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ガチャ格差は日本だけじゃない

この数年で、よく耳にするようになった「親ガチャ」という言葉。ゲームの“ガチャ”に例えて、自分の親や家庭環境は選べない、というちょっとした自虐を含んだ表現ですね。

最初はネットのスラングかなと思っていたけれど、その響きが妙にリアルで、つい考えさせられてしまいます。進学も、住む場所も、選べる職業の幅も、じつは「親に何を与えられたか」で決まってしまう面がある。
そう思うと、「努力すれば報われる」という言葉に、少しだけ距離を感じてしまうのは、私だけでしょうか。

日本でも、
見えにくい“スタートラインの差”


たとえば、日本では「親の年収が子どもの学力を決める」というデータがあります。都心では中学受験にかかる費用が数百万円になることも珍しくなくて、それを当然のように払える家庭と、そうでない家庭がある。
そうなると、子どもが将来進めるルートも、気づかないうちに分かれていきます。

もっといえば、都市と地方の格差も見逃せません。大学進学や就職のタイミングで、「実家が都心にある」というだけで選択肢の幅がぐっと広がる。そんな小さな“運”が、人生にじわじわ効いてくる。
そう考えると、親ガチャは意外と身近な現実なのかもしれません。

アメリカの場合は
「ZIPコードガチャ」?


アメリカでは、どの郵便番号エリア(ZIPコード)に生まれたかで、行ける学校のレベルが変わってきます。
裕福なエリアには高レベルの公立学校があって、そこに通える子どもは恵まれた進学ルートを手にできる。
逆に、経済的に苦しい地域では、教育の質や進学支援が足りず、次のステップへ進むのが難しくなることも。

人種による格差も根深く、ブラックやヒスパニック系の家庭は、統計的に貧困の連鎖に巻き込まれやすい状況があります。
“機会の国”とも言われるアメリカですが、生まれた場所や家庭がその後の未来を大きく左右してしまうこともあるのは事実ですね。

インドは、
“階層”という壁がいまも


インドには「カースト制度」が存在していて、法律上は差別が禁止されているものの、実際の生活では出身階層がまだ強く影響しています。
特に地方では、どのカーストに生まれたかで、進学や結婚の選択肢が決まってしまうことも。

下位カーストの人たちは、たとえ努力して公務員になっても、「出身が〇〇だから」といった偏見の目で見られることがあるそうです。
これは、親の収入や学歴以上に、「生まれた身分そのもの」による格差。想像するだけでも、かなり息苦しいですよね。

中国では
“どこで生まれたか”がポイント


中国の「戸籍制度」も、生まれによる格差の大きな原因のひとつ。
都市に戸籍を持つ子どもは、良い学校や病院、住宅支援を受けられる一方で、農村の戸籍を持つ人たちは、都市に出て働いても、社会保障の対象にならないことが多いのです。

たとえば、両親が出稼ぎで都市に来ても、その子どもは地方の戸籍のまま。その結果、都市の学校には通えず、親と離れて暮らす子どももいるそうです。“どこに生まれたか”が、将来の学びやすさ、働きやすさを決めてしまうのは、やっぱり不公平ですよね。

中東では、
「国籍差別」が実はひどい


そして、少し距離のある話に思えるかもしれませんが、中東の国々ではさらに根深い“生まれの格差”があります。たとえば、UAEやサウジアラビアでは、「どの国の国籍を持って生まれたか」で人生の選択肢が決まる」という現実があるのです。

これらの国では、国民(citizen)と外国人労働者(expatriate)とのあいだに、明確な社会的な線引きがあります。国民は政府から教育・医療・住宅などの手厚い支援を受けられます。
しかし、外国人労働者はたとえ数十年その国で働いても、市民権は得られません。

さらに、「カファラ制度」という仕組みによって、外国人労働者は雇い主の許可がないと、仕事を変えたり国を出たりすることすら難しいとのこと。
バングラデシュやネパールから出稼ぎに来た人たちが、長時間労働に従事しながらも、住む場所も自由も制限されているようです。
これはもう、「努力では変えられない人生の条件」と呼んでも差し支えないのではないでしょうか。

“選べない条件”と、
どう向き合うのか


こうして見ると、日本の「親ガチャ」も含め、世界中で“生まれた瞬間に背負わされる条件”は意外と多くあります。どの国に生まれたか、どんな親に育てられたか、どの町で育ったか――それだけで、人生のスタート地点も、進める道も違ってしまう。

もちろん、どんな状況でも努力して道を切り拓く人はいます。けれどそれと同時に、「みんな同じスタートラインにいるわけじゃない」ということに目を向けることも、すごく大事な気がします。

“選べなかった条件”に苦しんでいる人がいること。
それを、責めたり、無視したりしない社会でありたいなと思うのです。

あとがき

私たちが「親ガチャ」という言葉を使うとき、そこにはちょっとした笑いと、でも消えない悔しさが混ざっています。
けれど、世界にはもっと深刻な“生まれの壁”が存在していて、私たちはそのことを知らずに過ごしているかもしれません。

だからこそ、できるだけ多くの背景や視点に触れながら、あたりまえと思っている“今の自分”について、ほんの少し立ち止まってみてもいいのかもしれません。


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