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【小説】noise-ノイズ 第3話|創作大賞2026

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 それから二十分ほどしてふらりと現れた元木は、一見するとごく普通の青年だった。黒いパーカーにジーンズ、アクセサリの類は何も身につけていない。

 どうも、とはにかんで笑う。なんとなく影のある目元は、あの頃と変わっていなかった。
 しかし、ミキの向かいに座ると、ふわりと良い香りがした。肌は、剥きたてのゆで卵みたいにつるりとしていて、爪先も整っていて、指にも腕にも、一本のムダ毛もない。元木の表情をうまく見れず、ついそんなところに目がいってしまう。

 宮原が「ビールでいいか?」と店員を呼ぼうとするが、元木は「いや、車だから烏龍茶」と答える。
「なんだよ、運転手いねえのか」
「いるわけねえだろ」
 ――そんなやりとりのあと、元木はちらりとミキを見た。

「あ……覚えているかな。私、海堂ミキ」
「もちろん覚えてるよ」元木はふっと微笑んだ。
「海堂さんがいるから、来たんだよ」
「えっ」
 とっさに言葉が出なかった。
 元木はこんな、歯の浮くような言葉をいえる人だったのだろうか。ミキの知る元木は、こんな風に女の目をまっすぐ見て微笑んだりする人ではなかった。この人は本当に「あの」元木なのか。

 先に突っ込んだのは葉月だ。
「ちょっと待って? 今の聞き捨てならないんだけど! やっぱりあんたたちってそういう感じだったの?」
「そんなわけないでしょ」ミキは葉月の手を押さえる。横にいた女の子たちも、いったいどういうことかと不思議そうにミキを見ている。

「私、実はずっとS.O.Sのファンクラブ入ってたから。だからもしかして」
「そう。海堂さんは古参ファンだから」
 と元木がまた微笑む。
「覚えてなきゃバチが当たるだろ。俺がまだ誰にも相手にされてなかった頃、ライブハウスの端っこで俺の歌を聴いてくれていた」

 へえー、と奥の女二人が関心する。

 バレていたんだ。ミキは急に恥ずかしくなった。インディーズ時代からこっそりとライブを見に行っていたが、元木にはバレていないものと思っていた。

 葉月も、ひゅうと口笛を吹いた。「私たちみたいなにわかファンとは違うのね、ミキは」

「にわかファンも歓迎だよ、今からでもファンクラブ入ってくれる?」
 元木がにこっと微笑むと、葉月は「どうしよっかなー」と、まんざらでもないように首を傾けた。
「元木くんってこんなキャラだったっけ……? もっと隠キャだったよね?」
 そう、葉月のいうとおり。元木はクラスの誰とも話さず、いつもイヤフォンをして窓の外を眺めているような学生だった。

「芸能界がこいつを変えたんだよ、な」宮原は馴れ馴れしく元木の肩を組む。「もっと売れるぜ、こいつは。冬には――」
「あっ、宮っちそれは言っちゃだめなやつ」
 元木が宮原の口を手で塞ぐ。

「えー、なになに?」葉月が身を乗り出す。「ねえ元木くん、せっかくだからカラオケ行こうよ」
「お前、図々しすぎるだろ。元木様に歌ってもらおうなんて。金払えよ」宮原は葉月を睨む。
「カラオケはさすがにちょっと。俺、明日も仕事だからそろそろ失礼していい?」
「はあー? 来たばっかりじゃねえかよ」
「あんたの顔立ててやったんだよ」元木は立ち上がる。伝票をすっと手につかんだ。
「おっ、まさか奢っていただけるんで?」
「ライブ来てね」と、元木は奥にいた女子二人にも抜け目なく微笑んだ。

 ミキは元木から目を逸らすように、ビールに口をつける。泡はすでに消え、ぬるい苦味が口の中に広がった。

 宮原が、「なにか注文する?」と気を回してくれる。
「うん……」と言いかけたミキの脇を、葉月が肘で突いた。
(あんたも出なさいよ)
 と、睨んでいる。

 このまま、おいしくもないビールをおかわりし、当たり障りのない会話を続けるのか。目の前に――20年も再会を待ち続けた人がいるのに――?

