グレッグ・ポポヴィッチ(Gregg Popovich):ペップ・グアルディオラに影響を与えた、NBAサンアントニオ・スパーズの伝説的名将
ペップとウディ・アレンの会食

マルティ・ペラルナウの名著『グアルディオラ総論』の冒頭部分に、非常に興味深い記述がある。『アニー・ホール』や『カフェ・ソサイエティ』で知られる映画監督ウディ・アレンとジョゼップ・グアルディオラ監督がニューヨークで会食した際、ペップはサッカーを知らないアレンのために、2時間に渡ってワインとニューヨーク・ニックスについての話をしたというのだ。
ペップがニューヨークでの「保養期間」にウディ・アレンと会食したというのも面白いが、サッカー史上最高の監督の1人である彼が、NBAについて詳しいというのも興味深い事実だ。ただ、さらに面白いのは続く文章の内容。ペップがあのサンアントニオ・スパーズの伝説的名将、グレッグ・ポポヴィッチのファンと言及されている部分である。
名将 グレッグ・ポポヴィッチ

ニックスとスパーズ。2025年のNBAカップ決勝カードの2チームについて、サッカー監督であるペップの書籍で、しかもたった1ページのなかで言及されているというのが面白い。何よりペップがポポヴィッチのファンだという事実が、この2人の名将の存在を知る人にとっては興味深いだろう。考えてみれば、この2人は非常に似ているのだ。
カタルーニャの伝説的名将とセルビア系アメリカ人の名将の共通点は、幾つもある。ポジションの構造化による強烈な再現性の担保、スペースを生みだしてそこを急襲するという攻撃的スタイル、何より相手の攻撃の芽を摘んでしまう緻密かつ綿密な守備戦術。ティム・ダンカンを中心に据えた戦術とアーリング・ハーランドを中心に据えた戦術というのも類似性を感じて禁じ得ない。
「ポップ」と「ペップ」の共通点

考えれば考えるほど、ペップの戦術にポポヴィッチのスパーズが与えた影響が大きく感じられてならない。ペップの戦術的師匠として知られるのはヨハン・クライフ、ファンマ・リージョ、マルセロ・ビエルサの3人だが、そこにポポヴィッチの名前を連ねてもいいのではと感じられるほどだ。「ポップ」と「ペップ」については、彼らの門下生が優れた指導者になった点でも共通する。
ポポヴィッチでいえばマイク・ブーデンホルツァーやスティーブ・カー、ペップでいえばミケル・アルテタやヴァンサン・コンパニなどである。しかし、大のサッカーファンである私にとってポポヴィッチは決して馴染みのある監督ではないし、残念なことに2025年5月に29年間の監督生活から勇退された。そのため、ポポヴィッチのこれまでのキャリアについて触れ、理解を深めたい。
空軍士官学校でのポポヴィッチ

1949年1月28日、インディアナ州 イーストシカゴで、セルビア人の父とクロアチア人の母の間に生まれたポポヴィッチは、アメリカ空軍士官学校に入学する。士官学校の男子バスケットボールチーム「エアフォース・ファルコンズ」でプレーし、最終学年次にはチームのキャプテン兼得点王だった彼は、1970年に士官学校を卒業後、ソ連研究の学士号を取得した。
ポポヴィッチはアメリカ空軍で義務付けられた5年間の勤務を務めつつ、アメリカ軍バスケットボールチームと東ヨーロッパやソビエト連邦へ遠征。 1972年にはアマチュア運動連合選手権で優勝した軍チームのキャプテンとして活躍し、1972年にはオリンピックに挑む代表チームのトライアルにも招待された(当時の五輪ではNBA選手の出場が禁じられたため、大学の選手のみ招集された)。
ポモナ・ピッツァー・セージヘンズ時代

1973年、ポポビッチは空軍士官学校でハンク・イーガンコーチのアシスタントを務めた。その後、1979年にはカリフォルニア州にあるポモナ大学とピッツァー大学の合同チーム、ポモナ・ピッツァー・セージヘンズのヘッドコーチに就任。1988年まで9年間に渡って指導し、1985/86シーズンにはチームを68年ぶりの単独優勝に導いたことで一躍有名となった。
1986/87シーズン、ポポヴィッチはポモナ・ピッツァーでの仕事を1シーズンだけ休職し、カンザス大学で伝説的名将ラリー・ブラウンのアシスタントに就任。1987/88シーズン終了後には、ブラウンと共にスパーズのアシスタントに就任した。4シーズンに渡って指導に携わったのち、1992年にゴールデンステート・ウォリアーズのアシスタントに就任。2年後、彼は再びスパーズへ復帰する。
スパーズのヘッドコーチ就任と成功

1994年、実業家ピーター・ホルトが買収したスパーズのゼネラルマネージャー復帰したポポビッチは、ともにウォリアーズへ渡ったポイントガードのエイブリー・ジョンソンと再び契約するなど辣腕を発揮。1996/97シーズンにチームが3勝15敗と低迷すると、ポポビッチはボブ・ヒル監督を解任し、自らヘッドコーチに就任した。1997年のNBAドラフトではティム・ダンカンを指名する。
1996/97シーズンに20勝しか挙げられなかったチームは、翌1997/98シーズンにポポヴィッチ監督の下で56勝を挙げて復調。1999年には初のNBAタイトルを獲得した。その後の功績も見事で、ティム・ダンカン、トニー・パーカー、マヌ・ジノビリ擁した「ビッグスリー」は、2003年、2005年、2007年、2014年と計5度のNBAファイナルで勝利を飾った。
要注目なサンアントニオ・スパーズ

実はポポヴィッチの著書はあるのだが、日本語には翻訳されていない。ポポヴィッチのストーリーは、リーダー論としても、戦術論としても非常に興味深い内容だと思うだけに、バスケットボールの有識者には頑張って翻訳し、販売まで繋げてほしい。NBA史上最高の名将と銘打つだけでも、無視できない日本人は間違いなく多いだろう。
スパーズというチームも興味深い。引退したダンカンに代わり、フランス代表のビクター・ウェンバンヤマという新星を中心に新たなチームを作り上げつつある。ポポヴィッチのもとで長くアシスタントコーチを務めたミッチ・ジョンソン監督のもと、スパーズが更なる飛躍遂げることができるのか注目していきたい。
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