【小説・ヴィーナス症候群】(33)相模湖美術館での仕事
第一章 夢とバイトとトルソーの日々
矢野恵麻は、徳島県の高知県境に近い海辺の町で生まれ育った。
山と海しかない小さな町。
阿波踊りといえば徳島市のイベントで、地元の商店街では毎年やるかどうかもあやしい盆踊りが精一杯だった。
高校までずっと地元の学校に通っていたが、卒業してすぐ、彼女は東京に出た。
目指すのは、歌手。
手はなくても、声ならある――そう信じて、マイクと譜面台と、安い電子ピアノを引っさげて、
彼女は専門学校のボーカル科に入学した。
「ヴィーナス児」と呼ばれる存在がある。
第二のサリドマイド事件とも言われた、原因不明の先天性障害。
両腕のない女の子が一定の世代に集中して生まれたが、薬害と断定されることはなかった。
けれど、社会はそれを見て見ぬふりはできず、名前をつけた。
“ヴィーナス児”――ミロのヴィーナスのように、腕がないから。
矢野恵麻もそのひとりだった。
小さいころから、自分の腕のない肩を見て、ああこれが「生まれつき」というやつなんだと、
まるで天気か地形のように、淡々と受け入れて育った。
他のヴィーナス児たちと同じように、
彼女もまた“トルソーさん”という仕事に就いた。
試着モデル。着装チェック。フィッティングモデル。
呼び方はいろいろあるが、どれも「着てみせる」仕事だ。
義肢工場や研究室では、道具としての着用試験。
アパレルブランドでは、腕のない身体でどんなふうに服が落ちるかを見るための、生きたマネキン。
“トルソーさん”は制度として定着していた。
視覚障害者が鍼灸・マッサージの仕事に就くように、
ヴィーナス児にはヴィーナス児の就労先があった。
恵麻も、平日は学校、土日はトルソーのバイト、
そんなふうに生活をやりくりしていた。
けれど、今は違う。
今週末には、学内のオーディションがある。
合格すればライブ出演やレコーディングのチャンスに繋がるという話だった。
今は歌に集中したい。でも集中したいからこそ、バイトができない。
そしてバイトができないからこそ、生活はどんどん苦しくなる。
冷蔵庫の中には、ミネラルウォーターと豆腐だけ。
スマホのPayアプリは残高5円。
ATMに行っても何も下ろせない。
水道代の督促状を見て、しばらく無言で立ち尽くした。
そのときだった。
アプリに通知が届いた。
【短期・高額】相模湖美術館での案内業務
時間:8時〜17時予定(実働6時間)
報酬:40,000円
条件:ヴィーナス児女性。年齢20〜29歳
衣装・移動:支給・手配あり
「……美術館?」
恵麻はスマホを手にしたままつぶやいた。
なぜ美術館で案内?
なぜヴィーナス児限定?
それって……「腕のない女が芸術っぽい」とでも思ったってこと?
「ミロのヴィーナスに似てるから」みたいな安直な発想?
もしくは裸で立ってろってこと?案内役っていうけど、まさか裸エプロン?
