見出し画像

卒業の日 #5 とっておきのレシピ

3/3 21:15

洗い物を終え、流しの水を止めた。
ふきんで手を拭いて、台所に立ったまま、しばらく動かなかった。

恵理は、まだ帰っていない。
今日は卒業式だ。

教え子たちを送り出して、今頃どこかで同僚たちと飲んでいるのだろう。

ふと、昼間の電話を思い出した。

《新西急ホテル婚礼担当 池田》

「恵理さんから、披露宴でお母様のレシピでお客様をおもてなししたいというご要望をいただきまして」

母は洗い物をしながら、その声をもう一度聞いていた。
恵理が、そんなことを言ったのか。
棚に手を伸ばす。
奥のほうだ。

他のものに埋もれるようにして、それはあった。

古いノート。

表紙は色褪せて、すこしへたっていた。

最初のページを開く。

カレー。
肉じゃが。
すき焼き。

今でもちゃんと読める。
まさか、こんな時に役に立つとは。
苦笑しながらページを繰る。

恵理が幼稚園の頃、お弁当に毎日入れてほしいと言っていた卵焼き。
欄外に小さく書いてある。
さとう少な目。
だしの味喜ぶ。

またページをめくる。

中学の運動会のお弁当。
高校の文化祭で、クラスの子たちに振る舞ったクッキー。
恵理が高校を卒業するまで作ったおせちの黒豆。

めくるたびに、時間が戻る。

指が、止まった。

卵、牛乳、砂糖。
材料はシンプルだ。

それは、プリンのレシピ。
余白に、小さな字で書き足してある。

恵理、4さい。
何個も食べた。

母は、固まったかのようにそのページを見ていた。

あの頃の恵理の顔が浮かんだ。
一瞬でプリンを平らげると、
別のプリンカップを冷蔵庫から持ってきた。

「おいしい」

その一言だけで、またいくらでも作れた。
プリンだけは、もうレシピはいらなかった。

作るたびに、恵理は大きくなっていった。

そして……もうすぐ、この台所に恵理はいなくなる。
母は、指で余白をそっとなぞった。

玄関のドアが開く音がした。
母はノートをそっと閉じた。
棚に戻そうとして、やめた。

「おかえり」

「ただいま」

「恵理、今日昼間、新西急ホテルの池田さんって方から連絡があったよ。」

「そうなの。お母さんの一品。何かお願いできないかなあ。あ、何かは内緒にしてね。当日のサプライズ。今度の土曜日、打ち合わせに行くから一緒に来てほしいな。」

3/7。
婚礼担当の池田さんに、渡すレシピはもう決まっている。


(第5話 了)


📚ZAPPING POINT
📜恵理の結婚式当日の物語→#7 見送る日

#創作
#物語
#母と娘
#料理
#レシピ
#プリン
#一条詩紋
#卒業の日

いいなと思ったら応援しよう!

一条 詩紋 いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。 物語があなたの癒しになれば幸いです。 チップはご無用です。一緒にドキドキしてくれた思いを伝えてくだされば・・・。それがうれしいです。