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卒業の日 #4 母のほうじ茶

メッセージを閉じた恵理は、部屋にかけてある時計を見た。
19:19。

今日は、2月3日。
卒業式まで、あと一か月。

恵理は、机の端にある鍵を指で転がした。
小さな音が、台所に響く。

「まだ起きてるの?」

母はそのまま、コンロに行った。
やかんに水を入れて、コンロに火を付ける。

ボッ。

静寂の中に、火の揺らぎの音だけが聞こえる。



お湯が沸騰してきた。

シュー。

やかんから出る湯気を、恵理はじっと見ていた。

母がコンロを止める。

急須にお茶っ葉を入れ、ゆっくりと湯を注いだ。
香ばしい匂い。

恵理の好きなほうじ茶だ。

「冷えるから、これでも飲んであったまって」

「ありがとう」

「式の準備はすすんでるのかい?」

机の端に湯のみを置きながら、聞く母。

「うん、土日使って、進めてるから大丈夫」

「そか、颯太さんのお母さんは留袖だよね。」

「そう聞いてる」

「じゃ、お母さんも衣装かりなきゃね」

気がつくと、恵理の横に母が座っていた。

「三月、忙しいんでしょ」

何気なしに聞く母。

「生徒たちの入試も、卒業式もあるから」

「そう」

少し間があった。

「……それが終わったら、あんたも『卒業』だね。」

恵理は湯のみを見たまま、少し間を置く。

「そだね。」

母は何も言わなかった。
恵理も、それ以上言わなかった。

ほうじ茶の匂いが、ゆっくりと広がる。
恵理は湯のみを両手で包んだ。

「でも、あんたが家を出るなんて変な感じ」

母が少しおどけたように言う。

「いつまでも、子どもだと思ってたんだけどねぇ」

「何言ってるの」

だが、この家で過ごすのもあと二ヶ月もない。
自分の中では、ちゃんと決心したはずなのに。
恵理は母の横顔をじっと見つめた。

母は、前を向いたままつぶやいた。

「でもさ、いつだってここはあんたの家だ。いつ戻ってきてもいいように、部屋はあけとくから」

「なにいってるの。もう、戻ってくる話?」

恵理は苦笑した。

「そじゃないよ。誰にだって戻る場所はあっていいってこと」

母は恵理の方をじっと見た。

「でも、大丈夫、あんたたちだったら、やっていけるよ」

すこし、母の目が潤んでいるように見えた。

「うん、ありがと」

恵理は前を向いたまま答えた。

ゆっくりとお茶を飲み干す。

「そこに置いといていいよ。片付けるから」

恵理は机の上の鍵を見た。
手に取る。
小さいのに、重かった。

「お母さん。ちょっと外の空気吸ってくる」

そういうなり立ち上がって、玄関へ向かう。
鍵を握ったまま、ドアを開けた。
夜の空気がすっと入ってくる。
冷たい。

遠くで、車の音がした。
恵理はしばらく、そのまま立っていた。
空を見上げた。
星が、見える。

北極星。
薄い光だ。
それでも、決して動かない。

そうだ、戻ってもいいんだ。

恵理の口元がすっと上がり、足は地面をぐっと踏みしめた。
そのまま、恵理は鍵を閉めた。

カチ。

母は、台所で片付けをしながら、その音を聞いた。

蛇口を止める。

恵理の湯のみを、
ふきんでそっと
丁寧に拭き上げた。


(第4話 了)


📚ZAPPING POINT
恵理が担任をする高校の卒業式の話→#1父の泣き顔
母のメッセージが、海を越えて届く場面→#16 自分の居場所
同じ言葉が別の人から語られる場面→#21 見慣れぬ天井


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一条 詩紋 いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。 物語があなたの癒しになれば幸いです。 チップはご無用です。一緒にドキドキしてくれた思いを伝えてくだされば・・・。それがうれしいです。