いや、でも報酬は良すぎるくらいに良い。
たった一日。週末だけ。交通費支給で衣装つき。
「……やるしかないか」
そのまま、アプリ内で応募ボタンを押した。
やってみなければ分からない。断る理由もない。
それに、1日やり過ごせば、今月の家賃も払える。
このとき恵麻は、まだ知らなかった。
その美術館が、どんな場所で、
どんな人間のもとで、
どれだけ下品で、どれだけ狂った空間であるのかを。
第二章 地上げ王の美術館
「相模湖美術館って、あそこ?」
前日、Confeitoの控室で会った大里ひかりが言った。
ひかりも同じヴィーナス児であり、「トルソーさん」だった。違うのは、ひかりはConfeitoに所属している専属モデルであること。
その日も水着のフィッティング。恵麻は肩をタオルで覆いながら、手伝ってもらった着替えをぼんやりと眺めていた。
「やばいとこ行くんだね、エマちゃんも」
「……え、そんな有名?」
「有名っていうか、いろんな意味で。“地上げ美術館”って呼ばれてるの知らない?」
聞けばその美術館――相模湖のほとりにあるらしい――は、千里馬不動産という不動産会社の社長が私財で建てたものだった。
名前は金本元洙。
昭和の香りを色濃く残す不動産成金で、テレビや雑誌に出てくるたびに“地上げ王”だの“関西の虎”だのと紹介されていた。
「高い美術品ばっかオークションで競り落として、脈絡なく展示してるらしいよ。
モネの横に仏像があって、その横にエヴァのセル画があるとか。あくまで噂だけどね」
「めちゃくちゃやな……」
「でも好事家にはわりとウケてるんだって。“この狂った美術館を見よ”って感じで。
SNSにもよく上がってるよ。中学生が騒いで相模湖に沈められたとか、
壺割った客が腎臓売られたとか……」
「……都市伝説だよね?」
「さあね」
ひかりはタオルを肩にかけ直して笑った。
⸻
千里馬不動産の本社は新宿にあった。
西新宿の超高層ビル群、その中でもひときわギラギラした外観のタワーオフィスに、
「CHONRIMA REAL ESTATE」の金文字が光っていた。
その建物の前に、朝8時、サロンバスが待っていた。
恵麻が指定された時刻に着いたとき、すでに5人の女の子が乗車していた。
どの子も恵麻と同じように、両肩のあたりが丸く、腕がない。
ヴィーナス児で、トルソーさん。
名前も知らないけれど、妙に安心感があった。
座席は赤いベロア張り。テーブルの上には缶入りのウーロン茶。
演歌のカラオケ映像がモニターでループしていた。
昭和の銀座のスナックが、バスの中にそのまま再現されていた。
「お〜〜来た来た!」
その声と共に、乗ってきたのが“社長”だった。
スーツのボタンは閉まっていない。
胸元には金のチェーン。腕時計は異様に太く、靴も光っていた。
60代。
第三章 ピストルと包丁と、サロンバスの演歌地獄
バスが新宿を出発し、首都高から中央道に入ったあたりだった。
「わしな、差別ってのが一番嫌いやねん」
金本元洙が、いきなりそう言い出した。
赤いベロアのソファにどっかり腰を据え、金のチェーンをぶら下げながら、演説のように語り出す。
「昔な、わし近鉄沿線の朝鮮部落で生まれてん。あんたら知らんやろ?
便所がぼっとんやで。二階建ての立派な特急が横通るけど、たれ流しのクソが風で飛んできて洗濯物に引っかかるようなとこや。
そんなとこで育ったからこそ、わしは人を差別せえへん」
朝鮮部落やらボットン便所やらたれ流しの何ちゃらはともかく、恵麻は心のなかで(またか)と思った。
ヴィーナス児をしていると、定期的にこういう男が現れる。
「僕は差別をしない」
「ヴィーナス児は芸術だ」
「俺の女にもなれるぜ」
そういう話が、だいたいすぐ後に続く。
案の定、金本は言った。
「ヴィーナスちゃんかて、差別されたやろ?」
明らかに、共感を求めているのではなく、
“差別される側”と“差別しない側”の構図を作って、上から語っているのだった。
「いえ、全然」
恵麻は、即答した。
「徳島のお母さんは、“東京で差別されるかも”って言ってましたけど、
全然そんなことないです。むしろ退屈なくらい」
「そうそう」と紬が言った。
「差別とかしてたら、今の社会じゃ生きてけないですよ」
「こっちが気を遣ってますって、むしろ」芽衣も続けた。
社長は、すこしだけ不機嫌そうな顔になった。
⸻
しばらく黙っていた金本は、
「そうか……まぁ、ええわ」とぶつぶつ言ったあと、
突然話題を切り替えた。
「お嬢ちゃん、徳島なんか。
わし昔、徳島市内のソープ街をシマにしとるヤクザの親分に呼ばれてな。
阿波踊りの特等席、見たことあんねん」
恵麻は、体温が少し下がるのを感じた。
「踊ってる女の子がおってな、編笠に浴衣の子もおったけど、法被に白いショートパンツの子もおってな。
あれがもう、太ももピッチピチで……たまらんのや!
