見出し画像

ギリシア語の蝶(Ψυχή)は心を意味すると聞いて「ちょうちょの木」

少しずつnoteに上げていくことを始めた「子守話」。

子守話とは、子どもを寝かしつけるとき、羊を数えるかわりに、羊を数えるかわりに即興で語り聞かせていたおはなしのこと。

即興ではなく時間をかけたけど、想定外のウケ方をしてしまった「ひつじが100ぴき」。

次はどの話を上げよう。

健康診断の順番待ちの病院で子守話を読み返していたら、「ちょうちょの木」という話が目に留まった。

そこに、「おとなのEテレタイムマシン 現代ジャーナル 河合隼雄の最終講義〜こころを探る〜」(NHKプラスで2月7日22:45まで配信中)がとても良かったと友人からメッセージが入った。

帰宅してから配信を観てみると、「ちょうちょ」が出てきた。


点と点をつなげるconstellationコンステレーション

ちょうちょを追いかけるのに夢中で周りが見えていない豚の「ブタヤマさん」が主人公の絵本、『ブタヤマさんたらブタヤマさん』。

絵を見て「長新太だ!」とわかるくらいには長新太さんの絵本に親しんでいるが、シリーズになっている『ブタヤマさん』は読んでいなかったと思う。

後ろから危険が迫っていても気づかずやり過ごす『ブタヤマさん』を入り口に、「偶然に関連性を持たせ、意味を見出そうとする」人間の心理を、英語で「星座」を意味する「constellationコンステレーション」をキーワードに説いていく。

河合隼雄先生の最終講義に、当時詰めかけた500人と同じように引き込まれた。

たまたまその配置になっている星と星をつなげ、絵を浮かび上がらせ、物語をつける。そのように身の周りの点と点をつなげ、意味を持たせ、人間は一喜一憂する。

たまたまの数珠つなぎ

「たまたまの数珠つなぎが止まらない」というnoteを書いたことがある。

タイムラインに流れてきた読書会に心惹かれて参加を決めたら、導かれるような偶然が重なった。

著者のイスラ(李瑟娥)さんと著書の『29歳、今日から私が家長です』を中心に点がどんどんつながり、星座が浮かび上がった。

この事象はまさにconstellationだが、「2度あることは3度ある」のように、点を待ち受けるアンテナを張っていたのだろう。

「たまたま」の連なりから物語が生まれることは、脚本や小説を書くときにも感じている。掌編シリーズ「さすらい駅わすれもの室」の「思い出せない絵本」は、「たまたま」という言葉そのものにも光を当てた。

たまたまをつなげて、縁を感じたり、感謝したり、恐れたり。背中を押されることもあれば、足を引っ張られることもある。constellationはおまじないにも呪縛にもなる。

羽化にΨυχήを重ねた古代ギリシアの人

ギリシア語で「ちょうちょ」はΨυχή(プシュケー)といい、「心」を表す言葉と同じであるという話も印象に残った。

ブタヤマさんが追いかけているのがちょうちょだったということに意味を見出してしまう。それもconstellation。

調べてみると、古代ギリシアでは、蛹から羽化する蝶の姿を、肉体から抜け出す「魂」や「生命」の象徴ととらえ、ちょうちょを「心」と呼んだらしい。

子守話の「ちょうちょの木」は、ちょうちょが木から巣立つ話だ。蛹からかえるのではなく、花のように蕾が育ち、膨み、開き、空に羽ばたいて解き放たれる。

偶然ではあるけれど、このタイミングで聞いた「constellation」の話に「ちょうちょ」が登場したことに運命めいたものを感じてしまう。

日記の創作メモによると、ある夜、子守話のお題を募ったところ、「きれいなちょうちょさんのおはなし」とリクエストされ、羽根を花びらに見立てた話をこしらえたらしい。

その少し前、脚本協力で参加していた朝ドラ「つばさ」第9週「魔法の木の下で」に登場した「おはなしの木」の物語を開発した。おはなしの花が次々と咲く木が登場するお話だった。そのちょうちょ版という感じ。

おはなしの花が開くことと心が開くことを重ねていたから、ちょうちょを咲かせたのは、古代ギリシアの人たちと通じるものがあるかもしれない。

元々は一人称で語られる話にしていたが、主語を外してみた。

今井雅子作 子守話104「ちょうちょの木」

おうちの にわに はなびらが いちまい おちていました。

ゆうやけを うつしたような きれいな いろを しています。

ちかづいて てに とってみると それは はなびらではなくて ちょうちょの はねでした。

ちょうちょが とんでいる とちゅうで おっことして しまったのでしょうか。

ちょうちょが とりにくるかもしれません。

けれど いっしゅうかん たっても ちょうちょは きませんでした。

そこで ちょうちょの はねを にわの すみっこに うめました。

そして もう そらを とべなくなった はねのために まいにち そとの せかいのことを はなしてきかせました。

なんにちかして ちいさな めが でました。

めは むくむくと ふくらんで はっぱを ひろげました。

そして えだが のびて いっぽんの きに なりました。

うれしくなって せっせと みずを やりました。

きは ぐんぐんと おおきくなり はるになると つぼみをつけました。

あの ちょうちょの はね そっくりな ゆうやけいろの つぼみです。

その つぼみが ひらくと まるで ちょうちょが はねを ひろげたようになりました。

いいえ それは ほんものの ちょうちょでした。

ちょうちょたちは いっせいに きから とびたち あたまの うえを ぐるぐると まわりました。

ありがとう ありがとう ありがとう

そういっている ようでした。

きっと おはなしを きいているうちに そとの せかいを みたくて みたくて たまらなくなったのでしょう。

そらは まひるの あおぞら だったけれど ちょうちょたちが とびかう あたまのうえだけ ゆうやけいろに なりました。

メタモルフォーゼと片方だけの羽

脚本で人物の変化や成長を描くとき、メタモルフォーゼを喩えに使ったりする。蛹が蝶になるように劇的に変化、成長すること。

テレビ朝日のミッドナイトドラマ「快感職人」の中で、自信を持てない客を励ます言葉に「メタモルフォーゼ」を使った。

各話のサムネイル画像を見るとお色気全開に見えるが、身体も心も解き放たれる、癒されストーリー。バックヤードのわちゃわちゃした会話を書くのも楽しかった。

映画『ジェニファ 涙石の恋』では、片方だけの蝶の羽を登場させた。

羽をもがれることを、自分の一部を失うことに喩えたが、ちょうちょを心、魂ととらえた古代ギリシアの人たちは、「片方だけの羽」により深い意味を見出したかもしれない。

みんなのフォトギャラリーで出会ったちょうちょ

タイトル画像は「みんなのフォトギャラリー」から「ごん」さんの一枚をお借りしました。 

幻想的な夕焼け色の羽のちょうちょがあまりにぴったりで。

文を読んで、え、これ写真なんですかと驚いたのは早合点で、ごんさんの他のnoteを見ると、記事に合わせてイラストを描き起こされている様子。

冬の畑で見たちょうちょをつかまえたイラスト。

なんと美しい一瞬。

他のイラストも色使いや構図が楽しくて、どんどん見てしまう。

イラストが使われたnoteをまとめたマガジンが1080本! 

探している一枚に出会えた人がこんなにいる。見つけた人もうれしい。見つけられた人もうれしい。

みんなのフォトギャラリーでの出会いも点と点がつながり、constellationを描き出している。


いいなと思ったら応援しよう!

脚本家・今井雅子📚言葉遊びが好きな物書き 目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。