【美術展2025#68】コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ@東京国立近代美術館
会期:2025年7月15日(火)~10月26日(日)
「昭和100年」、「戦後80年」という節目の年となる今年、美術を手がかりとして、1930年代から1970年代の時代と文化を振り返る展覧会を開催します。絵画や写真や映画といった視覚的な表現が果たした「記録」という役割と、それらを事後に振り返りながら再構成されていく「記憶」の働きに注目しながら、過去を現在と未来につなげていく継承の方法を、美術館という記憶装置において考察するものです。
しばしば美術は「時代を映し出す鏡」と言われます。その視覚的なイメージには、作家の感性を介して、制作時の世相や文化が刻印されています。それだけではありません。美術は時代を超えて生き続けることにより、後の世代によって新たに意味づけられるものでもあります。つまり美術が映し出すのは、作品が生み出された過去の一点から現在に至る時間の流れの中での、人々の美意識や社会と歴史を見つめる眼差しの変化なのです。
今、戦争体験を持たない世代が、どのように過去に向き合うことができるかが問われています。それは他でもない、現在を生きる私たちの実践にかかっているといえるでしょう。戦争記録画を含む当館のコレクションを中心に他機関からの借用を加えた計280点の作品・資料で構成される本展覧会を通して、美術に蓄えられた記録をもとに新たな戦争の記憶を紡ぎだすことを試みます。美術館がこのような記憶を編む協働の場になることができれば幸いです。
「昭和100年」「戦後80年」の今年は各地でそれに関連した展覧会が行われている。
先日も東京都写真美術館で原爆にちなんだ写真展を見たばかりだ。
今展はタイトルだけではなんの展覧会なのかよくわからない。
だが、その内容はがっつり戦争の話。
それなのに戦争色が薄く本展の主軸となるわけでもない作品をあえてキービジュアルに用いているのはなぜだろう。
しかも今展は夏のかき入れ時期の開催なのに宣伝がほとんどされていない。
「コレクションを中心とした」と謳ってはいるものの、出品リストに記載されている110余点の作品のうちの半数以上が他館蔵の作品でしっかりと構成を練っているにもかかわらず、図録を作っていないだけでなくチラシすら用意していない。
来てほしいのか?来てほしくないのか?
何処からかの圧力を恐れてのことなのか?
批判や批評に対する信念や矜持がないのか?
まさか言質を取られないように証拠は残さないということではないだろうが。
なんだかこの時点で違和感を感じる。
そんなコソコソせずにもっと正々堂々と企画を打ち出せばいいのに。
ここ最近に限っても東京国立近代美術館の企画展は「ヒルマ・アフ・クリント展」然り「ハニワと土偶の近代」然り、企画側の結論ありきで構成されている(と私は感じた)ような展覧会が続き、早くも入場前から今展に対して不信感が募る。
が、冷静になるべくニュートラルな視点で見ていこう。
1章 絵画は何を伝えたか
満州事変、日中戦争、太平洋戦争と続いた1930年代以降、新聞、雑誌という旧来のメディアに加え、ラジオ、映画などの新興メディアが急速に発展・浸透していったメディア環境の中で、絵画が果たした社会的な役割を整理します。
まだテレビが無かった時代。
絵画は現代のテレビ番組のように脚色や演出を多分に含んだエンターテイメント的役割を担っていた。

絵画にしかできない脚色によって描いた想像の空中戦。

御厨純一
会見そのものというよりは、後方の報道班を中心に据えた構図。

宮本三郎
現代とは違う国境線と国名。
実際は東アジアのほとんどが欧米列強国領となっている。

1937年1月
地図好きの私はこのような地図があると隅から隅まで見てしまう。

展覧会とは関係ないが1937年時点で西蔵の地図中に「カイラス山」や「マナサロワル湖」がしっかりと記載されていることに感動。

2004
2章 アジアへの/からのまなざし
日本の圏域が拡大するにつれ、東北アジアのみならず、東南アジアの自然や風俗・文化を伝える絵画、写真、映画が多数制作されました。絵画に描かれたアジアと、描かれなかったアジアの両面に注目しつつ、日本人と現地の人々の視線のやり取りが含む政治的な力学についても想像を巡らせます。
当時日本の影響下にあった満洲や朝鮮半島を景勝地として紹介して旅行熱を盛り上げ、ひいては移住を促す。


