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弱者だったから、投資家になれた。〜セクハラ・ブラック企業・南米。20代が全部、原資になった。〜|リタイアと仕事の話③|私自身の部屋

「絶対に、弱者から卒業してやる」

山手線のプラットフォームで、号泣しながらそう思った夜がありました。

20代。

仕事を失って、お金もなくて、守ってくれる会社も資格もなくて。

でも、あの日がなければ、今の私はいないとも思っています。

これは私の武勇伝じゃありません。

やる気と計画性と行動力があれば、誰でも人生の地図は書き直せる。

そのことを、自分の経験を通して伝えたくて、書いています。

リタイアを目指すなら。

できない理由探しに時間を使うなら、

できる方法探しに時間もリソースも使って欲しい。

そんな思いで、辛かった時の記憶も経験も、赤裸々に全部書いています。


日本のビジネスに、初めて触れた日。

カナダとフランスから帰国して、最初に私を雇ってくれたのは物流会社の国際貿易部門でした。

当時お付き合いしていた彼が東京の大学院に進学するタイミングで、

一緒に上京して新生活をスタートさせました。

通勤初日、近所で買ったお弁当を手に電車に乗ったら、

東京の通勤電車は、想像を超えた人混みで、

新しく買ったばかりの出勤服に、お弁当がぐしゃっとつぶれてぐちゃぐちゃになりました。

それが、東京での最初の朝でした。

残業や残業代の上限規定なんてなかった時代。

国際物流は常に動き続けているし、常に時間との戦いで、

派遣社員だったから稼げるだけ稼ごうと、毎日終電まで社員さんと肩を並べて働きました。

カナダやフランスから戻ってきた私には、そんな働き方に全然慣れていなくて。

気がついたら顔や背中、腕や足の皮膚がアトピーの悪化で赤くなって、

身体中傷だらけで、眠れない夜を過ごしていました。

でも同時に、「日本のビジネスってこういうものか」という感覚が、

この頃に一気にどっぷりと染み込んでいきました。


セクハラ、そして号泣した夜。

物流の仕事を終えて、派遣の仕事を転々としながら、いろんなアルバイトを同時にしていた頃。

次に拾ってもらったのが、とある会社で新規で立ち上がったばかりの部署のアシスタント。

やる気と能力を認めてもらったと思っていた私は、

働き始めて1週間も経たないころ、

採用を決めてくれた部長に、歓迎会といって飲みに連れて行ってもらいました。

帰り際、ホテルに行こうと無理やり手を引っ張られた。

困惑と恐怖の気持ちのまま、その場を走って逃げて家に帰りました。

その夜、家に帰って、当時の彼に説明をしていたら、

ちょうど、その上司から電話がかかってきました。

「お前の契約がどうなるかは俺の判断次第だ。続けたいなら言うことを聞け」

翌朝、派遣会社に事情を話して、営業担当の人と一緒に派遣先の人事部へ。

でも結果は、その人なしでは成り立たない部署だからと、

3ヶ月の契約期間分だけ支払うので、そのままオフィスを去ってほしいと言われました。

当時まだウブで、戦い方を知らなかった自分。

心がずたぼろになって、山手線のプラットフォームで号泣しました。

「絶対に、弱者から卒業してやる」と、誓って。

でも、この時の衝撃的な経験があったからこそ、弱者の気持ちがわかるようになった。

そして、どんなにブラックな企業やとんでもない人が来たって、

自分を守る力も、自分の部下や仲間を守るために必要なネットワークと知見も、

身につけられたんだと思います。


最初の正社員は、警察が来た日に始まった。

とにかくいろんなことに振り回されまくったから。

どうしても社員を経験したくて、たくさんの求人に応募しました。

リーマンショック後で募集している企業がそもそも少なくて、

やっとの思いで手に入れた正社員の仕事。

出社当日、警察が何人も入ってきて、

1人の社員が保険詐欺をしたらしく強制連行されていきました。

嫌な予感は正しくて、中身を開けるとネズミ講に近いビジネスモデル。

企業そのものが違法かどうかは今でもわからないけれど、超ブラックでした。

週休二日という条件で入ったはずが、気づいたら土曜日は出社必須に。

夜20時に「今日中にこれコピーしといて」という嫌がらせのような仕事を渡されたり、

先輩に靴を隠されたり、業務の一環で担当していた入出金を嫌がらせで阻害されたり。

年に2回のボーナスは、全国の社員が新宿の料亭に集まって、

今期の営業成績順に座席が組まれ、

金額をみんなの前で発表されて、現金を受け取りに走って取りに行く。

そして発表後は、今期の成績順に座席替え。

先輩が自分より下座になることが起きると、

その先輩はずっと口をきいてくれなくなる。

そういう環境でした。


メキシコへ。そして、南米を一人で歩いた。

20代半ば、日本での仕事を辞めてメキシコに留学に行くことにしました。

当時付き合っていた彼との同棲も5年くらいになり、

結婚という話も出たりして。

だけど当時はまだ自分の目標も何も達成できていなかったから、

全然そんなイメージが持てなくて。

