一生ボロアパートでよかった【41】
あらすじ:新築の白い家を買った時、家族は幸せを手に入れたと思っていた。同時に、これからもその幸せが続くと確信していた。しかしその後、家族はそうはならなかった。白い家はゴミ屋敷に変貌し、父はアルコール依存症になり、母は蒸発した。そして少女は…。その過程を振り返る中で見つけた、少女にとっての本当の幸せの形とは?
これは、メンタルヘルスリテラシーの啓発を目的とした小説。
↓前話
【前話要約】
突然家に押しかけてきた元親友・アオイちゃんは、不登校のユイを無理やり学校へ連れて行こうとする。アオイちゃんはユイの部屋までいくと、ユイの異常な生活を垣間見る。
↓本編
掃除機を庇うように膝をつく私を見て、アオイちゃんはしばらく沈黙していました。たぶん、今で言うドン引きという状態に近かったのだと思います。でも、次にアオイちゃんが口を開く時にはもう、アオイちゃんはあの真っ直ぐさを取り戻していました。
「ねぇ、こんなところにいないでさ、学校に来なよ」
アオイちゃんは私を見下ろしながら言いました。こんなところって言い方は失礼ですよね。当時の私にとってその部屋は、ようやく手に入れた平穏を謳歌する城だったのに。私は反抗心を抑えるように、ハナの上に置いた手を硬く握り締めました。一方アオイちゃんは、私と距離を縮めるように床に膝をつきました。
「ここに大切なものがあっても、ここにずっといちゃダメなんだよ、ユイちゃん」
アオイちゃんは私に体を向け、片手をハナに置いて言葉を続けました。
「ユイちゃんはユイちゃんのことを、私に何も教えてくれなかったね。………別に、私に言わなくてもいいけどさ。でも、誰かに言わないと、誰もユイちゃんのことなんて、わかってくれないよ」
私はアオイちゃんの辛辣な言葉を聞いて、またもや始業式の日のことを思い出しました。まただ。またアオイちゃんに怒られる。そう思いました。でもあの時と違って、アオイちゃんの声には鋭さと柔らかさが共存しているようにも感じました。私はアオイちゃんの声に優しさが宿る予感がして、その瞬間が来ることを期待しました。しかしその直後に聞こえたのは、鼻で笑う自嘲気味なアオイちゃんの声でした。
「まぁ、人のことなんて言えないんだけどさ。私も、ユイちゃんと"同じ"なんだ。誰かに本当のことは言えない。言う勇気がない。それこそ、自分の親のことなんて言えない。家庭環境がどうとか、友達に言っても引かれるのわかってるから。言ったところで、どうせ話が重いとか言われるし。みんなは………普通の子どもは、楽しい話をしたがるから。せっかく勇気を振り絞って話して拒絶されるのは、怖い。だから迂闊に自分の"本当"を話せない。それに私と同じ子どもに言ったって、私の問題が解決するわけないもんね」
私は、なぜ恵まれた家庭に産まれたはずのアオイちゃんがそんなことを言うのか理解できませんでした。アオイちゃんのお父さんは海外でバリバリ働いていて、お母さんは専業主婦でいつも柔和な笑顔を浮かべていました。アオイちゃんの家に遊びに行った時、手作りのアップルパイとティーカップが出てきたことは今でも忘れられません。そのアオイちゃんが、私と"同じ"とはとても思えませんでした。
「ねぇ、ユイちゃん。私たちはまだ子どもなんだよ。自由に選び取ってできることが少なすぎる。現状と戦う手段もほとんど持ってない。それに私たち子どもはさ、親のことを悪く言えないよね。幸せな時間があったことが尾を引いて親を悪者にできない。もうこんな親嫌だと思っても、結局外では親に迷惑をかけないように振る舞ってる。迷惑かけてやろうと思ったらさ、もうとっくの昔に人前で喚き散らしてるもんね。でもそれができないから、八方塞がりになって、どうにも身動きがとれなくなっちゃう。そうやって行き詰まって、最後の最後どうにか自分を守ろうとして、ユイちゃんはここにいるんでしょ」
