【小説】noise-ノイズ 第8話|創作大賞2026
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あれから、元木はふいに「いま大丈夫?」と連絡してくるようになった。夜遅くに帽子とマスクで顔を隠してやってきて、ミキの部屋で数時間を過ごす。
部屋に貼られたS.O.Sのポストカードを見て、元木がふっと微笑む。自分の音楽を推すファンと、それも元同級生と恋人関係になるというのは、どういう感情がわくのだろう。元木は言葉数の少ない性質なので、繊細な心の動きはわずかな表情から読み取るしかない。その表情を読み取れる距離にいるというのは、ミキを幸福にさせた。
でも、部屋にいるのはほんの数時間で、朝が来る前には必ず帰っていく。「じゃあ、また」と言ってドアの向こうへ消えていく元木の背中を見送るたび、ミキは深い幸福感と、それと同じくらい強い寂しさを味わった。
元木が部屋にいる間は、甘くて優しい。けれど、ひとたび外の世界――手の届かない芸能界へ戻ってしまうと、途端に元木は遠い存在になった。
それに、元木は何日か連続でミキの部屋を訪れたかと思うと、ぷつりと連絡が取れなくなるのだった。
最初の音信不通の理由は、「どう接していいかわからなかったから」だったが、恋人という関係になったはずの今でも、やっぱり元木とは連絡が取れない時間があった。
一般的な恋人同士ならば、もう少しこまめな連絡がなければ、関係は続かないだろう。でも、彼はアーティストなのだ。ふつうの会社員とは生活リズムが違うだろうし、ふいに創作の世界に入りこみ、出てこないことだってあるのだろう。こんなことで喧嘩にならないよう、ミキは不満を飲み込んでいる。
それに、音信不通になる期間はある程度パターンがあった。長くても二ヶ月ほどで「いまから行っていい?」とメッセージがくる。ミキはその二ヶ月をじっと待つしかない。
楽曲制作に入っているときは、あまりスマホを見ないようにしている――と、元木も言っていた。何かに集中するときは誰だってそうだろう。勉強したいとき、大事な仕事を片付けたいとき、外部からの誘いやSNS、ネット情報なんかはノイズにしかならない。
秋になっても暑い日が続き、十一月になって急に肌寒くなった。元木と最後に会ったのは八月の終わり。今回の音信不通は長い。
不安が募る。元木はいったい何をしているのだろう。もちろん仕事だろうが、しかし、スマホを触らない日などないだろう。そのときにちらりとでもミキのLINEに気が付くはずだが、あえて、ミキのLINEを見ないようにしているのでは。
――曲作りの期間は、スタジオに二人で缶詰になってます。食事するのも忘れるくらい
ある雑誌インタビューで、元木がそう語っていた。あれはインタビュー用の作り話ではなく、本当に外部からのノイズを遮断し、Souと二人で没頭しているのかもしれない。
LINEの画面を開き、『クリスマス、少しでも会える?』と打ち込んでみる。けれど、暗いスタジオでSouと二人、真剣に音楽に向き合う姿を想像すると、送信できなかった。
打ち込んだメッセージを消去する。遮断したいノイズの中に、ミキのLINEも含まれていることに考え至ったとき、ミキはどうしようもない不安と悲しみに襲われた。
元木と会いたい。ふつうの恋人のように。そう思ってメッセージをすることは許されないのだろうか?
一日、一日が長く感じる。世の中はクリスマスの装いになり、同僚たちは年末をどう過ごすかという話題で持ちきりになる。同僚が持ってきたクリスマスケーキの予約チラシ。評判のケーキ屋で、予約数も限られているため、十一月中に予約しないと間に合わないらしい。クリスマスケーキを予約して受け取り、元木といっしょに切り分けて食べることができたなら。そんなささやかな願いも、ミキの頭の中で妄想として終わっていく。
チラシを睨んでいると、葉月が声をかけてきた。
「予約するの?」と聞いてきた声は、ミキの表情をみて少し語尾の勢いがなくなった。
「……うまくいってる? よね?」
探るように葉月が言う。ミキは笑顔をつくった。
「なかなか、連絡取れなくて」
「えっ、何それ? いつから」
「いつからっていうか、最初から?」
笑顔でいるのがつらい。葉月は何か察してくれたのか、今夜ごはん行こう、と誘ってくれた。
十八時に待ち合わせして、葉月と和風パスタの店に入った。店にはカウンターとテーブル席、奥には個室がある。個室のある店を選んだのは葉月の配慮だろう。
カウンターでパスタをすする客を通り抜け、二人で個室に入った。
明太子バター、きのこと青じそのパスタをそれぞれ注文し、葉月は「よし」と構えた。
二ヶ月くらいの音信不通は通常、という話をすると、葉月は「信じられない」と顔を歪めた。
「仕方ないじゃん、音楽に集中したいんだろうし」
ミキが庇うように言うと、葉月は呆れたようにため息をつく。
「音楽つくってたって、恋人に連絡くらいするよ、普通」
「普通はそうかもしれないけど……」
「なにあんた、相手が芸能人だからって普通じゃないって思ってる?」