だから、結婚したり、子どもができたら行くのが難しくなる国に行こうと決めて。

勉強が終わった後は、半年かけて南米をバックパックで旅しました。

ペルー、エクアドル、コロンビア。

コロンビアからパナマまでは、セーリングボートで10日間かけて移動。

そこからバスでグアテマラ、メキシコ、キューバまで、一人で旅を続けました。

バスの運転手と言い合いになって、

クロックス・短パン・水1本・りんご1つの状態で、

コロンビアの山の中、標高4,000m級の場所に荷物ごと投げ下ろされて、

6時間一人で歩き続けたこともありました。

幸いにも、たまたま通りかかった現地の人の車に拾ってもらって命拾い。

カンクンの海では、雨が降る真っ暗の沖で、

「ジンベイザメは安全だけど、口に加えられて海底に連れていかれたらおしまいだから気をつけて」

とだけ案内されて、そのまま船の上から投げられて、

水中ゴーグル1つでジンベイザメと泳がされたこともある。

あの海遊館で見るやつです。

でも、そういう経験をいくつも乗り越えたおかげで、

「怖いことは何もない」というベースができあがりました。

そして、自分を守る防御力も。

帰国後、当時の彼とは別れることになりました。

留学中にしっかりと浮気をされていたことが発覚しまして。

まあ、おかげで身軽になれたとポジティブに捉えています(苦笑)。

そんな波瀾万丈な経験を経て、英語・フランス語に加えてスペイン語も加わり、

自分なりの差別化要素が、少しずつ形になっていきました。


原資を増やす、2つの軸。

これだけ読むと、波乱万丈なただの体験談に見えるかもしれません。

でも、その全てがリタイアするために必要な原資になったんです。

私がやっていたことは、実はシンプルな設計でした。


軸① 収入の入り口の数を増やし、労働時間を最大化する

上で書いた仕事以外にも、大学生をしながら、夜や週末、中期休暇を使って、アルバイトもたくさんしました。

週末は添乗員やティッシュ配り。長期休暇は短期データ入力。夜は成果報酬のテレアポ。できる仕事は何でもやる。

2足どころか、3足・4足のわらじが当たり前でした。

「単価×時間」のフィールドで戦う以上、

収入の入り口を増やして、使える時間を最大限に稼ぎに変える。

特に若い時は、単価を上げるのに時間がかかるから、時間を武器にするしかなかった。

知識も経験もない若い間は、量とスピードで回す。それだけです。

軸② 関わる会社から、知見と経験をもらい尽くす

給料をもらいながら、業界の構造を学べる。

先輩のやり方を間近で見られる。人脈ができる。

1つの仕事が、お金・知識・経験・人脈という

4つのリターンを同時に生む。

一石二鳥どころか、三鳥・四鳥にできる。

だから関わった会社では、もらえるものは全部いただく姿勢で動いていました。

それがブラックでも、派遣でも、アルバイトでも。

単価を上げる努力は、並行して。

量とスピードで回しながら、同時に単価を上げることも意識していました。

専門性を高めることが、単価を上げる唯一の道。

だからブラック企業での経験も、南米での過酷な体験も、

将来の自分のブランド力・単価アップ・差別化につながるなら、

Why Notの精神で、目の前に与えられたものは全力でやり切りました。

それが、大卒の資格もなかった私が、

商社から金融へ、金融からコンサルへとステップアップできた理由です。

常に「次の専門性はどこで積めるか」を考えながら動いていました。

これは特別な才能の話じゃありません。

やる気と計画性と行動力があれば、誰でもできる設計です。

ただ、そのためには「人生の地図」が必要で。

どこに向かうのかを決めて、そこから逆算して動く。

その地図さえあれば、どんなスタート地点からでも、

道は作れると信じています。


全部、原資になった。

セクハラも、ブラック企業も、南米で荷物ごと捨てられた経験も。

当時は「なんでこんな目に遭うんだろう」と思っていたことが、

今は全部、原資になっていると感じています。

弱いから、全部やるしかなかった。

選べる立場じゃなかったから、目の前のことを全力でやり切るしかなかった。

その積み重ねが、

後に投資の原資にも、コンサルの専門性にも、

そして今のまなラボの言葉にも、なっています。

もしあなたが今、スタートラインが不利だと感じているなら。

地図を描いて、設計を作って、動いてみてください。

遅すぎるスタートなんて、ないと思っています。

次回は、その原資をどうやって「投資家のポジション」に変えていったか。

慶應・証券会社・コンサルの話を書きます。


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※このシリーズに出てくるお金の話は、私自身の経験と考え方をもとにした記録です。投資・資産運用には必ずリスクが伴います。特定の金融商品の購入や投資行動を推奨するものではありません。判断はご自身の責任でお願いします。


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