卒業の日 #8 最期のありがとう
7/25 17:06
まほろば病院。
意識が、ふっと途切れた。暗い水の底へ沈んでいくような感覚。
もう、今日何回目だろう。
遠くから、声が聞こえる。
目の前にゆっくりと、白い天井が浮かび上がる。
蛍光灯の光。
誰かの声が聞こえる。
――直人だ。
ベッドの横で、直人が看護師の桜井さんと話していた。
「……今は落ち着いています。ただ……」
そうか。
もう、じきか。
身体はうまく動かせない。
筋力も低下した。
モルヒネのせいか、頭もうまく回らない。
言いたいことは山ほどあるのに、
口もうまく回らない。
*
直人がこちらを見た。
「母さん」
手を握られる。
ああ、この手。
小さな頃、何度も握った手。
ずっと迷惑をかけてきた。
この子はきっと、
自分のことを後回しにして
私に付き合ってくれていたのだろう。
(もうじき、この子は楽になれる)
それだけが、救いだ。
直人が話し始めた。
「今日さ、颯太の結婚式だったんだ」
そうだった。
颯太君は、もう結婚するのか。
小学生の時、家で仲良くゲームをしていた二人を思い出す。
(私が、いなくなれば……直人も……)
「新婦のお母さんのレシピで作ったプリンが出てさ」
直人は少し笑った。
「そのお母さんが言ったんだ。『生まれてきてくれてありがとう』って」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
私は、力を込めて、直人の手を握った。
直人が顔を近づける。
*
「母さん」
そして静かに言った。
「生んでくれて、ありがとう」
その瞬間だった。
身体が、温かいものに包まれた。
ふわりと浮くような感覚。
重かった身体が
すっと軽くなる。
ああ。
そうか。
私は、もう旅立つのだ。
口を動かす。
声にならない声が、こぼれる。
「あ……り……が……と……う……」
視界が、やさしい光に溶けていく。
直人は、まだ私の手を握っていた。
直人の顔が最期に見えた。
――ありがとう。
*
「母さん……」
直人が顔を上げた。
廊下から足音が近づく。
「失礼します」
看護師の桜井が部屋に入ってくる。
モニターを確認する。
直人は母の顔を見つめたまま、
静かに言った。
「……逝きました」
*
桜井はそっとベッドに近づく。
(月見里さん……)
入院してから、この人はつらそうな顔をしていることが多かった。
けれど今――
その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
桜井は、直人をじっと見つめた。
母と子。
ふと、自分の子どものことを思い出した。
(第8話 了)
📚ZAPPING POINT
看護師・桜井が思い出した自分の息子の話→#10 呼びかけ
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いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
物語があなたの癒しになれば幸いです。
チップはご無用です。一緒にドキドキしてくれた思いを伝えてくだされば・・・。それがうれしいです。