入門講座#8:1型糖尿病でも明るく生きられる(前編)── ロールモデルと治療技術の進歩
📘 入門講座#8 (1型糖尿病シリーズ 3/4)
初めての方 → #1「糖尿病ってそもそも何?」
前回 → #7「1型糖尿病の誤解」
はじめに
前回の#7では、1型糖尿病にまつわる誤解やスティグマについてお話ししました。
正直、書いていて重い内容でした。
読んでいて、つらくなった方もいるかもしれません。
だから今回は、ここからは"希望の話"をしましょう。
「1型糖尿病と診断されたあの日、未来が真っ暗に見えた」
外来で、そうおっしゃる患者さんに何度もお会いしてきました。
その気持ちは、痛いほどわかります。
でも、それは情報が足りなかっただけかもしれません。
今日の記事は、精神論で「頑張れ」と言いたいのではありません。
実例と、技術で、「大丈夫」の根拠を示すための記事です。
前編の今回は「ロールモデル」と「治療技術の進歩」。
後編(#9)では「QOLを上げる工夫」と「希望の持てる未来」をお届けします。
ロールモデル:病気とともに活躍する人たち
「1型だから○○できない」
この思い込みを壊してくれる存在が、世界にはたくさんいます。
ここで紹介するのは、"すごい人たち"の自慢話ではありません。
この人たちも、毎日インスリンを打ち、血糖値を測り、悩む日もある。
その中で、自分の道を歩いている。
それを知ること自体が、力になると思うのです。

岩田稔さん(元プロ野球選手・阪神タイガース)
岩田稔さんは、高校2年生の冬に1型糖尿病を発症しました。
それまで決まっていた社会人野球チームへの内定は、病気を理由に取り消されました。
普通なら、心が折れてもおかしくない。
でも岩田さんは、大学を経てプロ野球の世界へ。阪神タイガースに入団し、1日4回のインスリン注射を続けながら16年間の現役生活を全うしました。
2009年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では日本代表にも選出され、世界一に貢献しています。
しかし、岩田さんの本当のすごさは成績だけではありません。
年俸以外の副収入は全額、糖尿病患者のために寄付していたこと。
1型糖尿病の子どもたちとの交流会に積極的に参加し続けたこと。
その功績が認められ、社会的貢献をした1型糖尿病患者に贈られる 「ガリクソン賞」 を受賞しています。
引退後も全国各地で啓発活動を続け、「僕を通じて、もっと多くの方に病気について知ってほしい」と語っています。
ある日、1型糖尿病の男の子のもとをサプライズ訪問した岩田さんは、こう声をかけました。
「こういう選手になりたいと目標を持ってやっていくことがすごく大切。そのためにも、血糖値のコントロールを自分でいろいろ考えながら」
その男の子は、こう答えたそうです。
「1型のみんなを助けられるような選手になりたいです」
……この連鎖こそが、ロールモデルの力だと思います。
大村詠一さん(元エアロビック競技日本代表・患者支援活動家)
大村詠一さんは、8歳で1型糖尿病を発症しました。
体力向上のためにジョギングに連れ出してくれていたお父さんは、「あの時風邪をひかなければ詠一は病気にならなかったかもしれない」と、長く心を痛めていたそうです。
発症後、大村さんは10歳からエアロビック競技を本格的に始めます。
練習中に低血糖になることも何度もあった。悔しくて、病気にぶつけることもあった。
でもお母さんから言われた言葉が、大村さんの原点になります。
「1型糖尿病だからとアピールするのではなく、自分はこれをここまでならできるとやりきること。でも、もしできないことがあるなら、その時は誰かに頼ればいい」
大村さんが発症した約20年前は、「1型糖尿病のアスリートに前例がない」と言われた時代でした。
「前例がないなら、前例になる」 と決めた大村さんは、エアロビック競技の日本代表として数々の大会で結果を残します。
しかし大村さんの活動は、競技にとどまりません。
認定NPO法人「日本IDDMネットワーク」の専務理事・副理事長として、10年以上にわたり患者・家族の支援と1型糖尿病の根治に向けた研究助成に携わりました。
2025年には、糖尿病アドボカシー(政策提言)グループ 「DicHub」 を仲間とともに設立。患者・家族だけでなく医療者や企業を巻き込みながら、治療環境や制度の改善を目指しています。
大村さんの合言葉は、「"私"ではなく"私たち"」。
競技者として道を切り拓き、支援者として制度を変える。
1型糖尿病の当事者でありながら、社会の側を動かし続ける大村さんの存在は、ロールモデルという言葉を超えています。
ちなみにお父さんは、今の大村さんを見て「詠一は人生楽しそう」と喜んでいるそうです。
杉山新さん(元Jリーガー)
杉山新さんは、Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府で「甲府の黒豹」と呼ばれた俊敏なサッカー選手でした。
