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卒業の日 #8 最期のありがとう

7/25 17:06
まほろば病院。

意識が、ふっと途切れた。暗い水の底へ沈んでいくような感覚。
もう、今日何回目だろう。

遠くから、声が聞こえる。
目の前にゆっくりと、白い天井が浮かび上がる。

蛍光灯の光。

誰かの声が聞こえる。

――直人だ。

ベッドの横で、直人が看護師の桜井さんと話していた。

「……今は落ち着いています。ただ……」

そうか。
もう、じきか。

身体はうまく動かせない。
筋力も低下した。
モルヒネのせいか、頭もうまく回らない。
言いたいことは山ほどあるのに、
口もうまく回らない。

直人がこちらを見た。

「母さん」

手を握られる。

ああ、この手。
小さな頃、何度も握った手。

ずっと迷惑をかけてきた。

この子はきっと、
自分のことを後回しにして
私に付き合ってくれていたのだろう。

(もうじき、この子は楽になれる)

それだけが、救いだ。

直人が話し始めた。

「今日さ、颯太の結婚式だったんだ」

そうだった。
颯太君は、もう結婚するのか。
小学生の時、家で仲良くゲームをしていた二人を思い出す。

(私が、いなくなれば……直人も……)

「新婦のお母さんのレシピで作ったプリンが出てさ」

直人は少し笑った。

「そのお母さんが言ったんだ。『生まれてきてくれてありがとう』って」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
私は、力を込めて、直人の手を握った。
直人が顔を近づける。

「母さん」

そして静かに言った。

「生んでくれて、ありがとう」

その瞬間だった。
身体が、温かいものに包まれた。
ふわりと浮くような感覚。
重かった身体が
すっと軽くなる。

ああ。

そうか。
私は、もう旅立つのだ。
口を動かす。
声にならない声が、こぼれる。

「あ……り……が……と……う……」

視界が、やさしい光に溶けていく。
直人は、まだ私の手を握っていた。
直人の顔が最期に見えた。

――ありがとう。

「母さん……」

直人が顔を上げた。
廊下から足音が近づく。

「失礼します」

看護師の桜井が部屋に入ってくる。
モニターを確認する。

直人は母の顔を見つめたまま、
静かに言った。

「……逝きました」

桜井はそっとベッドに近づく。

(月見里さん……)

入院してから、この人はつらそうな顔をしていることが多かった。

けれど今――

その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

桜井は、直人をじっと見つめた。
母と子。

ふと、自分の子どものことを思い出した。

(第8話 了)

📚ZAPPING POINT
看護師・桜井が思い出した自分の息子の話→#10 呼びかけ

#創作 #短編小説 #小説 #死 #母と息子 #生きること


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一条 詩紋 いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。 物語があなたの癒しになれば幸いです。 チップはご無用です。一緒にドキドキしてくれた思いを伝えてくだされば・・・。それがうれしいです。