アオイちゃんの手が、ハナの上に置いていた私の握り拳に重なりました。私は、アオイちゃんの言葉を聞いて、混乱していました。私と真反対の人間だと思っていたアオイちゃんが、あまりに複雑な私の心情を的確に表現していたからです。私の心は、驚きと共感と僅かな喜びが入り乱れていました。そしてアオイちゃんが的確に私の心情を言語化すればするほど、見えないふりをしていた悲しみと孤独感が増幅していきました。アオイちゃんももしかしたら私が知らないだけで、私と"同じ"なのかもしれないと思いました。握りしめていた拳の力は自然と緩まって、アオイちゃんの手のひら全体と重なりました。
「私には、今のユイちゃんの状況なんてわからない。でも、ユイちゃんがここにずっといちゃいけないことだけはわかる。だから、」
アオイちゃんの言葉が止まったその瞬間、アオイちゃんは私の手をギュッと力強く握りしめました。
「だから、今、制服を着て」
私は握り締められた手から、アオイちゃんの強い意志を感じとりました。私は顔を上げ、正面を見ました。そこには目に涙を浮かべたアオイちゃんがいました。
「昔さ、ユイちゃんが、私の代わりに習い事全部行ってあげるって言ってくれたの、覚えてる?あれね、私、すごく嬉しかったんだ。ユイちゃんは冗談で言ったのかもしれないけど、私、あの言葉に救われたの。あの頃、したくもない習い事、無理やりたくさんやらされてさ、すごく辛かったんだ。でもユイちゃんにそう言われて、なんだか自分が悩んでるのおかしくなったんだよね。それで、あれから行きたくない習い事は行かなくしたの。行かないと選ぶことが、やりたいことだとわかったから。そしたらさ、すごく楽になったよ。めちゃくちゃお母さんに怒られたし酷い喧嘩もしたけど。いや、実は、今も喧嘩してる。それでも自分で選んで決めたことだから、私は後悔なんてしてない」
アオイちゃんは泣いていました。涙がポロポロと落ちていました。目元は少し垂れていて、半分笑っているようにも見えました。でも、その声は涙に犯されることなく真っ直ぐで、私の胸にしっかりと突き刺さっていました。
「ユイちゃんを見てると、あの時の弱い自分を見てるみたいなんだよね。だから、今のユイちゃんは嫌い。怒りたくなる。いつまでもうじうじしてんなよって。」
アオイちゃんは涙を拭いました。
「でもさ、このままユイちゃんを放ってもおけないの。私にあの言葉をくれたのはユイちゃんだから。」
アオイちゃんの瞳は真っ直ぐ私を見つめていました。
「ユイちゃん、私も殻にこもったからわかるの。殻にこもるとたしかに楽になる。でもさ、ずっと殻にこもって同じ場所にいちゃダメなんだよ。この状況から抜け出すには、ちゃんと自分で、正々堂々、殻を破って出なくちゃ。私もいつか、あの家を出るの。そう、決めたの。だから今、少ない手札の中で必死に戦ってる」
私も、泣いていました。アオイちゃんみたいな綺麗な泣き方はできませんでした。鼻水もしっかり出ていて、口に入りかけていました。眉間に皺を寄せて、呻きながら泣いていました。涙はとめどなく頬を流れました。
「ユイちゃん、いつか家を出よう。玄関から、正々堂々、この家を出るの。私たちは子どもだから、今できることは少ない。けど、出来ることはある。ユイちゃん、ちゃんと自分で考えて。将来、あの玄関から正々堂々家を出るために、今出来ることは何か」
私の涙は止まりませんでした。ひどい泣き顔をしていました。でもしっかりとアオイちゃんの顔を見つめて、アオイちゃんの言葉を聞いていました。
「ユイちゃん、服、脱いで」
アオイちゃんは私の両手を掴むと私を立ち上がらせて、私が着ているパジャマを脱がせ始めました。脱がされたパジャマが床にパサリと落ちた時、私の固い殻にヒビが入った気がしました。
つづく
注意⚠️この小説は、不登校や学校に行かない選択を否定する意図はありません。また学校に行くことを強要する意図もありません。学校に行く行かないは、個人や各家庭の事情や自由意思に従うものと考えます。あくまで今話の内容は小説上の展開であり、フィクションとして書いています。どうぞ、あしからずご了承ください。
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