【小説】noise-ノイズ 第13話|創作大賞2026
第1話はこちら
前回(第12話)はこちら
スマホの画面に表示された元木のアイコンを見つめたまま、ミキは動けなかった。
――いまさら、なにを話せばいい?
クリスマスも、お正月も、こちらから連絡しても返信をよこさず、そっけないスタンプくらいしか返してこなかったのに。忙しいのはわかるけど、自分が暇になったとたん、連絡をよこしてくるなんて。
勝手だ。とても。勝手な人だ。
だけど、元木とミキとではたぶん、時間の流れ方が違う。ミキはずっとずっと待っていた。でも、元木はずっとずっと音楽の世界にいて、ふとした瞬間にミキのいる世界へやってくる。だから、ミキを放置しているつもりなんて、まったくないのかもしれない。
だけど、残酷だ。こちらがもう忘れよう、諦めよう、と思ったタイミングで、思い出したようにやってくる彼が憎い。その都合の良さに腹が立つけれど、やっぱり嬉しくなっている自分がばかみたい。
いつものように「今から行っていい?」と元木に言われたら、ミキは拒否できない。いつものように部屋に来て、話したいこともちゃんと話せず、一晩過ごして、またそのあと音信不通の期間を耐え続ける……。
このループをいったんリセットしなければ。元木とこれからのことを話し合いたい。
深呼吸して、電話をかけなおす。
「仕事だった?」と元木の声。
「うん、いま終わったところ」
「ちょっとだけ時間ある?」
なんとなくいつもと違う声。疲れているような、急いでいるような。なんだろう。
「私もちょっと話したいことが」
「なに?」と元木は聞いたが、「まああとで。悪いけど俺んちまでこれる?」
「Souさんがいるんじゃ」
「いない」
やや乱暴に元木は言った。
ミキの沈黙をどう受け取ったのか、元木が低い声で付け足した。
「しばらく、Souはここに来ないから」
「え、どうして――」
「やっぱり俺がそっちに行く」
「あ、ちょっと」
すでに通話は終了していた。
Souがしばらく来ない? 二人の間に何かあったのだろうか。嫌な予感が胸をざわつかせたが、考えている暇はなかった。
とりあえず、出しっぱなしの洗濯物を寝室に押し込み、テーブルの上の食器類を片付ける。息をつく間もなく、インターホンが鳴った。
急いで解錠すると、そこには帽子もマスクもつけず、無防備な姿の元木が立っていた。
元木はひどく疲れているように見えた。きちんとセットされていない髪は、カラーが抜けてムラになっているのがわかる。目の下にはうっすらと隈が浮かび、頬も少しこけているようだった。
ミキに会いに来るよりも、少しでも眠ったほうがいいのではないか。そう心配になるほどに。
「お茶でも淹れようか?」
元木は返事をせずに靴を脱ぎ、リビングへと足を踏み入れた。ソファにどさりと腰掛けてから、ふとテーブルの上に視線を落とした。出しっぱなしになっていたMDプレイヤーに目が止まる。
「なにこれ、懐かしっ」
「正月に実家行ったときに持ってきた。まだ聴けるよ」
ミキはデッキからMDを取り出してみせる。インクの褪せたラベルをみて、元木の顔色が変わった。
「……まだ、持ってたんだ」
「持ってるよ。ずっと」
「……聴いていい?」
元木は手を伸ばし、イヤフォンを耳に入れた。再生ボタンを押すと、少しだけ眉をひそめ、目を閉じた。イヤフォンの性能がよくないので、音漏れしている。
2番の途中で元木はイヤフォンを外し、「――なるほど」とぽつりと言った。
「どう思った?」
「や、ちょっと恥ずかしいけど」元木は微笑した。「やっぱり、俺の原点だなって。聴けてよかった。ありがとう」
と、元木はMDの話を終わらせようとする。
「私ね、これを聴くと高校生の頃の元木くんを思い出すんだ」
「……ふうん」
「あのとき、元木くんのことが好きで、近づきたいって思ってた。でも、どうしても近づけなかった。ファンの子たちよりも、もっと外側にいる気がして。好きなのに、見ているだけだった」
元木は黙ってミキの話を聞いている。
「元木くんからみたら、私はなんの悩みもない、そういう人間に見えていたと思う。でも、この曲と同じ痛みを感じてたんだ。あの当時」
「痛み……きみが?」
「うん」ミキは頷いた。「私は何不自由なく育ってるように見えるだろうけど……両親がいて、大学にも進学して……傍から見れば恵まれてるってわかってる。でも、それでも、元木くんの歌の中にある、どうしようもない欠乏みたいなものに、すごく共感した。本当はもっと近づきたいって思った。でも、あの頃の元木くんに触れてしまったら、いけないような気がして……触れちゃいけないって、いまでも思ってる。でも」
一歩、踏み込みたい。
「……元木くんも、Souさんも、私には想像もつかないような苦労をしてきたんだよね。親のこととか、進路のこととか……」
元木の横顔がこわばった。
「私は、もっとちゃんと元木くんのことを知りたい。気が向いたら連絡くれて、会うだけじゃなくて……もうちょっといろいろ話してほしいと思う。仕事のこととか……家族のことも。私はもう、遠くから見てるだけのファンでいたくないから」
元木は少しの間、黙っていたが、冷ややかな声で言った。
「きみには、わかんないよ」
「……」
「俺には親がいない。Souだって、帰る家なんてないも同然だ。きみみたいに、ちゃんとした家族がいて、帰れる実家がある人間に、俺たちの音楽の本当のところなんて、絶対にわかるわけがない」
ミキの心に、さっと冷たいものが流れた。
わかるよ。ずっとずっとS.O.Sの音楽を聴いてきたのだから。家庭環境とか関係ない。
でも――元木のことはわからない。
「わかんないよ。なにも話してくれないんだから、わかるわけないじゃない!」
これまでこらえていた感情がふつふつと湧き起こってくる。
「わかりたいって思っちゃいけないの? 話してほしいって思っちゃいけないの?」
話してくれたらわかるかもしれないのに。わからなくても、元木の心に寄り添うことくらいできるかもしれないのに。
他人の口から元木の生い立ちとか仕事内容とか聞かされるのではなくて、ただ、ミキに話して欲しいと思っているだけなのに。
「言ったってわかんねーよ」
元木はふいと横を向いた。拒絶するように唇を噛んでいる。
「家族の話なんか本当に聞きたいか? 俺の親は、10歳の俺を置いて蒸発しやがった」
「え……」
「ふつうの家がある奴になにがわかる? ある日家に帰ったら母さんがいない。家財がない。父さんも帰ってこない。真っ暗になっても、だれも帰ってこなかった。俺だけ置いて、逃げやがったんだよ」
第14話へ続く
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは本の購入に使わせていただきます📗