主人公は1人ではない〜僕らは、誰かの人生の「偶然」でもある
点から線へ。そして、その先へ
『桃太郎』を「セレンディピティ」のレンズで覗き直してみる……という企画も今回で3回目、いよいよこれが完結編です。
昔話をここまでこすって何が出てくるのか(笑)。セレンディピティについて理解を深めてみたい方には、ちょっと変わった入口として楽しんでもらえたらと思います。
note.093:桃を割ったことで、意味が書き換わった話をしましたね。食べ物への期待が、子どもへの願いに変わった瞬間の話でした。
note.094:そこから鬼退治までの15年を、ひとつの線として振り返った。点だったときには見えなかったものが、線になって初めて見えてくる、という話でした。
そして前回の最後にこう書きました。
「犬から見たら、この物語はどう見えるだろう」と。
今回は、その問いについて考える回です。
なお、僕のnoteでは、記事の内容をより深く理解するためのアフタートークとして『音声配信🎧』を行なっています。 記事には書き切れなかった補足や、読者がさらに理解を深められる視点を提供していますので、セットでお楽しみください。
数字だけ見れば
数字だけ見れば、この桃太郎シリーズは、過去イチ、反応が良くない(苦笑)このタイトルや、冒頭のリード文から、「初めてだけど読んでみっか」とはならないようで。『桃太郎』という誰もが知っている話を今さら持ち出されても、というのも、なんとなくわかる。
そもそも
「桃太郎を読み直すことが、自分と何の関係があるんだ」
と思う人もいるでしょう。
でも、以前からこのnoteを読んでくれている方々からは、逆の感想をもらうことが多く、反応も上々。「 『桃太郎』って、こんなに深い話だったんですね」と(笑)。
初見の人には刺さりづらくても、いつかどこかで面白がってくれる人が現れるだろうし、このnoteと一緒にセレンディピティについて考えてきた人たちには、確実に届いているみたいなんだ。
だったら、ここで止める理由はない。
僕は『桃太郎』で、できる限りセレンディピティを探求する。
改めてそう思ったのでした。
犬から見たら、桃太郎が偶然だった
おおかたの皆さんがご存知の通りで、桃太郎にとって、犬との出会いは「旅の途中で仲間が増えた」という出来事。
でも、犬にとってはどうでしょう🐕?
いつもの道を、いつものように歩いていた。
そこへ見知らぬ少年が現れ、
きびだんごをもらい、
気づいたら鬼ヶ島へ向かう旅に加わっていた。
桃太郎にとっては「仲間との出会い」。
でも、犬にとっては、その日を境に
人生の行き先が変わった出来事だったかもしれません。
ここまで考えていて、以前このnoteで書いた"波紋"の話を思い出した。この記事、多くの方からコメントやDMで感想をいただきました。
自分が立てた波紋と、誰かが立てた波紋。
その二つがぶつかったところに、
思いもしなかった何かが生まれる
……という話です。
桃太郎は、犬に出会った。でも犬もまた、桃太郎に出会ったのだ。これさ、「何を当たり前のこと言ってんの!?」って感じなんだけど、実は盲点で、僕らは意外と、片方からしか見ていないんです。
僕らは、誰かの人生の偶然でもある
これは、この作品の登場キャラである、犬・猿・キジだけの話じゃありません。あなたにとっての、コンビニの店員さんも、電車で隣に座った人も……みんなそれぞれの物語の主人公として、今日という日を生きている。
『sonder』という言葉がある。すれ違うすべての人に、自分と同じくらい複雑で鮮やかな人生がある、という気づきのこと示す言葉です。
そしてもう一歩進めると、こうなる。
僕らは、
自分の人生に起きた偶然のことばかり数えている。
でも、
自分が誰かの人生に起こした偶然については、
ほとんど知らない。
何気ない一言を、相手は何年も覚えていたりする。なんとなく誘った食事が、相手の転職のきっかけになっていたりする。自分では気づかないところで、誰かの轍の中に、自分がいることがある。
そう考えると、誰かに声をかけることも、何かに誘うことも、誰かと誰かをつなぐことも、少し違って見えてくる。自分にとっては、ほんの小さな出来事かもしれない。でも、その小さな出来事が、相手の物語では、思いがけず大きな一日になることがある。
ちなみに僕の例で言えば、僕にとって何かのきっかけをくれた人には、できるだけ後から連絡したり、報告したり、お礼を伝えたりするようにしている。その人からしたら、気にも止めていない、些細なことかもしれない。けどね、それを伝えたことで、また二つの轍が重なる可能性もあるから。
桃太郎という一本の線は、実は犬の線、猿の線、キジの線と、あちこちで交差していく。
では、「鬼の線」は?
