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【小説】noise-ノイズ 第5話|創作大賞2026

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「あのときのMD……」
 S.O.Sはライブハウスでの演奏を重ねてインディーズデビューを果たし、あっというまにメジャーへと駆け上がった。ミキはCDを購入してS.O.Sの音楽を聴くようになり、あのときのMDはいつのまにか聴かなくなっていた。時代と共にMDプレイヤーは姿を消し、引き出しの奥へと仕舞い込まれている。

「ライブに来てくれてただろ。どうして途中で帰ったのか、ずっと気になってたんだ」

 やっぱり、見えていたのか。
 なぜあの時、途中で逃げ出してしまったのか。三十九歳になったいまでなら、わかる。十八歳のミキには、その感情の正体を受け止めきれなかった。あの瞬間、ミキは恋をしたのだ。でも、恋をした、という言葉でまとめたくないほどの感情がいっぺんに襲いかかってきた。

 恋をしたなら、元木のそばにいたいと思うのが自然だろう。けれどミキは逃げ出した。そばにいたい、でも、これ以上近づくのが恐ろしい。大人になって、いくつかの恋愛をして、三九歳になったいま、やはりその感情は「恋」なのだと認めるしかない。

「怖くなったんだよ。あんまりすごかったから」
「褒めてんの、それ……?」
 元木が自嘲気味に苦笑する。

 ミキはちらりと元木の横顔を見た。街のネオンと逆光に、暗く影を落とした横顔はとてもきれいだ。
 ずっと胸の奥に沈めていた思いを、自分の言葉ですくい上げるのは、今しかない。

「好きになるのが怖かった」

 車内に落ちる静寂。遠くで鳴るクラクション。信号が変わり、かすかに聞こえる横断歩道のメロディ。静かに唸るエンジン音に混じって、元木の腕で金属製のブレスレットが小さく揺れる音がした。

 もうすぐ駅だ。
 車は駅を通り過ぎ、国道を走行し続けた。

「MDに入っていた『noise』を聴いて、俺のバンドを知ったんだろ」
 ぽつりと、元木が口を開いた。

「noise」は拒絶の歌だった。世間も、学校も、親も、何もかもを否定し、拒絶する歌。

「あれは真面目に学校に通う奴らを否定するような歌だよ。そんなものを聴けって、俺はきみにMDを渡したんだ。話かけんな、近づくな、そういう意味で」

「えっ……」
 予想外の言葉にミキは戸惑う。そんなふうには微塵も思っていなかった。むしろ、元木が自分にだけ少し心を開いてくれた証なのだと、勝手に受け取っていた。誰だって、そう思うのではないだろうか?

「だけど何をどう誤解したのか、きみはライブに来た。ステージから、きみの姿がはっきりと見えたよ。だから、試したんだ。生で『noise』を聴かせれば、こんなどうしようもない俺のことなんて、嫌いになるだろうって」
「……ならないよ」
「じゃあ、なんで帰った?」
「たしかに、なんか痛々しい歌だったけど」
「俺がいま聞いたって痛々しいよ。恵まれた奴らに、俺のぐちゃぐちゃな気持ちなんかわかるわけねえって、本気で思ってたからな」

 わかる奴にだけわかればいい。自分と同じように家庭環境に恵まれず、底なしの孤独を抱えた奴らにだけ届けばそれでいい。当時の元木は、そうやって周囲に線を引いていたという。

 あの日――高校の三者懇談の日。元木の隣に親の姿はなかった。硬く強張っていた彼の横顔を、ミキはいまも鮮明に覚えている。両親について、今ここで無遠慮に踏み込むことはできないが、単なる仕事の都合などではない、もっと複雑な事情があったのだろう。

「でも、きみはまたライブに来た。それどころかファンクラブにまで入っていた。理解できなかった。なんで、ってずっと聞きたかった。なんで、きみみたいな子が俺に近づいてくるんだって」

 元木の戸惑いはもっともだった。たとえば友人の葉月でさえ、ミキがS.O.Sのファンだと知った時「意外すぎる」と目を丸くしたほどだ。激しいハードロックは、どう考えても平穏に生きるOLがハマるようなジャンルではなかった。

 でもミキの世界は、あの「noise」で変わったのだ。
 元木の言うように、拒絶の歌であったと思う。聴いていると、胸が痛くなるような。でもミキには拒絶には聞こえなかった。むしろ、救いを求めているような気がしたのだ。

 どの部分が、と言われるとうまく表現できない。「noise」はCD収録されていないので、音楽評論家の言葉を借りることもできない。

「私にとっては拒絶の歌なんかじゃ、なかったよ」
 自分に言い聞かせるようにミキは言った。
「確かに私は、両親もいるし、お金にも困ってないし、普通に大学に行って就職もした。普通に恵まれてて、元木くんが届けたいと思う種類の人間じゃあなかったかもしれない。でも……

 好きになったんだよ。」


 届いただろうか。ちゃんと口に出して言えただろうか。周りの音が耳に入らない。自分のからだが、どこかへ浮いて飛んでいくような気がした。


第6話へ続く


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