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卒業の日 #6 自分が動く番

3/7(土)13:30

新西急ホテルの打ち合わせ室に、午後の光が差していた。
池田あかりは席次表を机に置き、紙の端をそろえる。

この式が、最後の担当になる。
七月いっぱいで退職する。そのあとどうするかは、まだ誰にも話していない。

ただ、何年もかけて気づいていた。
自分はずっと、人の「前に進む日」を支えてきた。
でも、自分自身はどこにも動いていない。

最後までまっとうする。
それだけは決めていた。

そのあとのことは、まだわからない。
でも、動かなければ何も始まらないことだけは、わかっていた。

扉が開いた。

「失礼します」

颯太と恵理だった。

「本日はよろしくお願いします」

あかりは笑顔で席を勧めた。

「まず日程の確認からさせてください」

資料を開く。

「挙式と披露宴は、七月二十五日(土)。こちらでお間違いありませんか」

「はい」

二人がうなずく。

「では当日のおおまかな流れを確認します」

進行表を開く。

受付。
挙式。
乾杯。

順に説明していく。

「ここまでで、なにかご質問はございますか?」

颯太が少し照れたように言った。

「実は……」

恵理が顔を向ける。

「結婚って、最初ちょっと不安だったんです。自分がこれからどんな人生を歩んでいくのかって。でも……」

颯太はスマートフォンを取り出した。
写真を見せる。

机の上の付箋。
そこに書かれている言葉。

『道は自分の後ろにできる。迷ったら動け。』

「先輩が引き継ぎ資料に残しておいてくれた言葉です」

恵理が笑う。

「それ見て決めたの?」

颯太は肩をすくめた。

「うん……動かなきゃ始まらないよなって。そう思ったら、何でもできそうに思えてきた」

あかりは、ペンを持つ手を止めた。

動かなきゃ始まらない。

同じ言葉が、自分の中にもあった。
ずっと前から。

ただ、自分はそれを、
ずっと人に向けて使ってきた。

自分のためには、一度も使ったことがなかった。

恵理も少し笑った。

「私も、怖かった」

颯太が見る。

「家からも、学校からも『卒業』する感じで」

恵理はゆっくり言った。

「でも、お母さんに言われたの」

少し間を置く。

「戻ってきていい場所は、ちゃんとあるからって」

部屋が静かになる。

恵理は続けた。

「それ聞いたら安心して」

「自分の子どもにも、そういう場所を作ってあげたいなって思った」

あかりは静かに息をついた。

戻ってきていい場所。
自分にも、そういう場所があっただろうか。
あるいは、これから作れるだろうか。

まだわからない。
でも、動いてみなければわからない。

そのとき、扉が開いた。

「失礼します」

恵理の母だった。

「あ、お母さん」

母は軽く会釈する。

「池田さんですよね。お電話ありがとうございます。打ち合わせの途中ですよね。少しだけ」

あかりは立ち上がる。

「大丈夫ですよ」

母は封筒を差し出した。

「恵理から頼まれているんです。当日のサプライズにしろって」

「あ、『アレ』ね」

恵理が、にやりとする。

「え? アレってなに?」

颯太は首をかしげる。

母は軽く笑った。

「あとでね」

それだけ言い、部屋を出ていった。

あかりは封筒を見る。
古いノートをコピーした紙だ。

資料の間に、そっと挟む。

あかりは席次表を開いた。

「では席次の確認をさせていただきます」

名前を一人ずつ読み上げていく。
そして、指が止まる。

「新郎様ご友人……」

紙に目を落とす。

「――月見里様。これは……『やまなし』様でよろしいでしょうか?」

颯太が笑った。

「さすがですね。一発で読める方はそうないのに……あいつ、よく間違えられてましたから」

あかりは小さくうなずいた。
窓の外に、春の光が広がっていた。
この式を、最後までサポートしよう。

そのあと——

今度は、自分が動く番だ。

(第7話へ続く)

📚ZAPPING POINT
引継ぎ資料の付箋を見た日の話→#3 颯太の迷い

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