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ミロスラフ・クローゼ(Miroslav Klose):ポーランド生まれの伝説的ストライカー サッカードイツ代表のレジェンド選手たち #4


ミロスラフ・クローゼ

Miroslav Josef Klose
1.FCニュルンベルク 監督
生年月日:1978年 6月9日(47歳)
出身:オポーレ, オポーレ県, ポーランド
身長:182cm 利き足:右足

配偶者のシルビア・クローゼとの間に、
ノア・クローゼルアン・クローゼの双子の息子がいる。

選手キャリア:
1997~1998 ブラウバッハ・ディーデルコップ
1998~1999 FC 08 ホンブルク
1999~2001 カイザースラウテルンアマチュア
2000~2004 1. FCカイザースラウテルン
2004~2007 
SVヴェルダー・ブレーメン
2007~2011 
FCバイエルン・ミュンヘン
2011~2016 SS ラツィオ




ドイツ代表の伝説的ストライカー

2014年ブラジル・ワールドカップで、金字塔を打ち立てたサッカードイツ代表選手がいる。ミロスラフ・クローゼだ。彼は同大会で2ゴールを挙げて通算得点数を16(24試合)とし、ロナウドが保持した大会記録(15ゴール)を更新してFIFA W杯の歴代最多得点者となった。当時36歳のクローゼの記録に華を添えるかのように、ドイツ代表は2014年大会で優勝を飾っている。

またクローゼは、ドイツ代表の通算得点数も71(137試合)とし、ゲルト・ミュラーが保持した記録(68ゴール)を更新。代表の歴代最多得点者としても、歴史にその名を刻んだ。はじめて出場したW杯は、2002年の日韓大会。同大会で5ゴールを挙げてブラジル代表との決勝進出に貢献し、そこから4大会連続で代表に選出された。紛れもないドイツ代表屈指の名ストライカーだ。


ミロスラフ・クローゼのプレースタイル

W杯とドイツ代表の史上最多得点記録保持者であるクローゼだが、その派手な肩書きに反して彼自身は非常に堅実なストライカーだ。彼は試合中、ミドルシュートやドリブルなどはほとんどみせず、ボックス内に構えているシーンが多い。では、なぜクローゼが得点を量産できたのか。それは、彼が味方のクロスにボレーで合わせる感覚が飛び抜けて優れていたからに他ならない。

クローゼは、ボックス内で味方のクロスが自分に届いた場合の得点パターンを豊富に持ち、それらをミスなく実行する。ダイレクトボレーはもちろん、胸トラップからのシュートや、代名詞でもあるヘディングでのシュートまで、様々な手段で得点するのだ。33歳で加入したSSラツィオで得点を量産した事実からも、クローゼがボックス内での得点パターンを確立していたことが窺える。


「ポーランド生まれ」のミロスラフ・クローゼ

ポーランド生まれのサッカー選手ヨゼフ・クローゼと元ポーランド代表ハンドボール選手バルバラ・イェシュの間に生まれたミロスラフだったが、彼が生を受けたのはポーランドのオポーレ。しかし、クローゼがドイツ代表を選んだのは、オポーレが旧ドイツ領の上シレジアに属した地域であったためだ。実際、クローゼの父親はドイツ系であり、彼ら以外にも同地域にはドイツ系住民も多く暮らしている。

またクローゼ一家は1985年にドイツへ移住し、ミロスラフは1987年から10年に渡ってSGブラウバッハ・ディーデルコップのユースでプレーした。1998年にザールラント州FC 08 ホンブルクへ移籍したクローゼは、そこでの活躍が注目され、1999年に当時1部の1. FCカイザースラウテルンへ移籍。2000年4月15日には、オットー・レーハーゲル監督のもとでブンデスリーガ1部デビューを飾った。


得点王であり、アシスト王のクローゼ

ヴラティスラフ・ロクヴェンツとの2トップでレギュラーに定着した2000/01シーズンに9ゴールを挙げたクローゼは、翌2001/02シーズンに16ゴールを記録。ドイツ代表にも召集され、W杯準優勝チームのエースとして活躍し、FCカイザースラウテルンのファンから爆発的な人気を誇った。その後の2シーズンも低調なクラブで活躍したものの、クローゼは2004年に移籍を決断する。

移籍先は、前季のリーグ王者、SVヴェルダー・ブレーメンFCシャルケ04に移籍したアイウトンの穴埋めを期待されての補強だった。クローゼはその期待に答える。加入初年度の2004/05シーズンに15ゴール9アシストを記録すると、2005/06シーズンには25ゴール13アシストを挙げて得点王とアシスト王に輝き、2006/07シーズンも13ゴール15アシストを記録したのだ。


バイエルン、ラツィオ…そして、監督へ

2007年、ブレーメンで圧巻の数字を残したクローゼはFCバイエルン・ミュンヘンへ移籍した。2007/08シーズン2009/10シーズンにブンデスリーガとDFBポカールの国内2冠を成し遂げたクローゼだったが、ルカ・トーニマリオ・ゴメスといった実力者とポジションを分け合う形となり、バイエルンに在籍した4シーズンのリーグ戦の記録は、99試合出場24ゴールに止まった。

クローゼは2011年、セリエAの強豪ラツィオへ移籍する。クローゼ初の国外リーグ挑戦は、大きな成功を収めた。在籍した5シーズンで63ゴールを挙げ、外国人最多得点記録を樹立したのだ。2016年に現役を引退後、クローゼはドイツ代表コーチやバイエルンU-17の監督、トップチームのアシスタントコーチを歴任。2022年にはオーストリア1部SCRアルタッハで初のプロ監督を務め、2024年に1.FCニュルンベルクの監督へ就任した。


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