卒業の日 #4 母のほうじ茶
メッセージを閉じた恵理は、部屋にかけてある時計を見た。
19:19。
今日は、2月3日。
卒業式まで、あと一か月。
恵理は、机の端にある鍵を指で転がした。
小さな音が、台所に響く。
*
「まだ起きてるの?」
母はそのまま、コンロに行った。
やかんに水を入れて、コンロに火を付ける。
ボッ。
静寂の中に、火の揺らぎの音だけが聞こえる。
お湯が沸騰してきた。
シュー。
やかんから出る湯気を、恵理はじっと見ていた。
母がコンロを止める。
急須にお茶っ葉を入れ、ゆっくりと湯を注いだ。
香ばしい匂い。
恵理の好きなほうじ茶だ。
「冷えるから、これでも飲んであったまって」
「ありがとう」
「式の準備はすすんでるのかい?」
机の端に湯のみを置きながら、聞く母。
「うん、土日使って、進めてるから大丈夫」
「そか、颯太さんのお母さんは留袖だよね。」
「そう聞いてる」
「じゃ、お母さんも衣装かりなきゃね」
*
気がつくと、恵理の横に母が座っていた。
「三月、忙しいんでしょ」
何気なしに聞く母。
「生徒たちの入試も、卒業式もあるから」
「そう」
少し間があった。
「……それが終わったら、あんたも『卒業』だね。」
恵理は湯のみを見たまま、少し間を置く。
「そだね。」
母は何も言わなかった。
恵理も、それ以上言わなかった。
ほうじ茶の匂いが、ゆっくりと広がる。
恵理は湯のみを両手で包んだ。
*
「でも、あんたが家を出るなんて変な感じ」
母が少しおどけたように言う。
「いつまでも、子どもだと思ってたんだけどねぇ」
「何言ってるの」
だが、この家で過ごすのもあと二ヶ月もない。
自分の中では、ちゃんと決心したはずなのに。
恵理は母の横顔をじっと見つめた。
母は、前を向いたままつぶやいた。
「でもさ、いつだってここはあんたの家だ。いつ戻ってきてもいいように、部屋はあけとくから」
「なにいってるの。もう、戻ってくる話?」
恵理は苦笑した。
「そじゃないよ。誰にだって戻る場所はあっていいってこと」
母は恵理の方をじっと見た。
「でも、大丈夫、あんたたちだったら、やっていけるよ」
すこし、母の目が潤んでいるように見えた。
「うん、ありがと」
恵理は前を向いたまま答えた。
*
ゆっくりとお茶を飲み干す。
「そこに置いといていいよ。片付けるから」
恵理は机の上の鍵を見た。
手に取る。
小さいのに、重かった。
「お母さん。ちょっと外の空気吸ってくる」
そういうなり立ち上がって、玄関へ向かう。
鍵を握ったまま、ドアを開けた。
夜の空気がすっと入ってくる。
冷たい。
遠くで、車の音がした。
恵理はしばらく、そのまま立っていた。
空を見上げた。
星が、見える。
北極星。
薄い光だ。
それでも、決して動かない。
そうだ、戻ってもいいんだ。
恵理の口元がすっと上がり、足は地面をぐっと踏みしめた。
そのまま、恵理は鍵を閉めた。
カチ。
*
母は、台所で片付けをしながら、その音を聞いた。
蛇口を止める。
恵理の湯のみを、
ふきんでそっと
丁寧に拭き上げた。
(第4話 了)
📚ZAPPING POINT
恵理が担任をする高校の卒業式の話→#1父の泣き顔
母のメッセージが、海を越えて届く場面→#16 自分の居場所
同じ言葉が別の人から語られる場面→#21 見慣れぬ天井
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物語があなたの癒しになれば幸いです。
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