連載15:過ぎ越し〈聖木曜日の不眠〉5-1
マークス神父と「また煌堂で」
受難の始まり/聖週間2020
5-1 過ぎ越し〈聖木曜日の不眠〉
ジョー・マークス神父の朝は早い。
丑三つ時(午前二時から二時半ごろ)を、ほんの少しすぎたぐらいの朝三時、まだ草木も寝ぼけている時間に、ジョーは起床する。
すぐにシャワーを浴びて、心身を洗い清める。
それからは祈りの時間。「この時間が一日を決める」とは本人の弁。
その日の朗読箇所を読み、黙想に入る。
この黙想がミサ説教の土台になる。
朝五時ぐらい(日によって異なる)に立ち上がり、朝の空気を吸いに修道院の外に出て、庭にまわる。
朝陽(季節によっては、まだ月あかり)に見守られ、まだ薄暗い中を一歩一歩進む。
そして、聖母子(像)の前に立ち、そこで暫し時間を過ごす。
ここで、いろいろな人たちの顔を思い浮かべる。
特に、すでに亡くなった愛する人たちを思い出し、祈りを捧げ、彼らとの「会話」も楽しむ。
ジョーはこの時間を「巡礼」と呼んでいた。
また修道院に戻り、聖務日課(注:毎日定時に捧げる教会の祈り。かつては聖職者の日課であったが、昨今は信徒にも勧められている)を唱え、ミサの時間まで再び祈りの中で過ごす。
コロナ禍の前は、朝七時半に修道院でミサがあったので、普段はそこで兄弟たちとミサに与っていた。
日によっては、教会で行われていた同時刻の朝ミサに、信徒たちと一緒に与ることもあった。
そして、ミサ後に修道院で朝食を摂り、ここからは、ジョーの活動的な一日が始まる。
これが、ジョー・マークス神父の体に染みついた毎朝の習慣であった。※※
しつこく繰り返すが、朝三時起床である。
世の修道会の中で、最も厳格と言われているのは、間違いなく、「祈れ、働け(Ora et labora)」のモットーで有名な厳律シトー会(通称トラピスト)であろうが、あの厳しい観想修道会でさえ起床は三時半なのだ。
ジョーの修道会に起床時間の規定があるのかどうか、尋ねたこともなかったけれど、朝の三時でないのは確かだ。(バリバリの活動修道会だし…)
この時間割はあくまでジョー自身のこだわり?趣味?であり、彼が好んで勝手に続けていた個人的な習慣であった。
そしてこの習慣は、体調や都合の悪い日以外は変わらなかった。
そう、亡くなる最後まで。
そのマークス神父には、人知れぬ悩み(弱点というか、問題)があった。
精神的に何らかの負荷がかかると、全く眠れなくなるのである。
いわゆる「不眠」というアレだ。
「昨夜は眠れませんでした」と溜息をつかれる度に、私はいつも問う。
「どうして眠れないのですか。今、何か心配なことがおありですか」
たいがい、彼の答えはいつも同じだ。
「さあ。どうでしょうねえ。ワカラン。知らナーイ」…
自分が悩みを抱えているという自覚がある時は、正直なジョーは決して「知らナーイ」とは言わない。たいがい無言で目を逸らす。
自分のことではなく、むしろ誰かの問題や悩み、愛する人々の痛みや苦しみ悲しみこそが、彼の不眠の大きな要因となっていた、と私は思っている。困ったことに、彼自身はまるで無自覚なのである。
このことも、亡くなる最後まで変わらなかった。
時は2020年の聖週間。
そう、コロナ禍という社会全体の異様な状態そのものが、すでにマークス神父をかなり追い詰めていたのだと思う。
教会封鎖の噂が聞こえてきたあたりから、すなわち、青空告解が中止に追い込まれそうな気配が漂ってきた時分から、彼はまともに眠れていなかったのである。
眠りたいのに眠れない。
そういった経験は、きっと誰にでも多少なりともあるだろう。
辛いものである。
何度か、かかりつけの医師に睡眠剤を処方していただいては…と提言したが、却下された。
ジョーが眠れない時、選択肢は二つ。
その一、眠れないまま、寝床でじっと起床時間まで堪える。
その二、寝床を出て、椅子に座って読書を始めるか、思索に集中する。
端的に言って、どちらもあまり健康的とは言えない。
蛇足ながら、当然、もちろん三時以降のスケジュールは通常運転である。
あの年の聖週間は、健康的でないこの状態が、もう限度を超えていた。
「昨夜もまた眠れませんでした」…
連日悲しそうに溜息をつかれ、その度に私の心はズーンと沈んだ。
文中※※↓↓関連記事:「毎朝の祈りと巡礼」に関して
mikageです:
コロナ禍中に
恩師マークス神父(仮名)と過ごした
バーチャル聖堂「煌堂」での祈りの日々を
連載で綴っています。
(たまに単発で短編を挟むことがあります)
更新は不定期です。
1話ごと、祈りの中で言葉を紡いでおります。
気長にお付き合いくださいませ。
なお、本作は実話録ではありますが、
主人公はじめ登場人物・組織名等は、
(少なくとも当面は)仮称を用います。
読者の皆様には、ジョー・マークスを、
世間的な「肩書き」や、修道会・教会という組織の名称とは切り離された、ただ「神の御前に何ものでもない、一人の無名の老人」として、受け取っていただきたいと望んでおります。
また、記事は事実をベースとしつつ、
一部の出来事や時系列などに、再構成や脚色を含みます。
続き(連載16)はこちら↓
連載の第1回はこちら↓
単発短編はこちら↓
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目を留めてくださるお一人おひとりに
祝福を祈りつつ…
mikage
