連載14:文字起こし〈条件と全面委託〉4-4
マークス神父と「また煌堂で」
受難の始まり/聖週間2020
4-4 文字起こし〈条件と全面委託〉
自分の説教が文字化されることに対し、これまで激しく抵抗してきたマークス神父が、ついに折れてそれを許可した。
「ミカ、今苦しんでいる信徒たちのために、あなたの言うとおりにやってみましょう」
ホッと安堵したのも束の間、彼は続けた。
「ただし、条件があります」
私の目を射抜くように見つめながら、ジョーは言った。
「必ず編集の手を加えること」
そして、難題が突きつけられた。
「必ず祈って行い、聖霊の導きに従うこと」
「必要を感じた時は大胆に手を加えること」
「適切な日本語にすること」
「読み手に聖霊が働く余地を残すこと」
「マークスの言葉をそのまま残そうとしないで。私の言葉はどうでもいい。そうではなくて、神様の仰ることを文字に残してください」
「ミサの説教というものは、典礼のその祈りの中で、耳で聴かれるべきものです。一人ひとりが神様からの声を聴く。神様から直接受け取る。それが本来の説教なのです。一人ひとり受け取るものは違うし、違っていていい」
「マークスの言葉を残すことは目的ではない。そこは絶対に外さないで。一人ひとりが神様と向き合うようになること、それが一番の目的です」
「そのために、仮にあなたが必要を感じた時は、躊躇しないで大胆に手を入れなさい。私の日本語がヘンだったら、適切な日本語に直しなさい」
「もし話に説明が必要なら、書き加えなさい。でも書きすぎないで。読む人に聖霊が働く余地も残すこと、それも忘れないで」
「マークスの話は絶対ではない。いつも言っているけれど、本当にね、絶対なのは神様だけです。誰もが神様に従うべきなんだ、私も含めて。だから読者の目をマークスに引き寄せないで。人々の目をただ神様に向けさせて欲しい」
「私の話はあくまでも、どこまでも、祈りのきっかけ、祈りの手引きでしかない」
「これを入り口にして、一人ひとりが祈って欲しい。神様と自分との関係を深めて欲しい。私の説教はそのためのものです」
「だからね、聖霊があなたを導くとおりに、仮にそれがマークスの言葉と正反対だったら、その時は迷わず聖霊に従いなさい」
「マークスの言葉に違和感や反発を覚えるならば、そこを出発点にして、神様があなたに仰ることに耳を傾けて、祈って書き直すこと」
「あなたにも、読者にも、このマークスにも、聖霊は一人ひとりに働いていらっしゃる。その導きを信頼しなさい。委ねてください」
「だから、とにかく祈り、祈り、祈り。祈ることです。そこに全てが含まれてくる」
「そうしてくださるならね」と、やっとジョーはここで一息ついた。
そして、次の言葉で結んだ。
「全部あなたに任せます。ミカゲ、あなたを信頼します」
「私の言葉をあなたに預けます」
いつもは寡黙なジョーが、こういう時は「炎の人エリヤ」(注:旧約の預言者。最後は火の戦車で天に上げられたとされる)になる。
裏を返せばマークス神父という人は、いつもこのような思いで説教の準備をしていた、というよりも、このような信念をもって出会う人その一人ひとりと向き合っていた、ということなのだろう。
そして、この時のジョーの言葉の真意、重み、深み…を、思えば当時の私は何ひとつ、本当には理解していなかった。….と、今になって思う。
2020年4月5日「受難の主日」この日から帰天前日まで、マークス語録の聴き取りは、あのコロナ禍中にほぼ毎日続けられた。
あれほど抵抗していた文字化であったが、読み物となったマークス神父の語録は信徒のみならず、光を求める人の手から手へと渡り、キリスト教とは無縁で生きてきた人々の歩み行く道さえも照らした。
「残すべきはキリストの言葉だけ」と、断言して憚らなかったジョー・マークス神父だったけれど、「どうでもいい」はずだった彼の言葉の真価を、誰よりご存じだったのは、ほかならぬ主キリストご自身であった。
私はそう思っている。
補足:
当初、煌堂ミサの説教は、通常どおり「耳で聴かれるもの」として準備されていたが、やがてそれは説教というよりも、ジョー・マークスの黙想の分かち合いと呼ばれるべきものへと変化していった。
私は日々の聴き取り後、その日のうちに文字に起こして編集を行い、なるべく日を開けずに配信するように努めてはいたものの、その全てを彼の存命中に配信することはできなかった。
文字化に苦慮し、もっと祈りが必要と判断したものについては無理をせず、後日改めて取り組むようにしようと、ある時からそう考えるようになったためである。
ジョー・マークス神父の生前にメール配信された『語録』は228本。
その時点で、まだ手つかずの記録が大量に残っており、編集・配信はマークス神父の帰天後も続けられた。
彼の語録は人の手から手へと渡り、読者の数は帰天後に加速的に増加した。
本文に記したとおり、それはキリスト教と無縁だった人々の目にも留まることとなり、彼らの熱意に私は幾度も支えられてきた。
2020年のコロナ禍中に聴き取りが始められたジョー・マークス神父の『語録』は、2024年12月に555本で完結した。
また、マークス神父の祈りの仲間とともに行われた『ヨハネ講座』は、2020年10月から2021年12月(帰天2週間前)の間に対面/オンラインで開催され、ヨハネ福音書の第1章から第7章の途中まで。
全23回の内容は、2025年11月に50本で完結。
さらに、神父が自身の「最期の時」を強く意識するようになった転機の時(帰天の約9ヶ月前)に、私の懇願によって始められた個人講座『ヨハネ特別編』は、同福音書の第13章から第14章の途中まで。
こちらは2026年4月現在も編集・メール配信を継続中だが、同年6月に28本で完結予定である。
追記:
マークス神父の「説教」「黙想」「講話」および「会話」の聴き取りと、文字化の編集・配信作業は、2026年6月21日に完結し、終了した。
↓↓関連記事:完結時の副産物として
mikageです:
コロナ禍中に
恩師マークス神父(仮名)と過ごした
バーチャル聖堂「煌堂」での祈りの日々を
連載で綴っています。
(たまに単発で短編を挟むことがあります)
更新は不定期です。
1話ごと、祈りの中で言葉を紡いでおります。
気長にお付き合いくださいませ。
なお、本作は実話録ではありますが、
主人公はじめ登場人物・組織名等は、
(少なくとも当面は)仮称を用います。
読者の皆様には、ジョー・マークスを、
世間的な「肩書き」や、修道会・教会という組織の名称とは切り離された、ただ「神の御前に何ものでもない、一人の無名の老人」として、受け取っていただきたいと望んでおります。
また、記事は事実をベースとしつつ、
一部の出来事や時系列などに、再構成や脚色を含みます。
続き(連載15)はこちら↓
本記事(4-4)「文字起こし」の
(4-1)はこちら↓
連載の第1回はこちら↓
単発短編はこちら↓
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今後ともよろしくお願いいたします。
目を留めてくださるお一人おひとりに
祝福を祈りつつ…
mikage