「湘南スタイルmagazine」的ノリの「満州グラフ」

かの硲伊之助や、硲氏の後輩の小磯良平も作戦記録画を描いていた。

硲伊之助

小磯良平
欧米の帝国主義打倒と東アジアの共存共栄を謳う大東亜共栄圏。
戦争を継続するための資源を東南アジアで確保するねらいも当然あったのだろう、が

1941年1月
事実、アジアは欧米列強国に侵食されていた。

やらなければやられていた弱肉強食の激動の時代、日本は欧米には屈せずに立ち向かう選択をした。
3章 戦場のスペクタクル
日中戦争から太平洋戦争にかけて、陸海軍は作戦記録画の制作を画家に依頼し、その成果は各種戦争美術展で発表されるようになりました。戦況を伝えるために、写真や映画ではなく、絵画を活用した理由はどこにあったのかを、戦闘場面のスペクタクル化という観点から考察します。
大画面で戦場の光景を描く。
現代のVR的な位置付けとでも言えるだろうか。
もちろん脚色や演出を含んだ戦意高揚のプロパガンダ的な意味合いも多分にあるのだろう。
そこには戦争の悲惨さは一切ない。
しかしこの「各種戦争美術展」って誰が見に行った(行けた)んだろう。



鈴木良三

藤田嗣治
4章 神話の生成
戦時下の美術は、文学、音楽、映画など、他の芸術ジャンルと連動しながら時局を反映したイメージを提供しました。本章では当時のメディア空間に注目することで、大衆に深く浸透し、社会を動かした「物語」が生成するプロセスを検証します。
次第に戦局が悪化していく中、悲劇的に、かつ礼賛的に群像を描く。

藤田嗣治


伊原宇三郎

5章 日常生活の中の戦争
本章では、前線/銃後、公/私、男/女、大人/子どもの境界が曖昧になる総力戦において日常生活がどのように変化していったかを、視覚的メディアを手がかりに読み解きます。とりわけ「銃後」を支えた女性の暮らしと労働に注目することで、戦争と日常が背中合わせにあったリアリティーを追体験します。
兵士だけでなく民間人まで含めて総力を上げて人的資源や物資を総動員する。


女流美術家奉公隊 靖國神社遊就館蔵


6章 身体の記憶
過酷な敗戦体験を経た1950年代には、戦時中には描かれることのなかった傷つき、変形し、断片化された身体像が、戦後の現実と戦争体験を重ね合わせる媒体として多数生み出されました。これらの身体のイメージにより、過去の戦争の記憶が呼び起されたのです。
広島、長崎への原爆投下。
そして、終戦へ。

幼少の頃、親戚が埼玉県東松山市に住んでいたこともあり、丸木美術館に何回か連れられて行ったことがある。
幼心に戦争に対してのトラウマにもなるほどの恐怖心を植え付けられた記憶が蘇る。
私の戦争画の原点は丸木氏の絵だ。

丸木位里・俊
「河原温」前夜。

河原温


ここからあれになるなんてこの時点で誰が想像できたであろうか。
7章 よみがえる過去との対話
1960年代後半から1970年代にかけて、戦争体験の風化が叫ばれる一方で、テレビを通して報道されたベトナム戦争の映像が契機となって、日本人は過去の戦争を想起するようになります。この時期に展開された戦争の記憶を掘り起こす活動が、過去に向き合う意識の変化をもたらしました。
日本の戦争は1945年に終わったが、世界の戦争は終わらない。
この章は美術というよりも博物館的雰囲気が濃厚。
恣意的でもあり、ある意味非常にここの美術館らしい戦後民主主義的視点からのアプローチ。
表向きは反戦平和を唱えつつも、内実さまざまなイデオロギーが交錯する。


岡本太郎



8章 記録をひらく
「戦争記録画」は、戦後米軍に接収されたのち長らく米国で保管されていましたが、交渉の末1970年に「無期限貸与」という形で日本に「返還」されました。本章では、敗戦体験と戦後のブランクを経て、戻って来た戦争記録画が読み替えられていく経緯を検証するとともに、未来に向けた活用の方法を問いかけます。
他国では戦争博物館や歴史博物館に収蔵されることが多い戦争画だが、アメリカより「返還」された後、日本では東京国立近代美術館に収蔵された。
もつれにもつれた歪な構造は戦後80年経っても解けそうにない。


