卒業の日 #6 自分が動く番
3/7(土)13:30
新西急ホテルの打ち合わせ室に、午後の光が差していた。
池田あかりは席次表を机に置き、紙の端をそろえる。
この式が、最後の担当になる。
七月いっぱいで退職する。そのあとどうするかは、まだ誰にも話していない。
ただ、何年もかけて気づいていた。
自分はずっと、人の「前に進む日」を支えてきた。
でも、自分自身はどこにも動いていない。
最後までまっとうする。
それだけは決めていた。
そのあとのことは、まだわからない。
でも、動かなければ何も始まらないことだけは、わかっていた。
扉が開いた。
「失礼します」
颯太と恵理だった。
「本日はよろしくお願いします」
あかりは笑顔で席を勧めた。
「まず日程の確認からさせてください」
*
資料を開く。
「挙式と披露宴は、七月二十五日(土)。こちらでお間違いありませんか」
「はい」
二人がうなずく。
「では当日のおおまかな流れを確認します」
進行表を開く。
受付。
挙式。
乾杯。
順に説明していく。
「ここまでで、なにかご質問はございますか?」
颯太が少し照れたように言った。
「実は……」
恵理が顔を向ける。
「結婚って、最初ちょっと不安だったんです。自分がこれからどんな人生を歩んでいくのかって。でも……」
颯太はスマートフォンを取り出した。
写真を見せる。
机の上の付箋。
そこに書かれている言葉。
『道は自分の後ろにできる。迷ったら動け。』
「先輩が引き継ぎ資料に残しておいてくれた言葉です」
恵理が笑う。
「それ見て決めたの?」
颯太は肩をすくめた。
「うん……動かなきゃ始まらないよなって。そう思ったら、何でもできそうに思えてきた」
あかりは、ペンを持つ手を止めた。
動かなきゃ始まらない。
同じ言葉が、自分の中にもあった。
ずっと前から。
ただ、自分はそれを、
ずっと人に向けて使ってきた。
自分のためには、一度も使ったことがなかった。
恵理も少し笑った。
「私も、怖かった」
颯太が見る。
「家からも、学校からも『卒業』する感じで」
恵理はゆっくり言った。
「でも、お母さんに言われたの」
少し間を置く。
「戻ってきていい場所は、ちゃんとあるからって」
部屋が静かになる。
恵理は続けた。
「それ聞いたら安心して」
「自分の子どもにも、そういう場所を作ってあげたいなって思った」
あかりは静かに息をついた。
戻ってきていい場所。
自分にも、そういう場所があっただろうか。
あるいは、これから作れるだろうか。
まだわからない。
でも、動いてみなければわからない。
*
そのとき、扉が開いた。
「失礼します」
恵理の母だった。
「あ、お母さん」
母は軽く会釈する。
「池田さんですよね。お電話ありがとうございます。打ち合わせの途中ですよね。少しだけ」
あかりは立ち上がる。
「大丈夫ですよ」
母は封筒を差し出した。
「恵理から頼まれているんです。当日のサプライズにしろって」
「あ、『アレ』ね」
恵理が、にやりとする。
「え? アレってなに?」
颯太は首をかしげる。
母は軽く笑った。
「あとでね」
それだけ言い、部屋を出ていった。
あかりは封筒を見る。
古いノートをコピーした紙だ。
資料の間に、そっと挟む。
*
あかりは席次表を開いた。
「では席次の確認をさせていただきます」
名前を一人ずつ読み上げていく。
そして、指が止まる。
「新郎様ご友人……」
紙に目を落とす。
「――月見里様。これは……『やまなし』様でよろしいでしょうか?」
颯太が笑った。
「さすがですね。一発で読める方はそうないのに……あいつ、よく間違えられてましたから」
あかりは小さくうなずいた。
窓の外に、春の光が広がっていた。
この式を、最後までサポートしよう。
そのあと——
今度は、自分が動く番だ。
(第7話へ続く)
📚ZAPPING POINT
引継ぎ資料の付箋を見た日の話→#3 颯太の迷い
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いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
物語があなたの癒しになれば幸いです。
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