23歳のとき、1型糖尿病を発症。
一度は戦力外通告を受けましたが、練習生として復帰し、ふたたびチームの一員としてピッチに立ちました。
その後、大宮アルディージャ、横浜FCでプレーを続けています。
杉山さんが入院中、看護師さんが持ってきてくれたのが、同じ1型糖尿病だったメジャーリーガー、ビル・ガリクソン選手の本でした。
「同じスポーツ選手でこういう人もいて、ちゃんとやれてるんだな、と自分も頑張ろうとポジティブな気持ちになれました」
杉山さんはその経験を、自著『絶望なんかで夢は死なない』に込めています。
「糖尿病だからといって、夢をあきらめることはない」
そのプレーと言葉が、次の誰かのガリクソン選手の本になる。
ロールモデルの連鎖は、こうやって広がっていくのだと思います。
テリーザ・メイ元首相(英国)
テリーザ・メイさんは、英国の内務大臣を務めていた2012年、56歳で1型糖尿病と診断されました。
最初は2型糖尿病と診断されましたが、飲み薬では血糖が下がらない。
すぐにインスリン療法が開始され、診断名は1型糖尿病に変わりました。
(#7で触れた「緩徐進行1型糖尿病」のような経過を思い出しますね)
体重が急減していた時期、政敵から「職務のストレスで痩せたのか」と皮肉を言われたメイさんは、こう返しました。
「体重が落ちたのは1型糖尿病にかかったから。でも職務遂行能力には影響しない」
その後2016年、メイさんはマーガレット・サッチャーに続く英国史上2人目の女性首相に就任。
世界で初めて、1型糖尿病患者として首相の職に就いた人物です。
2017年には来日し、安倍首相との会談や天皇陛下との会見も行っています。
一部メディアが「1型糖尿病なので首相に不適格ではないか」と報じた際、英国糖尿病学会(Diabetes UK)は「糖尿病であることが首相に適さないことは断じてない」と声明を出しました。
メイさんは小児1型糖尿病患者の学校生活を支援するキャンペーンにも関わり、こう語っています。
「糖尿病であることは、何に対しても障壁にならない。糖尿病だからといって諦めなければならないことはないと、多くの人に知ってほしい」
一国のリーダーが「1型でもここまでできる」を体現した事実は、世界中の患者にとって大きな意味を持ちました。
ライラ・モスさん(ファッションモデル)
世界的スーパーモデル、ケイト・モスさんの娘であるライラ・モスさんも1型糖尿病です。
彼女が注目されたのは、ランウェイ(ファッションショーの花道)でインスリンポンプとCGM(持続血糖測定器)をあえて隠さずに身に着けて歩いたことでした。
SNSには世界中から声が寄せられました。
「デバイスを隠さないでくれて、ありがとう」
「インスリンポンプを誇らしげに見せてくれて嬉しい」
ライラさん自身、こう語っています。
「私は1型糖尿病。でも、一人ぼっちじゃない。インスリンポンプやセンサーは命を支えるためのもの。それを恥じる必要なんて少しもない」
#7で書いた「デバイスの装着を見られたくない」「注射を隠してしまう」という悩み。
ライラさんの姿勢は、その気持ちを根っこから軽くしてくれるものでした。
「隠さなくていい」 と、世界の舞台から示してくれた意味は大きいです。
まだまだたくさんいます
ここで紹介しきれなかった方々もたくさんいます。
米人気グループ「ジョナス・ブラザーズ」のニック・ジョナスさんは13歳で1型糖尿病を発症後、トップミュージシャンとして活躍しながら糖尿病啓発活動に積極的に取り組んでいます。
MLBのアダム・デュバル選手は23歳で1型と診断されながら打点王を獲得し、子どもたちのための糖尿病キャンプも主導しています。
日本でも、プロテニスの宗理美さん、モデル・タレントの星南さん、プロ囲碁棋士の木部夏生さんなど、さまざまな分野で活躍する1型糖尿病当事者がいます。
そして忘れてはいけないのは、1型糖尿病の医師も全国に50名以上いるということ。
当事者として治療を受けながら、医療者として患者を支えている方々がいます。
ロールモデルの本当の意味
ここで大事なことを書いておきます。
ロールモデルの意味は、「すごい人がいる」ではありません。
「自分にも、可能性がある」と感じられること。
紹介した方々も、毎日の自己管理があり、うまくいかない日もあり、悩みもある。
特別な人だから成功したのではなく、適切な治療と支えがあったから歩けた。
だから、あなたにも歩ける道がある。
それがロールモデルの本当のメッセージです。
治療技術の進歩 ── 「できること」が増えている時代
希望は気持ちだけの話ではありません。
「道具」もちゃんと進化しています。
ここからは、1型糖尿病の治療を取り巻くテクノロジーの進歩について整理します。
インスリン製剤の進化
つい25年ほど前まで、1型糖尿病の方は基礎インスリンとして中間型インスリン(N)を2回注射、速効型インスリン(R)を3回打ち……インスリンの血中濃度が不安定なため、効果が重なることで重症低血糖のリスクも高い時代がありました。
