連載16:過ぎ越し〈聖木曜日の嗚咽〉5-2
マークス神父と「また煌堂で」
受難の始まり/聖週間2020
5-2 過ぎ越し〈聖木曜日の嗚咽〉
ジョー・マークス神父は涙を流さない。
目を潤ませることはあった。涙で声が掠れることもあった。
だが、涙が目から転がり落ちる前に、彼はサッと気持ちを切り替えて、何事もなかったように振る舞うのだ。
つくづく器用な人だ…と思っていた。
いや、岩のように強靭な意思を持っていた、と言うべきかもしれない。
ところがこの日、ジョーは言葉を詰まらせて、ミサが中断された。
時が止まった。
マークス神父は顔を伏せ、体を震わせたまま動かなかった。
2020年4月
カトリック教会は一年で最も大切な「聖週間」に突入していた。
この日は聖木曜日であった。
「聖木曜日」は、聖週間のクライマックス「聖なる過ぎ越しの三日間」の皮切りである。
いつもなら、午前中は全国の司教座聖堂(カテドラル)で、司教と司祭団によって「聖香油のミサ」が捧げられる。
これは、教会の秘跡(洗礼・堅信・叙階・病者の塗油)で用いられる一年分の「香油」を祝福/聖別する、年に一度の祭儀である。
このミサの中で、司祭たちは司教の前で、司祭としての約束を更新する。
そして夕方以降に、各教会で「主の晩餐の夕べのミサ」が捧げられる。
文字どおり、受難に向かう前にイエスが弟子たちと行った「最後の晩餐」を記念する祭儀である。
朝方の聖香油ミサも、主の晩餐の夕ミサも、例年は聖堂に入りきれないほどの信徒たちが集まってくる。
しかしこの年、ジョーが所属する教区のカテドラルでは、朝の聖香油ミサは6月に延期された。
また、ジョーが奉仕していた教会でも、夕方のミサは大きな聖堂にたった数人の司祭だけが参加して、距離を取って行われた。
物悲しいこの聖木曜日の様子はネット配信され、信徒たちはライブ映像を介して典礼に一致したのである。
そんな日、ジョーと私はいつものように、タブレット越しに二人で煌堂ミサを捧げていた。
開祭から、ことばの典礼に入り、マークス神父の説教と共同祈願までは、いつものように熱い展開だった。
それから感謝の典礼に移り、奉献文の叙唱は「キリストの聖体」。
そして、サンクストゥス(聖なるかな)を二人で唱えていたのだが、今思えばなんとなく、途中から「んん…?」な感じではあった。
異変は「ホザンナ」の後に起きた。
マークス神父が両手を広げ、「まことに とうとく すべての聖性の源….」まで唱えたところで、彼は涙で言葉を発することができなくなり、そのまま無言で俯いてしまったのである。
本来ならば、ここで「(すべての聖性の源)である父よ…」と続き、ミサの中心部分である聖変化へと進んでいく。
この重要な場面の直前で、マークス神父はまさかの嗚咽によって、ミサ司式を中断せざるを得なくなったのだった。
どれくらい時間が経ったのか。
とてつもなく長くも感じられたけれど、ほんの一瞬だった気もする。
その間、ジョー・マークスも私も、なんというか、別の世界に飛んでいたような気がしている。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ミカ」と声がして、ふと我に返った。
ジョーはいつものジョーに戻っていた。
画面越しに見える彼の顔に涙の跡はなく、声も完全に元に戻っていた。
その後は全く普段どおりで、まるで何事もなかったかのように煌堂ミサは進み、そして終わった。
あの涙の理由をジョーに尋ねたことはない。
尋ねたところで、きっと彼は「さあ」と首を傾げ、「ワカラン」と呟いて話題を変えたことだろう。
月並みな理由なら容易に思いつく。
短絡的かつ無責任に列挙すれば、例えば怒り、悲しみ、無念さ、無力さ、悔しさ、憤り、信徒たちに対する様々な思い、痛み….等々。
いや、しかしあれを単なる感情の昂り、などという括りで私は済ませたくはない。
あの涙の根っこには、ただただ神への愛と信頼と感謝があって、ジョー・マークスは深いところで神と一致していたのだろうと、今でも私は思っている。
あの日あの時、なんだろう、ジョーは何か別の境地に入ったのかもしれない。
翌日の聖金曜日も、翌々日の聖土曜日も、彼はもう開き直ったように微笑んで言った。
「ええ、昨夜も全く眠れませんでした」と。
「マークスの本籍地はね、もうこの際、ゲッセマネに移した方が良いようです」
そして続けた。
「私、思った。コロナウィルスによるこの混乱した現在の社会の中で、世界中の人々が、このマークスよりもスムーズに眠れたらいいと」
「ええ、だから私ね、昨夜は一晩中、マークスのゲッセマネでずっと、主とともに祈っていました」
追記:
2020年4月、感染拡大の最前線となっていた
イタリアの病院屋上で
日本人女性がヴァイオリン演奏に祈りをこめた
奏者:横山 令奈
曲名:ガブリエルのオーボエ
(映画「ミッション」より)
mikageです:
コロナ禍中に
恩師マークス神父(仮名)と過ごした
バーチャル聖堂「煌堂」での祈りの日々を
連載で綴っています。
(たまに単発で短編を挟むことがあります)
更新は不定期です。
1話ごと、祈りの中で言葉を紡いでおります。
気長にお付き合いくださいませ。
なお、本作は実話録ではありますが、
主人公はじめ登場人物・組織名等は、
(少なくとも当面は)仮称を用います。
読者の皆様には、ジョー・マークスを、
世間的な「肩書き」や、修道会・教会という組織の名称とは切り離された、ただ「神の御前に何ものでもない、一人の無名の老人」として、受け取っていただきたいと望んでおります。
また、記事は事実をベースとしつつ、
一部の出来事や時系列などに、再構成や脚色を含みます。
続き(連載17)はこちら↓
本記事(5-2)「過ぎ越し」の
(5-1)はこちら↓
連載の第1回はこちら↓
単発短編はこちら↓
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今後ともよろしくお願いいたします。
目を留めてくださるお一人おひとりに
祝福を祈りつつ…
mikage