「私もそろそろ帰るね」

 その席にいた誰もが意味あり気に微笑んだ。でもミキは周囲を遮断した。いま大事なのは、目の前にいる男の反応だ。

「じゃ、いっしょに出ようか」
「うん」
 ミキはバッグを手に立ち上がった。

「じゃーねー、元木くんありがとー」と手を振る葉月の声に、ミキの視界に、聴覚に、周囲の景色や音がまた入ってきた。葉月はミキを見て満面の笑みを浮かべていた。

 狭い居酒屋の通路を、元木はするりと抜けていく。その背を追いかけるようにしてミキも居酒屋を出た。

 ライブハウスで見る元木の姿は、いつも黒っぽいきらきらしたジャケットを着て、すらりとしている。でも今日のパーカーの背中は少し猫背だ。

「あの……ありがとう。ごちそうさまでした」
 思いがけず奢ってもらったことへ礼を言う。元木は気にもとめていない。
「家、どこ? 送っていくよ」
「――いいの?」

 少しだけ元木と話をしたいと思っていた。ここで、さよならしてしまっては、きっともう二度と会えない。

 パーキングまで無言で歩く。なにか話さなければ。
 話したいことは山ほどあった。元木の、少し早い歩調にヒールの足でついていく。どうして何も聞けないんだろう。葉月みたいに、さっきの女たちのように、思いつくままに聞けばいい。

 どうして今日来たの。さっきの、私がいるから来たってどういう意味? どうして、高校やめたの?

 パーキングの照明の下に、白いレクサスが停まっている。元木はジーンズのポケットに手を入れる。電子音が鳴って、車のロックが外れた。

「どうぞ」
 元木が助手席に乗るように促す。革のシート。ドリンクホルダーには、飲みかけのミネラルウォーター。まだ新車のような匂い。
 恐る恐る、助手席に乗り込む。柔らかなシートに「うわ」と声が出た。

「家、どこ?」
 駅名を告げる。そこからは歩いて十分くらいの位置に、ミキのマンションはある。しかし、目印となる建物がない。終電を逃したわけでもないのに、駅までわざわざ送ってもらうのもなんだか申し訳なくなった。

「家のそばまで行くよ」
 エンジンをかける。低い唸りのあと、するりと車は動き出した。

「週刊誌の記事、見たよ」
 思い切って切り出す。なぜ最初の話題が週刊誌の記事なのだ、と自分で突っ込みたくなるが、もはや最適解はわからない。

「活動休止って」
「ああ、あれね。……半分は本当で、半分はガセ」

 シフトレバーに置かれた元木の手が、少し動いた。
「音楽性の違いっていうのは、まあ、そうかもね。俺がやりたい音楽と、聡介そうすけ……Souの求めるものとが、ちょっと違って」

 Souはキーボードと編曲を担当している。元木やミキとは違う高校だった。元木がどこでSouと出会ったのかは不明だが、高校三年の頃にSouとS.O.Sを結成し、元木は高校を中退したのだった。

 二人の音楽は、水と魚のように融合した。ライブハウスでの演奏を重ねるたびに界隈での知名度は上がり、レコード会社にスカウトされてインディーズデビューしたと雑誌のインタビューで答えていた。

 初期のS.O.Sは退廃的というか、当時流行していた時代の閉塞感を歌うもので、歌詞にも痛みや絶望が表現されていた。しかしメジャーデビュー後はやや明るめの曲調になり、一般受けする音楽になっていった。

 それが悪いとは思わないが、ミキは昔の殺伐としたS.O.Sも好きだった。音楽の方向性というと、過去の音楽と、一般受けする音楽との対立か――と想像する。

「確かに、だいぶ変わったもんね」
 言ってから、わかったような口をきいてしまったかなと後悔する。
「昔といまと、どっちがいい?」
 元木はさらりと難しいことを聞く。その問いにミキは答えられない。でも、心の中では即答していた。ミキは昔のS.O.Sが好きだった。高校生の元木が、インディーズデビューしたばかりの、壊れそうな元木の繊細さが好きだった。

 もちろん、現在のS.O.Sも好きだ。だけどそれは、元木の本質ではないような気がする。音楽を作ることに慣れ、売れるものがわかってきた、そんな音楽だ。

 たくさんの人に届くように、わかりやすい歌詞、明るい曲調にする。ライブで盛り上がるように、テレビで、CMで映えるように。
 ミキが好きなS.O.Sは、そんなふうに大衆に向かったS.O.Sではない。痛みを、つらさを抱え込み、どこへ届けていいかわからない、そんな厭世的なS.O.Sだ。

「私は――」
 元木くんが好きだよ。
 あのとき言えなかった言葉を言ってしまいたかった。

 居酒屋で見せた、元木の軽妙な振る舞い。女たちに向けられた微笑は、元木の外向きの顔だ。ミュージシャンとして芸能界で生きていくために身についたスキルだろう。社交的に、「海堂さんに会うために来た」なんて言葉、言えるような男ではなかった。

「ねえ、今日は――どうして来たの」
 元木の本当の言葉が聞きたかった。
 赤信号で車は止まる。元木はまっすぐ前を見たままだ。

「……MD」
 信号が青に変わる。
「感想を聞いてなかった」


第4話へ続く


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