ここまでは、まだ想像しやすかったはずです。
仲間にも仲間の物語がある。それは、なんとなくイメージしやすい。
問題は、もう一つ重要なキャラである
鬼のほうなんだよね。
桃太郎の物語では、鬼は退治される側として登場する。悪として描かれ、倒されて終わる。でも、鬼にも鬼の言い分があったとしたら、どうでしょう?鬼にも守っている暮らしがあり、譲れない理由があったとしたら。
これは、僕が最初に思いついた見方じゃない。
少し知的に掘り下げると、1924年、芥川龍之介は、僕らが知っている勧善懲悪の『桃太郎』を反転させた作品を書いているんだよね。桃太郎を侵略者に、鬼を平和に暮らしていた側として描いた話だ。同じように、『桃太郎』を一般とは異なる見方・読み方をして作品にしてきた人は、他にもいるらしいのです。(要は、視点を変えるのは、クリエイティブを生み出す手法の一つでもあるわけだ)
ということは、だ。犬の視点に立てるなら、鬼の視点にも立てるんじゃなかろうか。他の人の立場になって考えてみる行為:パースペクティブテイキング(視点取得)は、主人公にとって優しく都合の良い相手にだけ使うものじゃないからね。
セレンディピティは、優しい顔だけでやってこない
鬼との出逢いが桃太郎を変えたかどうかは、物語には書かれていません。想像するのは自由だけど、ここから先は僕の妄想です(笑)。だから断定はしません。
でも、現実の僕らに置き換えてみたら、どうでしょう?
自分を変える(可能性のある)出逢いは
いつも好意的な顔をして現れるとは限りません。
反対意見、違和感、対立、失敗……、一見ネガティブにも見えるこれらも、立派な出逢いのひとつになり得るということを伝えたいのです。
ただし、対立などのネガティブそのものがセレンディピティなわけじゃ決してない。今辛い境遇に置かれている人に、「それを耐えた先に良いことが待ってるから、辛抱しろ!」という根性論をお見舞いしようという気はサラサラありません。
そこで生まれた違和感を受け取って、今まで見えていなかった何かを発見したとき、向かい風だったはずの出逢いは、別の意味を持ちはじめる場合があるということです。
誰かの物語にいる、自分
計3回にわたって、『桃太郎』を読み直してきました。
093は、一つの偶然が意味を変える話でした。094は、その意味が時間の中でつながっていく話でした。そして今回は、その先に、他者の人生が交差している、という話をしました。
意味が変わり、時間でつながり、他者と交差する。『桃太郎』という一つの物語が、読み直すたびに、違う顔を見せてくれました。
犬にも、猿にも、キジにも、なんなら、鬼にも、それぞれの物語があって、僕らが『桃太郎』と呼んでいる物語は、そのいくつもの物語が交差した場所を、桃太郎の側から眺めたものにすぎないのです。
そして、僕らも同じです。自分の人生では主人公だけれど、誰かの人生では、たまたま現れた一人かもしれません。何気なくかけた言葉が、誰かの次の一歩になっているかもしれません。自分では、そのことを一生知らないかもしれない。
世界には
主人公が一人しかいない物語なんて
きっと無くて
誰もが、自分の物語の主人公で
誰かの物語の"偶然"でもある
最近、あなたは誰かにとって、どんな偶然だったでしょう?
095.主人公は1人ではない
〜僕らは、誰かの人生の「偶然」でもある
Fin.
🔗 この記事と、糸がつながっている話
📖『桃太郎』ってセレンディピティの話だったの?
桃太郎シリーズ第1弾。
桃を割ったことで、意味が書き換わった話。
095の『交差』は、ここから始まっています。
📖偶然は、次の偶然を連れてくる
桃太郎シリーズ第2弾。
点から線へ。時間の中で偶然がつながっていく話。
095の『轍』は、ここでの話を引き継いでいます。
📖波紋を立てる人と、待ち続ける人
波紋を立てているのは、あなただけじゃない、という話。095は、この話を桃太郎でもう一度描き直したものです。
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