〈杖〉受け継がれしもの-3
井戸端の一本釣り
愛するトニョ、お誕生日おめでとう。
あれは遠い昔。
私がおそるおそる、あなたの聖書会に足を踏み入れて、まだ2度目か3度目ぐらいの時のこと。
その日、会が始まる少し前だった。
緊張して、ドキドキして、こわごわ部屋のドアを開くと、奥の方にトニョがいてね。
あなたはこちらに近づいてきて、私に声をかけた。
覚えていますか。
「ねえ君、井戸の傍で、女性たちが何かお喋りしていることを、日本語で何と言いますか?」
いきなり尋ねられて、ビックリした。
少し考えて、「井戸端会議ですか?」と答えると、あなたはニッコリ笑って、
「それそれ! ありがとうございます」
そして、スタスタと歩いて行ってしまった。
私、ぽかん。はて、なにごと??
当時、聖書会ではヨハネ福音書を読んでいた。
その日の箇所は第4章。
サマリアの女とイエスの問答(ヨハネ4:1-15)の場面だった。
トニョ神父は開口一番、
「この箇所は、イエス様の『井戸端会議』の話です」
そして、私を見て、あなたはニッコリ笑ったんだ。
ねえトニョ、あれ、まさにキリストの「手口」だよね!
あの「井戸端会議」という言葉を、あなたはちゃんと、バッチリ事前に確認していたはずだ。
今だって、万事につけ、必ず入念に準備して臨むあなたのことだもの。
しかも日本語ペラッペラ、私たちより綺麗な日本語を話すトニョなんだ。
知らなかったはずがない。
今ならわかる。
あれは、あなたが私を「漁った」場面だ。
そう、一本釣りだった!
当時、まだ私は聖書会に馴染めていなかった。
キリスト教に心を開いていたわけでもなかった。あなたに対しても。
そう、いろいろな意味で警戒していた。
けれども、あの会話は私にとって、キリストに出会う第一歩だった。
大きな最初の一歩だった。
イエスがサマリアの女に、ご自分から「水を飲ませてください」と近づいたように、そのとおりに、トニョは私に歩み寄ってきて、
「どうか私に教えてください。日本語で何と言いますか」と、
まさかまさかの助けを求めた。
あなたは私を井戸まで引っ張っていって、キリストの水を私に見せたんだ。
私はまんまと釣られてしまった。
トニョの、いやキリストの、網にかかってしまったわけだ。
そうしてやがて、私はまんまと洗礼への道を踏み出すことになり。
トニョのその聖書会で、その後に自分の夫となる人と一緒に、まさかの世話役まで引き受けることになり。
自分の人生が、なんだかあの日を起点にして、全く想像していなかった方向へ、とんでもなく切り拓かれていった気がするよ。
私の意図なんかじゃなかった。
私は何も計画なんてしていなかった。
自分で狙ってしてきたことなんて、これまで何も、何ひとつなかった。
ただ必死に自分の道を探し求め、求め続けてきただけだ。
夫とともに。子どもたちとともに。
喘ぎながら、のたうち回りながら。
そして、いつの間にか、道ができていた。
気がつくと、この道を歩き続けていた。
気がつくと、私たちは、あなたが汲んだキリストの水に生かされていた。
気がつくと、ずっと恵みの中に置かれていた。
今、私に言えることがあるとすれば、こんな私の始まりは、あなたのあの井戸端での漁りからであったということ。
今、私たち家族の現在は、
主キリストの宣教師、アントニオ神父の声かけから始まったということ。
とこしえに主は賛美されますように。
トニョ、お誕生日おめでとう。
あなたは本当に、宣教師トニョ。
宣教の聖人アントニオそのものだった。
今も当時と変わらず、この日本で福音を伝え続けている、現代の偉大な宣教師アントニオ。
主がいつまでもあなたを守り、祝福してくださいますように。
聖アントニオの記念日に
愛をこめて
mikage
追伸:
生前に、ジョー・マークスが使っていた杖を、今、トニョが手にしていると聞いて、私は涙が噴き上げてきています。
あの杖は、ジョー・マークス神父が完全に車椅子の生活になるまでの間、それまでずっと、彼にとっての「命綱」でした。
あれは長い間、彼にとって、命そのものであり、灯火そのものだった。
その杖2本を手にして、彼は毎日、早朝の「巡礼」に赴いていました。