葉月がテーブルから身を乗り出してくる。
「ミュージシャンだろうが政治家だろうが、恋人に連絡くらいするって」
葉月は怒ったように、明太子パスタを口に入れる。
「……まあ、そうは言ってもさ、釣った魚にエサやらないっていうか、本当に悪気なく連絡しない男ってのも生息してるけどね。私の元カレにもいたじゃん、ホテル行ったとたんに連絡よこさなくなった奴」
「ああ……うん」
「でもね、そういう手合いに『物分かりのいい女』をやっちゃダメなの。放置すればするほど『こいつは放っておいても怒らない』って甘えるんだから。こっちから『生きてる?』って連絡するとかさ、あんまりスルーされるようなら怒ってみるとかさ」
葉月はミキを睨んだ。
「で、あんたはどうなの。もっと連絡してほしいって、ちゃんと言った?」
「言えるわけないよ。普通のサラリーマンならできるよ。でも、元木くんはスタジオに籠もって次の曲を作ってるんだよ? そんな時に鬱陶しい連絡したら、それこそ終わりじゃん」
「終わりって……LINEで連絡したくらいで終わるような関係なの? あんたたち」
葉月は眉をひそめた。
「そんなに腫れ物扱いしなくたって。連絡くらいすればいいじゃない」
「それができたら悩んでないって」
葉月ならきっとできるだろう。でも、ミキにはできない。
「らしくないよ、ミキはもうちょっと積極的な恋愛してたじゃん。めちゃくちゃ奥手すぎて、横でみててしんどいわ」
「それはさ、正直……そんなに好きな人じゃなかったから」
過去の恋愛は、恋愛ごっこだった。振られても怖くなかった。たとえ終わっても、次がある。だから積極的にもなれる。
「まあ、……わかる気もする。ようやく手に入れた初恋の人だもんね。慎重になるのはわかるよ。ウザい女と思われて、振られたくないもんね」
そのとおりだ、とミキは俯いた。でも、振られるのが怖い、というのとは少し違う。
「ノイズになりたくない」
なにそれ、と葉月がまた眉をひそめる。
「元木くんの音楽を邪魔したくないとか、そういうこと? そういうふうに元木くんに言われたの?」
言われてはいない。でも、音信不通になるということは、ノイズが入らないようにしている。そういうことだ。
「考えすぎだよ。勝手に我慢して、理解ある女のふりして、結果、苦しんでるじゃん。もっと素直に甘えたら? クリスマスだっていっしょに過ごしたいんでしょう」
ケーキのチラシ、思い詰めて見つめちゃってさ、と葉月はパスタを口にほおばる。
「本気で好きなんでしょ。だったら余計に、本音で自分の気持ち話さなきゃいけないんじゃないの?」
「そうだよね」
と言いながら、ミキはパスタをくるくるとフォークに巻きつける。何度巻いてもうまくからまない。
「葉月のいうこと、そのとおりだよ。でも、どうしていいかわかんない。自分の気持ちってどうやって話したらいいの」
好きだとか、会いたいとか、言葉にするだけ虚しくなる。元木は一度だって、ミキに対して、そんなわかりやすい言葉を言ってくれたことはない。
暗いスタジオで音楽に向き合っているあいだ、彼もミキに会えなくて寂しいと、多少なりとも思ってくれているのだろうか。ふとした瞬間に、会いたいと私の顔を思い浮かべてくれているのだろうか。
あの夜、「どう接していいかわからなかった」と不器用にこぼした彼を思い返せば、そう信じたくもなる。けれど、ひとたび連絡が途絶えてしまえば、元木のほんとうの心がどこにあるのか途端にわからなくなる。そこに踏み込んで確かめるのは、ノイズとして避けられる以上に恐ろしいことだと、本能のようなものが警告している。
ぐるぐると悪い方へ思考が巡り、ミキは溜息をつく。
「しっかりしなよ……このままだと自然消滅するよ?」
「……うん。そうだよね」
ミキは顔を上げた。
「クリスマスの予定、ちゃんと聞いてみるよ」
そう約束すると、葉月は少しホッとしたように表情を緩め、ふと何かを思いついたように「あ」と声を上げた。
「でも十二月って、もしかして、紅白出るんじゃない?」
「あ……そうかも」
「発表まだだよね? あーそうか、それできっと、いっぱいいっぱいなんだよ」
葉月なりに、励まそうとしてくれているのだろう。確かに、年末に向けてライブや特番、イベントの企画などで、彼の忙しさはピークに達するはずだ。それらが落ち着いたらきっと、ふらりとまた連絡をしてきて、何事もなかったかのようにミキの部屋にやってくる。そのときには思い切って、もう少しだけ連絡をくれないかと頼んでみよう。たまにはどこかへ出かけないかとも相談してみよう。
葉月と話していると、卑屈にならずに、ふつうの恋人らしい会話をしていいのだと思えてきた。
ようやくパスタを食べ始めたミキをみて、葉月も安心したのか、宮原との恋愛を語り始めた。バーに行ってもすぐに酔っ払うだの、ディレクターのお給料は大したことないだの、まともなエスコートもできないだの、さんざんな言いようだったが、その口調には熱がこもっていた。
第9話へ続く
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