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【小説】noise-ノイズ 第6話|創作大賞2026

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 連休明け、オフィスは眠たそうな同僚たちの顔であふれている。
「これ、お土産です」という声と共に、個包装の菓子を配る女子社員たち。鳴り響く電話音。休みの余韻を残したまま、それぞれがデスクに向かい、たまったメールや書類を処理しはじめる。

 ミキもまた、いつもどおりの業務を開始していた。だけど、からだに残る元木の体温が、ときどき強くミキを襲ってきて、書類の文字をなんどもすべらせてしまう。

 ステージ上の彼からは想像もつかないほど、ぎこちなくて優しい指。見た目よりもずっと痩せていた背中を探るように肌を重ねた。戸惑うような元木の瞳が、ミキの脳裏に焼きついていて、どうしても書類に集中できない。

 ミキ、と後ろから呼ばれて、変な声が出る。振り返ると葉月が外出用のバッグを手に立っていた。

「お昼だよ」

 いつのまにか十二時を回っていた。はっとして、入力途中のデータを保存する。立ち上がると、葉月がにんまりと笑っていた。

「さ、たっぷり聞かせてもらうわよ」
 二次会を出たあと、元木とどうなったのか。葉月には絶対に聞かれると思っていた。

 コンビニで昼食を買い、人目のない公園に移動する。ベンチに座り、葉月はサンドウィッチのフィルムを剥がしながら、ぐいと身を乗り出してきた。

「で、どうなったの? 車で送ってもらったんだよね。その顔見ると、けっこういい雰囲気だったんじゃない?」
「うん、まあ……」

 まさか「二人とも帰りがたく、ホテルに移動した」……なんて、赤裸々にはとても言えない。仕方がなかったのだ、お互い部屋も片付けていなかったし、もう少し話したいこともあったから、流れでそうなってしまったのだ。

「ちょっと、まさか家まで送ってもらって、はいさよなら、じゃないよね? 連絡先くらい交換したんでしょうね?」

 詰め寄る葉月の想定が、思っていたよりもずっと手前の段階だったので、ミキは心底ほっとした。そうか、そこから説明すればいいのか。

「LINE交換はできたよ」
 葉月は「よっしゃ、でかした!」と、時代劇みたいなセリフでミキの背を叩いた。

「いいじゃん! 次は二人でデートだね」と葉月はにやにやしながら言う。「次の約束はした?」
「いや、まだ」
「だめよ、今日中にしなさい」葉月はびしっと指を立てる。

「デートって言っても……元木くんと二人、どこに行けばいいんだろう」
「え? そりゃあ映画とか、話題のカフェとか……あ」

 言いかけて、葉月も気がついたように言葉を止めた。彼は今や誰もが知る有名バンドのボーカルだ。街中をふらふら歩けるはずがないし、人目につく場所は避けたいのではないだろうか。

「目立つところは避けたいよねえ」
「うん。……やっぱり、おうちデートしか無理かな?」
「それもいいけど。客のあんまりいなさそうなバーとか、探せばあるんじゃない?」

 夜のバーなど、ミキはあまり知らない。うーん、と考え込んでしまう。

「私も実はね、一真と付き合おうかなって思ってるんだ」
「一真?」一瞬、誰のことかわからなくてぽかんとする。ああ、宮原のことか。葉月は葉月で、二次会のあと、宮原といい雰囲気になっていたらしい。一晩で苗字から名前呼びに変わるくらいに。

 ミキはまだ、元木を下の名前では呼べない。蒼空くん、蒼空さん。そんなふうに呼べる未来を、まだ想像できないでいる。

「新しくできたバーに行ってみようと思って。いいところだったらミキにも教えるね」
 葉月は嬉しそうにスマホを取り出した。

 葉月と宮原はきっと、バーで会話を楽しみ、恋人としての関係性をスタートさせるのだろう。大人の雰囲気たっぷりのバーで、二人がシャンパンを楽しむ姿が目に浮かぶ。お似合いだ。

 同じように同窓会に出て、二次会に参加して、異性と意気投合したところまでは、ミキも葉月も同じだった。二人とも新しい恋で頭がいっぱいだ。でもミキは、元木とこの先どうなるのだろうと、未来を描けないでいる。

 葉月の恋がうまくいくといいなと思った。でも自分の恋は、積極的になれないでいる。元木の気持ちがよくわからない。

 昨夜のことなど夢に過ぎなかったのでは、とも思う。芸能界にはたくさんの魅力的な女がいる。ファンもいる。ミキには、類稀な美貌もないし、気の利いた会話ができるわけでもない。音楽で何か協力するようなことも、この先ないだろう。ただの同級生。同級生と会って、昔の思い出が蘇って、ほんの一夜を過ごしただけ。

 急に黙り込んだミキを、葉月はどう捉えたのか。呆れたようにため息をつくと、ミキの肩を揺さぶった。

「ちょっと、なに暗くなってんの。せっかく元木くんと直接繋がれたんだからね?」
「え」
「何万人ってファンがいる中で、ミキはプライベートのLINEを知ってるの! 二十年も遠くから見てるだけだったんだから、ここからはガンガン押して押して、押しまくらなきゃ! 遠慮なんかしてる場合じゃないよ」

 葉月の勢いと熱量に、ミキは圧倒される。
「待ってるだけじゃだめ。ミキはずっと好きだったんでしょう? 頑張んなさいよ」

 葉月の励ましに、ミキは少しだけ前向きな熱が灯った。
「そうだよね。こっちから誘ってみる」

 人目につかない静かなところがないか、自分でも探してみよう。ちょっと薄暗くて、ジャズやピアノの生演奏が聴けるような雰囲気のいいお店とか。そういった店なら、元木が行っても目立たないかもしれない。

 仕事が終わり、自宅に戻ってからいくつか候補を探した。思い切って元木にメッセージを送信する。

『昨日はありがとう。今度、おすすめのバーがあるから一緒に行かない?』
 送信ボタンを押したとたん、心臓がどきどきした。五分、十分。まだ既読はつかない。

 仕事中かもしれないし、焦ってはいけないと自分に言い聞かせる。しかし、その夜は結局、返信はなかった。翌朝すぐにスマホをみたが、既読すらついていない。

 ミキはだんだんと不安になった。
 やっぱり、一夜だけの関係だったんだろうか?
 元木にとっては、同窓会の勢いで昔の同級生と遊んだだけだったのでは――。

 高校の頃に受け取ったMDを思い出す。ミキは、元木が心を開いてくれたのだと勘違いしていた。自分にだけ特別にあのMDをくれたのだと。

 でも、あれは拒絶だったと、元木は言った。「話しかけるな、近づくなという意味で渡した」と。ミキが好意と思ったMDは、正反対の意味だったのだ。

 二十年の読み間違え。元木の気持ちがわからない。自分に向けられた優しさはすべて、ミキが勝手に好意として読み取っていただけだ。MDのときと同じように。

 でも、元木は二次会で、「海堂さんがいるから来た」と言ってくれた。車で送ってくれた。ライブの日のことを話してくれた。一夜を共にした。その手は優しかった。拒絶の温度ではなかった。

 ――頑張んなさいよ。

 葉月の言葉が耳に残っている。ここで、勝手に「拒絶」だと考えなくていい。やっと会えたのだ。あのときのMDとは違う。あの夜の優しさは、絶対に拒絶なんかじゃなかったはずだ。やっとつかんだ小さな光を、このまま失いたくはない。もう以前と同じただの古参ファンには戻れない。


第7話へ続く


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