朝の光と、僅かな電灯を頼りにして、一歩、一歩、右、左、右、左と、ジョーは2本の杖に自分の命を預けていたのです。
右、左、右、左、一歩、一歩、右、左…
光の中で、踏み締めながら進むその「一歩一歩」を、彼は心からの祈りとして捧げていた。
ジョー・マークス神父は言いました、
「ねえミカゲ、まだ薄暗い、ほんのり朝の気配がする中を、私は照らされる光を頼りに、2本の杖で進むのだ」と。
「現在のコロナウィルスの悲惨な現実の中で、この無力な老人に、いったい何かできると言うのか。・・・何もない」
「本当に、私は無力さを痛感する」
「でもね、ミカ、こんな私にも、もしできることがあるとすれば、一歩ずつ、一歩ずつ、右、左、右、左、ただ踏み締めて歩くこと」
「このマークスがわかっているのはね、自分が今、今、今、光の中を、杖とともに歩いているということ。それだけです」
「それでいい」
「ねえミカゲ、愛は光の杖ですよ。・・・」
ねえトニョ。
当時、修道院の誰ひとり、こんな彼の心情を知る方はいなかったでしょう。
あなたもご存じなかったと思います。
生前のジョーは、自分のこの毎朝の巡礼のことを、私以外の誰にも明かしていませんでした。
そもそも、彼が朝の3時に起床して、心からの祈りを捧げていたことを、おそらく誰も知りません。※※
でもその杖が、トニョ、なんとあなたへと手渡されたのですね。
宣教師から宣教師へ。
アイルランド系アメリカ人のマークス神父から、生粋のスペイン人アントニオ神父へ。
どうかその杖が、
生涯あなたの足下を守り、あなたの命そのものを包んでくれますように。
トニョの右、左、右、左、その一歩一歩が、
どうか主の栄光となりますように。
とこしえに主が賛美されますように。
終戦後、日本に命を捧げる決意と覚悟でやって来てくださった、全ての宣教師たちを通じて。
愛するあなた方宣教師たちを通じて、どうか、とこしえに御国が栄えますように。
トニョ、ありがとう。
私たちに出会ってくださって。
この日本に来てくださって。
ありがとう。
心から
補足:
本記事は、マークス神父『ヨハネ特別編』の編集・メール配信※※※が、ついに最終回を迎えることとなり、読者への「謝辞」を綴ろうとしていた最中に、期せずして生まれたものである。
あのコロナ禍の日々を思うと、万感胸に迫り、どうにも筆が進まない。
そもそもなぜ、自分は今、こんな謝辞を手がけているのか。
そもそもなぜ、いつから、何が始まったのか。
そんなことを思い巡らしていた時、ふと、その日がトニョ神父(仮名)の誕生日であることを思い出したのであった。
折しも絶妙なタイミングで、なんと、ジョーの杖がトニョに渡ったことを耳にする。
かくして本稿が出来上がった、という次第である。
なお、肝腎な「謝辞」はというと、まだ何も、一行も!まるで形になっておりません。・・・
まだ少しだけ、自分の人生を振り返り、味わい直す必要がありそうだ。
思いが形になるまで。
追記:
マークス神父の「説教」「黙想」「講話」および「会話」の聴き取りと、文字化の編集・配信作業は、2026年6月21日に完結し、終了した。
文中※※↓↓関連記事:毎朝の祈りと巡礼に関して
文中※※※↓↓関連記事:編集・配信作業と完結について
↓↓関連マガジン:受け継がれしもの
mikageです:
コロナ禍中に
恩師マークス神父(仮名)と過ごした
バーチャル聖堂「煌堂」での祈りの日々を
連載で綴っています。
(本作は単発の短編記事です)
更新は不定期です。
1話ごと、祈りの中で言葉を紡いでおります。
気長にお付き合いくださいませ。
なお、本作は実話録ではありますが、
主人公はじめ登場人物・組織名等は、
(少なくとも当面は)仮称を用います。
読者の皆様には、ジョー・マークスを、
世間的な「肩書き」や、修道会・教会という組織の名称とは切り離された、ただ「神の御前に何ものでもない、一人の無名の老人」として、受け取っていただきたいと望んでおります。
アントニオ神父も仮名です。
連載の第1回はこちら↓
単発短編はこちら↓
記事にスキ♡していただけると
舞い上がって喜びます♪
今後ともよろしくお願いいたします。
目を留めてくださるお一人おひとりに
祝福を祈りつつ…
mikage