なんで全員ショートパンツにせえへんのかな?
あれで踊られたら、わし何回でも行くで、ほんま!」
恵麻は唖然として、返す言葉がなかった。
(……あんた、ほんまにわかって言うてんの?
あれ男踊りの法被やで。女の子でも男踊りするときは、あの格好するんよ)
(……ていうか、ソープとかヤクザとか、年若い女の前で出す語彙ちゃうやろ)
(うち、徳島市内やないし、阿波踊り出たことないけど、
浴衣は女踊り、ショーパンは男踊り、そんくらいはわかる。
なのに見てるのは太ももだけ。文化でも伝統でもない。エロ目線のネタにされてるだけやん)
「ちなみにその親分、数年前にヒットマンに殺されたけどな。惜しい人亡くしたわ〜」
聞いてない。
⸻
それでもバスは、中央道をまっすぐ走っていく。
窓の外の山々は美しく、車内の空気だけが淀んでいた。
阿波踊りの太もも話が終わっても、社長のマシンガントークは止まらなかった。
「そういや茨城もよう通ったな〜。
わし、国道6号沿いでラブホ建てたことあるんよ。
最初は田んぼやった。地主のジジイが“ここだけは売れん”とか言うてきてな。
“ほな、そこだけ沈めたるわ”っちゅうて、まるごと潰したった」
「……」
その茨城出身の紬は顔を動かさないまま、明らかに目の奥が止まっていた。
「ほんでや。夜中に火炎瓶飛んできて、飯場にピストル撃ち込まれて、
現場監督が“無理っす”とか言い出して逃げよったんよ。
しゃあないから、わし自腹で防弾チョッキ買うて現場入ったわ。
真夏やで? 汗でびしょびしょや!」
芽衣と恵麻が小さく顔を見合わせた。
何が言いたいのかわからないが、とにかくテンションだけは異常に高い。
「でも完成したんや。“HOTELサンシャイン那珂”。
オープン初日に爆弾予告あったけど、予約満室やで。
ニュースになったおかげで客殺到や。炎上商法の元祖やろ、わし!」
紬は、黙って目を閉じた。
そのホテルの名前、どこかで聞いたことがある気がした。
⸻
「名古屋も忘れられへんな〜。錦三のスナックな、
ママがおってな、別の店の子とも付き合うててな、
ある晩、家帰ったら女が包丁持って突っ込んできよったんや。
ドーンよ、腹に!」
名古屋出身の芽衣はほぼ無表情のまま、ソファの背にもたれた。
「血ドバドバ出てたけど、サラシ巻いてそのまま商談行ったわ。
わし、そういう人間やから。根性が違うねん」
芽衣のまぶたが一瞬だけ動いた。
その視線は、まるで何も見ていないようだった。
「ちなみにその女、今はヤクザの若頭の嫁や。
うまいこと世渡りしたっちゅうわけやな!」
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バスの中は、すでに空気が死んでいた。
誰も、なにも言わない。
シャンデリアがカチャカチャ揺れ続け、
カラオケ映像では、男が港に向かって背を向けていた。
「港の〜〜 あかりが〜〜 ぽつりと〜〜 ついた〜〜」
第四章 安キャバドレスと貼り紙の芸術
―SAGAMIKO ART MUSEUM・その内幕―
平井聡一郎は、もともと名門私立大学の美術史教授だった。
ルネサンス期の宗教画を専門とし、海外の学会にも呼ばれるような研究者だったが、
あるとき、一本の電話がかかってきた。
相手は千里馬――CHONRIMA不動産の社長、金本元洙。
「美術館、つくるんやけどな。先生、館長やってくれへん?」
唐突だった。だが提示された条件は、まるで夢のようだった。
年俸は大学の倍。研究費も好きなだけ使っていい。
何より、「仕事として」日本を離れても誰にも責められない。
これほど美術の自由が保証される職場は、他にない。
不安がなかったわけではない。
相手は“地上げ王”と呼ばれる不動産成金、
過去にトラブルも少なくない。だが金本は言った。
「ええもん集めるから。世界中の本物だけや。先生の名前で価値がつくようにしたいんや」
――その言葉に、平井は応じた。
館長に就任してすぐ、金本はモネやピカソ、ガンダーラ仏などを競り落とし始めた。
