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【小説】noise-ノイズ 第9話|創作大賞2026

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 店を出ると冷たい風が吹き荒ぶ。葉月と別れて駅へ向かう途中、ミキはコートのポケットからスマホを取り出す。

 ――連絡くらいすればいいよ。
 と、葉月の言葉に背中を押されて、ミキはLINEの画面を開く。忙しいだろう、迷惑かもしれない、との思いは、いったん傍へ置いておく。

『忙しいと思うけど、少しでも会える日あるかな』

 思い切って送信ボタンを押した。たったこれだけのことができなかったのに、葉月のおかげだな、と感謝しながら、急行列車に乗る。

 電車がホームへ入ってきたとき、コートのポケットの中でスマホが震えた。

『ちょっと予定詰まってる』
 と、一言の返信。

 だが、連絡がついた、との驚きのほうが大きかった。さらに続けて、
『でも会いたい』
 と送られてきた。

 電車の中で、ミキは飛び上がりそうになる。「会いたい」――なんて、元木の口からそんなストレートな言葉を聞いたのは、初めてかもしれない。

『私も会いたい。いま、どこにいるの?』
『家。Souとずっと曲作ってる』
 その返信を見て、ミキはあの雑誌インタビューを思い出す。

 ――曲作りの期間は、スタジオに二人で缶詰になってます。食事するのも忘れるくらい――

『何か、差し入れ持って行こうか?』
『おー、ありがとう。助かる』

 混んでいる車内でミキは小さくガッツポーズをした。隣のサラリーマンがちらりとミキを見る。

 コンビニ食ではなくて、なにか作ったほうがいいだろうか。しかしSouも一緒だろうし、作業の邪魔にならないよう、いつでも食べられるよう、やっぱりおにぎりとかがよいだろうか?

 一駅手前で降りて、SNSで話題のホットドッグを4つ、テイクアウトで注文する。温かな紙袋を抱え、タクシーをつかまえて住所を告げる。二十分ほどで大きなマンションの前に到着した。オートロックなのはミキのマンションと同じだ。8階の部屋番号を押すと、すぐに解錠された。

 エレベーターは広い。しんと静まり返ったフロアに到着する。部屋に前でインターホンを押す。ガチャ、と音がして、部屋着のままの元木が出てきた。

 最近は、メイクした広告の顔ばかり見ていたので、すっぴんで腫れぼったい元木の顔が別人のように見えた。でも、こちらの顔のほうが、ミキの知る元木の顔だった。

 室内は、散らかっている。ソファの上には服やら鞄やらが積み重なっている。テーブルの上にも、ペットボトル、酒の缶、コンビニの袋などが目に飛び込んでくる。奥の部屋は閉まっていた。

「片付ける余裕もなくて」
 立ち尽くすミキに、元木が言い訳するように言った。

「いや全然、大丈夫だよ」
 散らかっているだけで、不潔というわけではなさそうだ。多忙なスケジュールだったのだ、家に帰って着替えて泥のように寝るだけという生活が目に見えてわかった。

 ふと、洗濯物の奥に、人の足のようなものが見えて、ミキはぎょっとした。人のようなものではなく、人だった。細身のジーンズをはいた足が投げ出されている。
 Souがラグの上に転がって眠っているのだった。

 床で寝るなんて! ちゃんとベッドで眠ればいいのに。見てはいけないものを見てしまった気がして、でも床に転がっている人体から目が離せない。
 この状況ではさすがに、部屋で話をすることなどできそうもない。

「……あ、私、もう行くね。これ、食べて」
「ありがとう。悪いな」
「忙しいと思うけど、ときどきLINEみてくれると嬉しい」

 とミキがなんとかそれだけを伝えたとき、床に転がった足が動いた。うーん、と唸りながら起き上がる。青く染めた頭髪が、ミキのほうへ向いた。

「――誰?」
 ミキが慌てて会釈すると、Souはゆっくり起き上がり、ミキを値踏みするように睨みつけてきた。

「おい蒼空! ここに女呼ぶなって言ってるだろうが」
「そんなんじゃねえよ」
 元木が苛立たしくSouに言い捨てた。

「俺ら、いま何やってるか分かってんの? 女なんか呼んでる場合かよ?」
「だからそんなんじゃねえって」

 一触即発。極限状態の二人は、互いに苛立っている。足の踏み場もないほど荒れた男の作業部屋の異様な空気に、ミキは完全に圧倒されていた。
 来るべきではなかった。足を踏み入れてはいけなかった。

「ごめん、帰るね」
 ミキはマンションを飛び出した。

 タクシーで通った道など覚えているはずもなく、無我夢中で夜道を歩き、偶然見つけたバス停から来たばかりのバスに乗り込む。
 暖房の効いたシートに深く腰を下ろすと、ようやく頭の整理がついてきた。

 仕事中であることはわかっていた。Souがいることも。だから、長居するつもりはなかった。差し入れを渡して、少しだけ元木の顔が見られたら。それでよかった。Souとも少し挨拶をして、邪魔にならないように帰るだけ。

 けれど、あの部屋に入ったこと自体が間違いだった。
 単に元木の家というだけではない。あの部屋は、Souと二人で彼らの音楽を作り上げてきた、聖域なのだ。

 そして、聖域に女が入ってくることを、Souは毛嫌いしている。

 ――ここに女呼ぶなって言ってるだろうが。
 Souの苛立った声が頭の中で繰り返される。遅れて、棘のあるその言葉がじわじわとミキの胸に突き刺さっていった。

 ――ここに女を呼ぶな。
 その言い回しには、明らかに前例があった。元木はこれまでにも、同じように仕事部屋へ女を呼んでいたのだ。Souは、彼らの聖域にとってノイズにしかならない、元木の女性関係を心の底から嫌悪している。Souから見れば、ミキもまた「邪魔な女のひとり」でしかなかった。

 ――そんなんじゃねえよ
 と元木は否定していた。遊びの女ではない、庇ってくれたのだと解釈したい。

 でも、たとえ元木が本当に会いたくて招いてくれたのだとしても、ミキはやはり、あの二人の世界に立ち入るべきではなかったのだ。


第10話へ続く


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