かんでくるときがある。
レンズの向こうから、「美しい」とか「素敵です」とか言葉をかけられる。だんだんそれにも慣れてきて、むしろ言われないと不安になるくらいだ。トルソーの現場では、腕があるかないかは問題じゃない。というか、最初から腕がないのが作業の前提だ。
それが楽なようで、でもどこかで「歌う身体」を見失ったような気にもなる。
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撮影が終わって、スタッフにお辞儀をすると、誰かが「ありがとうございました」と返してくれた。
もう一度、鏡を見た。
たぶん今日も、いい写真が撮れている。
でも、これは歌っていない自分。
それぞれの離れ方があるなら、これはたぶん、わたしの。
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駅に向かう途中、イヤホンから流れていたのは、専門学校の同期が配信していた新曲だった。
きれいな声だと思った。悔しさも、嫉妬も、不思議と湧いてこなかった。
ただ少し、静かな夜だった。