それらは確かに“本物”だったが、脈絡がまったくなかった。
展示は混沌とし、方針は二転三転した。
収蔵品に説明をつけようとすれば、「そんなん読まんでも見ればわかるやろ」と言われ、
学術的な企画展を出せば、「難しいのはアカン」と却下された。
⸻
大道博江は、最初は契約学芸員だった。
博物館学を修め、地方の美術館に勤めたあと、
給与と環境の厳しさに耐えきれず、東京に戻ってきた。
そこで偶然、高待遇の美術館スタッフ募集に出会った。
待遇は、破格だった。
年収は美術館学芸員の平均の倍。福利厚生も充実。
ただし、勤務先は「相模湖美術館」。
面接で彼女ははっきり言われた。
「君の仕事は“社長の趣味”を美術館として成立させること。
どんな無茶でも、“芸術”という文脈で受け止めるのがプロだ」
屈辱だった。
けれど、生活があった。
両親の介護も、学生時代に積み重なった奨学金の返済も。
“大人になった”という言葉で納得するしかなかった。
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今回のヴィーナス企画も、はじめは社長の突飛な一言だった。
「テレビで見たあの腕のないモデル、ようさん呼んで案内させろや。
ミロのヴィーナスが美術館におったら、シャレとるやろ?」
冗談とも命令ともつかない発言を、平井は苦い顔で聞いた。
大道は「またか」とため息をついた。
だが、実行された。
「なんとか“芸術”として見せろ。そんだけや」
それが、彼らに課せられた“仕事”だった。
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日給4万円で雇われた「トルソーさん」たちを乗せたバスが到着したのは、湖畔の道が一段広がった高台のような場所だった。
正面には、白い壁と金のエンブレム。
その下に**「SAGAMIKO ART MUSEUM」**と大きく書かれたロゴ。
建物の形はどう見ても、リゾートホテルか結婚式場の居抜きだった。
真っ白なアーチ状の玄関には、今朝から取り付けられたと思しき横断幕が垂れ下がっている。
「ヴィーナスと回る 相模湖美術館 ギャラリーツアー」
文字は太く、インクがにじんでいる。
よく見ると、文末に「。」を付けていたものの修正跡がガムテープで隠されていた。
⸻
美術館の裏手に案内された5人のトルソーたちは、プレハブ風の通用口から中へ入れられた。
荷物を置くようにと言われたのは、「会議室」と書かれた小部屋。
テーブルには麦茶の入ったペットボトルが並び、
白いガムテープで貼られた紙にはマジックで「控室」と殴り書きされていた。
そこへ現れたのが、美術館館長の平井だった。
年配の男で、きちんとしたスーツを着ていたが、どこか“この場所に居場所がない”ような気配をまとっていた。
「本日は、お越しいただきありがとうございます」
平井は礼儀正しく頭を下げた。
自己紹介のあと、「お着替えの前に少しだけご説明を」と話し始める。
その隣に立ったのが、アラフォーの女性――大道だった。
大道博江、学芸員。ノーメイクで、紺色のカーディガンが制服のように見えた。
「皆さんには、本日“ギャラリーツアー”をご担当いただきます。
展示室を案内し、お客様に解説をしていただく……といっても、専門的な知識は不要です」
戸頭紬が不安げに尋ねた。
「でも私たち……美術とか全然詳しくないです」
大道はすぐに答えた。
「各展示物の脇に、小学生向けの解説を貼ってあります。
それを読み上げていただければ大丈夫なように設計されていますので、ご心配なく」
呼続芽衣が眉をひそめた。
「それって……貼ってあるなら、お客さんが自分で読めばいいんじゃ……?」
大道は、少し間を置き、会議室のドアを見やってから声を落とした。
「……言いたいことは分かります。
でも、“ヴィーナスと一緒に歩ければ”もうそれでこの企画は成立なんです」
声のトーンは、あきらめと疲労が入り混じっていた。
「どういう人とバスに乗ってきたか、おわかりですよね?