(#7でも少し触れましたね)
私が医師になってからの15年でも、治療環境はかなり変わっています。
初期研修医時代の治療と現在を比べると、明らかに今の方が管理しやすい。
持続型インスリン(トレシーバなど) の登場で、基礎インスリンが24時間以上安定するようになりました。
超速効型インスリン(フィアスプなど) の登場で、食後の血糖上昇により素早く対応できるようになりました。
注射回数・低血糖リスクの両面で、以前とは比較にならないほど改善しています。
さらに注目すべきは、週1回注射するだけで基礎インスリン効果が持続する超長時間型インスリン(アウィクリ) のが進んでいることです。昨今は実用化され、長期処方も可能となっています。これからの使用実績が積まれることにより毎日の基礎インスリン注射から解放される日が来るかもしれません。
当時の患者さんや先生方のご苦労を思うと、本当に頭が下がります。
そして同時に、技術は確実に前に進んでいるのだと実感します。
デバイスの進化(CGM・ポンプ・人工膵臓)
デバイス面での進歩は、目覚ましいものがあります。
CGM(持続血糖測定器) は、皮下に小さなセンサーを装着し、数分おきに血糖値を自動測定してくれるデバイスです。スマートフォンでリアルタイムに血糖値を確認でき、急な上昇や低下にはアラートで知らせてくれます。
かつては1日に何度も指先を穿刺(せんし)して血糖を測定していましたが、CGMの登場でその負担は大幅に減りました。
インスリンポンプ は、お腹などに装着した小型の機器から、24時間少しずつインスリンを注入するデバイスです。食事のたびに注射器を取り出す必要がなくなります。
そして今、最も注目されているのが ハイブリッド・クローズド・ループ システム(いわゆる人工膵臓) です。
これは、CGMとインスリンポンプが連動するシステム。CGMが血糖値を読み取り、その情報をもとにポンプが自動で基礎インスリンの量を増減してくれます。
これにより、従来患者さん自身が対応に苦慮していた夜間低血糖や早朝の高血糖(暁現象) がかなり緩和されるようになりました。
完全な自動制御にはまだ人の介入(食事量の入力など)が必要ですが、技術は年々洗練されています。
重症低血糖時のレスキュー薬も、最近では点鼻薬として使えるものが発売されています。注射が打てない緊急時にも、鼻にスプレーするだけで対応できる。これは患者さんだけでなく、ご家族にとっても大きな安心材料です。
デジタルヘルスと遠隔医療
スマートフォンとの連携は、糖尿病管理のあり方も変えています。
患者さんは自分のスマホで血糖値の履歴や予測をリアルタイムで確認でき、そのデータをクラウド経由で医師と共有することもできます。
これまでは月1回の通院でしか得られなかった情報を、日常的に専門家と共有し、細やかな指導を受けることが可能になりつつあります。
「次の通院まで待たなくても、今の状況を先生に見てもらえる」
「データを見ながら、一緒に微調整できる」
これは患者さんにとっても、私たち医療者にとっても、大きな変化です。
テクノロジーは「味方」
ADA(米国糖尿病学会)も、「テクノロジーは教育・サポートと組み合わせることで、患者の生活と健康を改善しうる」と強調しています。
大事なのは、テクノロジーは管理の負担を減らす味方だということ。
機械に全部任せるわけでもなく、機械に振り回されるのでもない。
道具の特性を知り、自分の生活に合わせて使いこなす。
そのために必要なのが、知識と教育です。
この入門講座も、その一助になればと思っています。
おわりに(前編)
今回は「ロールモデル」と「治療技術の進歩」、2つの角度から希望の根拠をお伝えしました。
ロールモデルたちが教えてくれるのは、「特別だからできた」ではなく、「適切な治療と理解があれば歩ける」ということ。
そして治療技術は、25年前とは比べものにならないスピードで進化し続けています。
次回の#9(後編)では、日常生活でQOLを上げるための具体的な工夫と、「希望の持てる未来」についてお話しします。
完璧でなくていい。自分のペースで、必要な助けを借りながら。
後編も、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。
👣 今日の一歩:この記事で紹介したロールモデルの中で、気になった方を1人だけ検索してみてください。
📘 次の入門講座 → #9「1型糖尿病でも明るく生きられる(後編)」
📘 前の入門講座 → #7「1型糖尿病の誤解」
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※この記事は一般的な情報提供を目的としています。個別の治療については主治医にご相談ください。
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