小川原脩
作者の小川原氏は、戦後故郷北海道に戻り、その後亡くなるまで中央画壇と距離をとって制作を続けたとのこと。
50年ぶりに自身の戦争画と再会を果たした際の映像が流れされる。
Google翻訳による会場パネルの日本語訳↓
小川原脩のコメント(英訳)
[シーン1] インタビュアーから「この空襲のイメージを描いた時、被爆下で暮らす人々のことを想像していましたか?」と問われると、小川原は次のように答えた。
小川原:「今それを言ったら嘘になります。今振り返ると感傷的になります。戦時中はもっと過酷な状況でした。目の前のことしか考えられません。」
[シーン2]
小川原:「戦争は計り知れない力で襲い掛かってくるもの。あの時代を経験しなければ、誰も理解できないと思います。戦後、当時は反戦だったと言って自分の立場を守ろうとする人がいましたが、私はそれは間違っていると思います。そういうことを言う人を私は信用できません。」
[シーン3]
50年ぶりに自身の作品と向き合った小川原は、次のように語った。
「まず、懐かしい気持ちになりました。『何か悪いことをした』という罪悪感ではなく、懐かしさを感じました。これもまた私です。これもまた、私自身に他なりません。」
戦後、沖縄は「反戦運動」の最前線となる。

おわりに
本展覧会では、当館が保管する戦争記録画を、どのように次世代に継承すべきかがひとつのテーマとなりました。最大の課題は、すでに終戦から80年が経過し、戦争体験者がますます少なくなる中で、戦時下の文化が置かれていた社会的・政治的な文脈が共有されにくくなっていることです。本展が明らかにしたように、美術を含む視覚的な表現は、決して他のメディアから自立していたわけではなく、同時代に流通していた言説に密接にかかわるものでした。
本展は、「戦争を知らない」世代が、実体験者と異なる視点で過去に向き合うことを積極的に考える機会でもありました。美術や文学などの芸術が虚構を交えて構成する戦争表象を、ジャンル間の比較や大衆文化との関係も含めて俯瞰できる視座を持つこと、さらに、時代や地域を超えた戦争経験との比較考察ができる視点を持つことは、戦争の記憶の継承にとって大きな可能性となるのではないでしょうか。
この展覧会で見てきたように、芸術は過去に、人々を戦争へと駆り立てる役割を果たしました。人々の心を動かす芸術の力の両義性を理解したうえで、未来の平和に向けた想像力に繋げていくために、今後も当館が収蔵する戦争記録画をはじめとする作品は貴重な記録として存在し続けるのです。
終わった。
さて、大前提として私は戦争反対である。
この地球上で武力戦争など起こすべきでない。
戦禍で亡くなる人が一人もいなくなることを切望する。
だが、残念ながらこの世界はそんなに単純ではないことも知っている。
ということを踏まえつつ、その上で20世紀前半の世界情勢の中、戦わざるを得なかった日本が置かれた状況を理解したい。
欧米の帝国主義に屈せずに自国の独立を護るのみならず、アジア各国の独立を支援したという「神話」も信じたい。
今展では企画者自ら「実体験者と異なる視点で過去に向き合うことを積極的に考える機会」と言っているだけあって、展示されていた作品群からは口を塞がれたかのように実体験者の言葉が聞こえて来ず、企画側の筋書きに沿うように選ばれ、集められ、並べられ、恣意的な文脈に位置付けられ、現代の価値観(現代の正義)による解釈で語られていたように感じた。
作品が主役となる展覧会ではなく企画側のシナリオ通りの物語のような展開。
柵の外から一本道の「戦争表象」をなぞらされているような感覚を覚えてしまった。
そこからは戦争画を描いた画家たちやこの国を護ろうとして戦争で亡くなっていった方々への敬意がいまいち感じられなかった。
もちろんあくまでも私が個人的に勝手にそう感じただけであるのかもしれないが、このモヤモヤした感覚。
この展覧会だけで戦争についてなんだかんだと考えるのはフェアではないような気がしたので、今日はこの後の予定を変更して、久しぶりに靖国神社(遊就館)まで足を伸ばしてみることにした。
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