“女”というカテゴリーでしか見ていない人間にとっては、
銀座の女も、歌舞伎町の女も、トルソーさんも、何となればわたくし大道も、全部一緒なんです。
本質も背景も、関係ない。
ただ“見たい”か“見たくない”か、ただそれだけで動いてる」
⸻
恵麻は、目の奥がじんわり痛くなってきた。
こういうのが一番しんどい。
“仕事だから”と分かっていても、自分が何かの“象徴”や“ネタ”に使われていると実感する瞬間。
それでも黙って、やりすごすしかない。
⸻
「では、スタッフは一時退出しますので、お着替えをお願いします」
そう言って、大道たちは退室した。
残された5人に手渡されたのは、肩やデコルテの大胆に開いたスリップドレスだった。
安っぽい光沢。ひざ上の丈。華やかでも上品でもない。
どこか、昭和のキャバクラの衣装のようだった。
「……今どき安キャバでもこれ着ないよ……」と芽衣がつぶやく。
それでも誰も何も言わず、服を身につけた。
互いに肩のずれを直し、首の後ろのホックを留め合った。

午前10時、開館。
「ギャラリーツアー」が始まった。
展示室には、有名画家の作品、仏像、モダンアート、漫画の原画が脈絡なく並んでいた。
その横には、A4コピー用紙に印刷された「解説文」がテープで壁に貼り付けられている。
「これはモネの代表作のひとつです」
「これはエヴァンゲリオンのセル画です。1995年から放送された作品で……」
どれも簡素で、誰でも書けるような文章。
そこに、スリップドレス姿のトルソーたちが立ち、にこやかに読み上げていく。
まるで、それが芸術であるかのように。
⸻
「……なにやってんだろ、うち」
恵麻は、心のなかでそうつぶやいた。
声は笑顔だった。読み上げは滑らかだった。
でも、思考はすでに来週の学内オーディションに飛んでいた。
第五章 焼肉と中央線
閉館時刻の午後5時、美術館の自動ドアが音もなく閉じた。
展示室には、もう誰もいない。
空調の音と、警備員の靴音だけが反響する。
控室――もと会議室に戻ったトルソーたちは、
順番に義手を装着しながら、静かに深いため息をついていた。
肩には、ドレスの布地の跡がついていた。
背中には、汗が貼りついていた。
鏡のなかの自分は、笑ってなどいなかった。
⸻
「お疲れのところ、すまんな〜」
その声とともに、金本元洙が現れた。
相変わらずの金ピカスーツに、油っぽい笑み。
美術館の責任者ではなく、“打ち上げの幹事”のようなテンションだった。
「今日はよう働いてくれたな!
ヴィーナスの姉ちゃんたち、今晩どや?
新宿で焼肉でも行こうや。近江牛のA5やで、A5!
食わな損やで〜〜!」
誰も返事をしなかった。
芽衣が、ぱっと立ち上がる。
「あ、すみません!明日、横浜の現場で朝早いんです!
なので電車が動いてるうちに、ちょっともう……」
紬もすぐに荷物を抱えた。
「わたしも、ちょっと家が遠くて」
「うちも終電ぎりぎりなので……」と誰かが続いた。
あっという間に、5人のトルソーは荷物をまとめ、
スリップドレスの上に羽織をかけ、
出口に向かっていた。
金本はぽかんと口を開けたまま、見送るしかなかった。
⸻
日が沈んだばかりの中央線上り。
ハイキング帰りの客たちで、車内はざわついていた。
そこへ、両腕のない若い女性たちが5人、無言で乗り込んだ。
服の袖は、脇の下あたりからふわりと垂れている。
肩には、義手のストラップが食い込んでいた。
「……見てるな」
「そりゃ、まあね」
誰も声を張らない。
むしろ、小さく笑っているような顔もあった。
バイト帰り。
それだけだ。
少し変わった仕事。
ちょっと割り切った一日。
⸻
蒲田のアパートに戻ったころには、もう何も考えたくなかった。
カラオケ練に行く気力もなかった。
ごはんも、シャワーも、スマホもどうでもよくて、
恵麻はそのまま畳に倒れこんだ。
次に目が覚めたときには、空が白みはじめていた。
